【ドラマ感想】『王様戦隊キングオージャー』 ★★★☆☆ 3.7点

 地球と似て非なる惑星「チキュー」、5つの王国によって統治されるこの惑星では人々が平和を謳歌していた。しかし、地底国バグナラクが2000年の眠りから復活し、チキューは混乱に陥る。この混乱に際し、4王国の王ヤンマ・ガスト、ヒメノ・ラン、リタ・カニスカ、カグラギ・ディボウスキ、そしてシュゴッダムの青年ギラ・ハスティーは、代々チキューに受け継がれてきた守護神シュゴッドの力を身にまとい、5色の戦士に変身してバグナラクに立ち向かう。バグナラクと人間の間に生まれた青年ジェラミー・ブラシエリを仲間に加えた王たちは、王様戦隊キングオージャーを結成し、長い戦いの末にバグナラクの侵攻を退けることに成功する。しかし、バグナラクとの戦いから2年の後、チキューに宇宙からの侵略者である宇蟲王ダグデド・ドゥジャルダンが襲来し、バグナラクと人間の争いは2000年もの昔から彼が裏で手を引いていたことが明らかとなる。ダグデド率いる宇蟲五道化からチキューを守るため、王様戦隊キングオージャーは再度戦いに身を投じていく。



 本作でまず特筆すべきは、壮大な異世界描写を1年貫徹した点であろう。本作は異世界の6つの王国が舞台となっているが、そのどれもが西洋ファンタジー風やサイバーパンク風などの現実離れした設定の世界観となっており、国内のロケ撮影では実現できない風景が必要とされるものとなっている。本作ではこれを、グリーンバック撮影やLEDウォールなどの導入による大規模なCG処理によって成立させている。この映像表現については、CG合成の処理の問題で粗が気になるときもままあるのだが、各王国の情景のアセットがかなりしっかりと作り込まれているため、全体としてはちゃんと異世界として楽しむことができるものに仕上がっている。

 これまでの日本特撮でも、『仮面ライダー鎧武(2013)』のヘルヘイムの森であったり、『ウルトラマンネクサス(2004)』のメタフィールドとあったりと異世界描写に挑戦した作品は多く存在したものの、これらの多くは実景に小物を置いたり、セットを組んだりして異世界を再現することに挑戦したものであり、それはそれで良いものではあったのだが、ある程度視聴者が歩み寄って見る必要があるものだった。これに対し、本作における異世界描写はそういった視聴者側の歩み寄りなしに自然と受け入れることのできるレベルのものになっている。これまでの国内作品とは比べ物にならない規模で展開されていることも加味すると、この点は高く評価されるべきものであろう。

 特に本作は、架空戦記ものの色合いが濃い作品であるため、世界観造形が拙いと作品への没入感が大きく削がれてしまう危険性があるのだが、本作の映像レベルは求められるレベルを十二分に超えるものであった。もちろんこのような技術は、海外の大バジェットのドラマではすでに使用されており、それらと比べると映像的に一歩二歩劣るのは否定できないのだが、本作ではこのCG合成によって作り出される異世界描写と日本特撮らしいセット撮影とが組み合わされることにより、独自の映像表現を生み出すことに成功している。

 また、スーパー戦隊シリーズの歴史を振り返ると、宇宙を舞台に様々な星をめぐりながら敵と戦う2018年の『宇宙戦隊キュウレンジャー』が作品の志向していた方向性としては最も近いと思われるのだが、キュウレンジャーが物語の中盤から地球に腰を据えてしまい、他惑星での描写がほとんど無くなってしまったことを考えると、長年本シリーズを追ってきた視聴者としては、1年間異世界描写を貫徹できた本作は非常に感慨深く視聴することができた。



 次に本作をドラマとしての面から見てみると、登場人物の演説に作劇上のエネルギーが割かれている点が大きな特徴として挙げられるだろう。本作は、第1話でギラが兄のラクレスに向かって言い放つ「一切の情け容赦なく、一木一草ことごとく……」の長台詞を皮切りに、かなりの頻度で登場人物の長く大仰な台詞回しが目立つ作品となっており、かつ、この大仰な大演説こそが各話の最も盛り上がるポイントとなっている。

