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母方の曽祖母

母方の親族は魔物だ。わたしは指輪物語のオークと呼ぶ。
例外は2人いる。曽祖母と伯母だ。
この伯母とは血のつながりはないため、彼女は魔物の遺伝子を持っていない。彼女からは、いくつもの知恵や予言を授かった。彼女の素晴らしさと苦労についても、いつか書き留めようと思うが、今日は、曽祖母の面影を追いかけたい。

生い立ち

曽祖母は、港町の裕福な家庭で生まれた、ひとりっ子だったそうだ。女学校を出て、和裁も洋裁も完璧だったため、人に教える仕事をしていたと聞く。
結婚後に国外へ移り住み、そこでも、息子や娘(私の祖母)を育てつつ働き、金銭的にあまり困らない生活をしていたという。第二次世界大戦が終わり、日本に戻ってきたそうだ。戦時中は状況も違っただろうが、生涯を通して、モノやカネには比較的恵まれた環境にいたのではないかと思う。

曽孫から見た曽祖母

私からすると、心身ともに健康で、 90代でも自分の身の回りの事は、最低限、自力でできていた曽祖母について、単純にすごい人だなと思っていた。
和裁と洋裁の技術力も健在で、目が見えにくいと言いつつも、手先の器用さ、作業手順を考える思考力も90歳を超えて保ち続けていることもすごい。

曽祖母はステーキが好物で、柔らかい部位を小さくカットしていれば噛み切ることができていた。寿司も天ぷらも大好きだ。魚や肉類は、私よりも食べていた記憶がある。
自分の歯を多く保っていたことも、食事を楽しめる秘訣だったと思う。よく食べ、よく寝て、早寝早起き、一人で没頭できる写経や手芸も好んでいて、老後に暇を持て余している感じはなかった。

親族からの評判

しかし、彼女は、親族から疎まれていた。
口うるさい、高飛車、気が強い、すぐ国内外に旅行に行く、孫のしつけをしなかった(息子夫婦が育児を丸投げした挙句の文句)、などなど。
自分のやりたいことに使う資金は、曽祖母の貯えから捻出しており、更に同居親族に金銭の援助もしていると親族達から聞いていた。やりたいことがあって、健康で、蓄えもあるなら、自分の資源をどう使おうが、自由ではないか?

親族の集まりで、曽孫達が遊びに来ると聞くと、手芸の道具や材料を用意してくれていて、私はよく一緒に時間を過ごしていた。他の曽孫達は、漫画やゲームを持参していて、子供同士でグループをつくり、曽祖母に寄り付かなかった。この傾向は、大人達もそうだった。
手芸をしていると「どうしてそんなことするんだ?」とか「時間も金も、もったいない」等と言っているのも聞こえてくる。
それじゃあ「なぜゲームをするの?アイテムは現実世界に反映されないよ?」「なぜタバコを吸うの?お金を払って不健康になるなんて!」と反撃したい衝動にも駆られるが、この魔物達に反応してはいけない。周囲の大人に味方はいないのだ。子供の私が叫んでも、もっと馬鹿にされるだけだ。この学びから、その後、慢性的に怒りを溜め込みすぎた私は、抑うつ症状に悩まされることになっていく…。適応と擬態は難しい。私が多様な考えや好みを尊重し合える世界と出会うのは、まだ先の話だ。

親族の集まりは、ガヤガヤしていて居心地も悪く苦手だったため、曽祖母の用意してくれた手芸に没頭できる方が気楽だった。
曽孫にはわからない歴史や事情もあっただろうが、魔物が曽祖母に向ける嫌悪感の要因は、私には理解できないものらしかった。

曽祖母の最期

彼女の最期は、娘達に見守られた安らかなものだったと聞く。何度かお見舞いに行った際に「100歳を超えても素晴らしく健康体だ。曽孫まで頻繁にお見舞いに来る人は珍しいのよ」と居合わせた看護師達が、曽祖母を褒めてくれていた。その度に「私は幸せ者だよ」とケラケラ笑っていた。
私が幼児の頃から「あちらに行く準備は、たっぷりしあるのよ」と、よく笑っていたが、その後10年以上、たっぷり元気だった。

完璧な終活

曽祖母の死後の準備は、本当に抜かりなかったらしい。
彼女は、熱心な仏教徒であり、自分の死後に行なってほしい事柄を細かく決めて書き残し、資金もきっちり用意していた。
お墓についてはもちろん、葬式の会場、花の種類や配置、遺影と額縁、装飾品…。年忌に呼ぶ親族の範囲と集まる場所や期間、月命日がどうのこうの…。
数人の息子と娘がいたが、その中から娘2人と一緒に死後のあれこれを準備していた。自分と同じく信心深い娘と義理息子の夫婦、最後まで曽祖母の身の回りのケアをしていた娘だ。人選もばっちりだろう。他の親族が覆す隙がないように、文書も作成していたそうだ。

ここまでできていたら、あっぱれだと率直に思った。
私は神を信じないタイプなので、曽祖母のこだわりを深く理解できていない。けれど、彼女が長年準備し、お金をかけてでもやりたいことがあるなら、希望が叶ったらいいと思った。

魔物は吠える

しかし、魔物達は黙っていられないらしい。
「死後のことに、お金を使うなんてもったいない」
「自分は信心深くないから、このやり方は気に食わない」
「長男なのに、どうして相談がなかったんだ」
「娘2人が財産を盗もうとしているのではないか」
「自分のよしみの葬儀屋を呼んだ方がいいはずだ」
「遺品の◯◯(金目のモノ)をすぐに引取りに行きたい」

50〜70年以上生きていても、人のものを踏み躙ったり、奪うことしか考えられないらしい。曽祖母に最後まで寄り添い続けた親族への感謝も、悲しみへ寄り添うような心も持っていない。
この魔物達は、女性の意見は聞こえない習性があるので、曽祖母に死後のあれこれを託された義理の息子が、一同に丁寧な説明を繰り返し、疲弊していた。

自分の子供と分かり合えないことを認めるのは、きっと寂しく残酷なものだと思う。けれど、曽祖母は自分の子供達の性質を認め、この状態を容易に想像し、入念な準備を行ったのだろう。
曽祖母の希望を魔物は理解することはなかったが、完璧な準備が整っていたため、娘達に託された任務は遂行された。
その後、いくつかの家族では、修復不可能な家族間の亀裂や分断も起きたようだ。魔物は自分の生息域も壊していくようだ…

思い出の品

少し月日が経った頃、母から古びた箱に入った、純金のネックレスを渡された。曽祖母が私に渡すように、残してくれていたらしい。
曽祖母は、自分の持ち物の行先についても、しっかり整理していたようで、更に驚いた。渡す相手が決まっているものは、早い段階で仕分けられ安全な場所に保管されていたらしい。
曽祖母が、曽孫の私のことまで気にかけていてくれたことに驚いたが、彼女の物語の一部に私も確かに存在していたのだと再認識できて嬉しかった。

そして、将来、私も曽祖母くらい、しっかりした終活を完了させることが目標だ。鬱病持ちが、今から終活だとか言うと、夫の不安を無闇に煽りそうなため、これは心の中に秘めている。

娘が成長したら、このネックレスを披露しながら曽祖母と過ごした一時の物語を話してみようと思う。

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