 王様たちは、国同士が団結するとなれば各々が仰々しく口上を述べ、国がトラブルに見舞われれば熱をこめて国民を鼓舞し、敵にやられた時ですら雄々しく啖呵を切る。その是非は置いておくとして、極端なことを言えば、本作では特撮の華である戦闘シーンよりもこの演説シーンにこそ作品の力点が置かれており、「演説エンターテイメント」とも言うべき作品となっている。

 このような作劇はともすれば冗長な印象をあたえがちなのだが、本作は架空戦記ものであるがゆえに、この演出とドラマの相性が非常に良く、王たちが熱く啖呵を切れば切るほど作品のボルテージが上がっていく好循環が生まれている。

 本作のこの演説の味は、感覚的には『水戸黄門』の「控えおろう!この紋所が目に入らぬか!」や、『東山の金さん』の「この桜吹雪に見覚えがねえとは言わせねえぜ!」が近く、そう考えると、一種時代劇的な本作の作風との相性が良いのも納得である。そもそもスーパー戦隊シリーズの原点は歌舞伎の「白浪五人男」であることを考えると、西洋ファンタジー風のこれまでの戦隊シリーズのフォーマットからは著しく離れた本作も、その根幹にはやはり戦隊のDNAが流れていると見ることができて面白い。



 ここまで述べてきたように、1つの作品として見るべき点が多く、高く評価したいポイントの多い本作であるが、一方で不満点の少なくない作品でもある。個人的な最大の不満点は連続ドラマとしての溜めが長すぎる点である。

 本作は地底国バグナラクとの戦いを描いた第1部と宇蟲王ダグデドとの戦いを描いた第2部の二部構成となっているのだが、特にこの第2部ではいわゆる溜めの展開が長すぎて、単話単話の面白みがかなり薄い。第2部は宇蟲王ダグデド率いる5人の幹部からなる宇蟲五道化との戦いが描かれるのだが、この宇蟲五道化があまりにも強いため、キングオージャー側が辛酸を嘗めさせられるストーリーがかなり長い話数続く。

 そのうえ、第1部のようにゲスト怪人が登場する回もキョウリュウジャーとのコラボ回を除いて一切ないため、各話ごとのカタルシスを著しく欠いているのである。もちろん、ここまでしてストレスを溜めに溜めた分、最終3話のカタルシスは相当に高いのだが、それにしても、もう少しガス抜きがあっても良かったのではないかと感じる。特に特撮というジャンルはドラマの進行とは無関係にバトルシーンで盛り上げることができる稀有なジャンルのドラマであるのだから、もう少しやりようがあったのではないだろうか。

 また、1話完結の面白さをある程度捨て、大河ドラマとしての面白さを追求している割には、全体の大きな物語の流れに違和感が生じる部分があるのも気になるところ。多くの確執を経て第20話でラクレスを討ったはずのギラが、その後の話でラクレスの遺体に全く関心を示していなかったり、第35話で宇蟲五道化のヒルビルに自身の国であるンコソパを奪われたヤンマが、次の話では何事もなかったかのようにヒメノのお見合いに一喜一憂していたりといったところが特に顕著だが、大河ドラマとしての側面を押し出すのであれば、こういった点にはもっと気を配ってもらいたかったように思われる。

 また、単純に変身しての等身大戦がかなり少なく、さらには合体ロボキングオージャーの出番は全話通しても数えるほどしかないというのは、ヒーロー作品としての面白さを大きく毀損しており、そこはもう少しボリュームを増やしてほしかったように思うところだ。



 繰り返しになるが、この規模の異世界ファンタジーを1年ものの国産ドラマとして貫徹した本作は高く評価されてしかるべきであると言えるだろう。個人的には印象に残る回が作品終盤に集中しており、宇蟲五道化の1人ゴーマを打ち倒し、ンコソパを奪還する第39話や、6王国の王たちと敵対してきたシュゴッダムの前王ラクレスの真意が明かされる第42話、ダグデドとの最終決戦が描かれる最終3話などが思い入れが強いのだが、これは大河ドラマとしての積み重ねが熟し、作品の熱量が物語の進展にあわせて加速度的に高まっていったことの証左であろう。

 気になる点もなくはなかったものの、それを上回るほどの美点も多かった本作。スーパー戦隊シリーズを、もっと言えば、日本の国産ドラマをさらに上に押し上げる一作となったと言っても過言ではないだろう。

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