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NHK「最後の講義」(福岡伸一さん)に教わったこと

NHKの番組予告を何気なく見ていたら、ある著名らしい生物学者が、大勢の学生の前で講義をしているシーンが映った。その中でそのおじさんが、とても丁寧なゆっくりとした口調で、「1年前の私といまの私は、まったくの別人だと言えます。中身が完全に入れ替わっているからです」と述べ、にっこり微笑んだので、ソファに寝転んでいたわたしは「なぬ!?」と仰天し飛び起きた。
予告はすぐに終わってしまい、わたしは慌ててNHKの番組表を確認した。目を皿のようにしてやっと見つけたのが、「最後の講義」というタイトルの番組だった。

予約しておいたその番組を、きのう見た。てっきり、その生物学者が本当に最後に行った授業の録画かと思っていたがそうではなく、「最後の講義」というシリーズに毎回異なるゲストを呼ぶという趣向の番組だということが、冒頭のナレーションでわかった。「もしこれが人生最後の授業だったら、あなたは何を語り残しますか?」という番組からの問いかけに、ゲストが講義を通じて答えるというものだ。講義を行う人は学者や教授に限らないようで、例えば次回8月26日の放送では漫画家の西原理恵子さんが最後の講義を行うことになっている。

わたしが見た回のゲストは、福岡伸一さんだった。ベストセラーになった本が複数ある、とても有名で最高に優秀な生物学者だそうで、ごめんなさい、全然知りませんでした。その人となりはまあ脇へ置いておいて、ともかくわたしは彼が予告の中で口にした発言の中身が知りたかった。「1年前の自分といまの自分が、生物学的には全然別人である」とはいったいどういう意味か。わたしはソファの上に身を乗り出して、福岡教授の講義を真剣に聞き始めたのだ。

福岡伸一さんのことを知らなかったぐらいなので、わたしには生物学の知識がまるでない。番組の講義の舞台は青山学院大学で、福岡さんはそこの教授を務めておられるそうだ。あらゆる学部から学生が集まるためか、福岡教授はほとんど専門用語らしい言葉を使わず、実に平易にゆっくりと語ってくれた。とてもわかりやすい。わかりやすいのだが、それすら完全に伝えられないぐらいわたしの頭は非生物学的である。だから、これからわたしが先生の言葉を要約するつもりで書く文章は、どうぞ鵜呑みにしないでください。先生の著書を愛読している人がいたら、わたしをぶたないでください。おねがいします。

1年前の自分といまの自分は、中身が完全に入れ替わっている。これがどういう意味かというと、細胞が生まれ変わっているということだ。角質が28日周期で生まれ変わる、毛が抜けて新しい毛が生えてくる、まあそのぐらいならわたしも知っている。体にはおよそ37兆個の細胞があって、それらは生きている限り何度も何度も生まれ変わりを繰り返している。ただその繰り返されるスピードが、ものすごく早いのだ。1年前にあなたという人間を形作っていた37兆個の細胞は、いまのあなたの体内にはひとつも残っていないという。1年前のあなたの目玉と、いまのあなたの目玉とは、全然別物なのです。いわば新しい目玉になっているのです。

なぜ細胞がそんなにせわしなく生まれ変わっているのか。それは、宇宙の大原則である「エントロピー増大則」に抗うためだと福岡教授は説明した。つまり「秩序あるものは無秩序化する」。うむ。さっぱり意味がわからないわたしのような者のために、福岡教授は大変わかりやすい例え話をしてくれた。地震に強い頑健な建物を作ったとします。100年は大丈夫。メンテナンスを繰り返せば200年程度は保証します。しかしそれが1,000年後にはどうなるか。10,000年後は?どんなに頑丈に作っていたとしても風化が始まり、いずれ朽ち果てて消滅してしまう。築き上げたものはいつか壊れて姿をなくす。
生物は38億年も生きながらえてきた。朽ち果てることにどう対抗してきたのか。細胞を積極的に壊すことにしたのだ。エントロピー増大則が襲ってくるより前に、どんどん先回りして細胞を壊していく。体の中をわざと不安定な状態にして、それを補うための新しい細胞が生まれる環境を作る。生まれた細胞をまた壊し、次を生み出す。生きている間延々と続く、分解と合成。

みなさんは自分の体を個体のように思っているだろうけれども、実は常に大きく動いている。流動体なのだと福岡教授は言いました。動きながら、いつも新しく生まれ変わっている。

なんだかね、大きな勇気をもらいました。
過去なんて全然関係ない。今日は今日。明日は明日。将来の心配なんてものもない。一年後にはもうまっさらな自分なんです。なんて気持ちがいいんだろう。
いまだけ見て生きていればいい。いまを楽しんでいればいい。
四年前に父を突然亡くした頃からずっとそう思って生きてきたけれど、それでいいんだよと言ってもらえたような気になりました。体がどんどん生まれ変わり続けているのに、頭の中だけ何かに固執するなんて、どうにもちぐはぐだ。

ちなみに、それほど細胞が常に新しく生まれ変わっているのに、なぜ老けるのかという無邪気な質問をした方がいて、福岡教授はこう答えておられました。生まれ変わるといっても、前の細胞に残った老廃物はそのまま引き継がれる。きれいに掃除をしたつもりでも部屋の隅に取りきれないゴミがこびりついているようなもので、少しずつ溜まっていくその老廃物が、次第に老いとなって現れるそうです。

分解があり、合成が起こる。そのサイクルを絶え間なく繰り返すことで、高次元の安定を作り続ける。この考え方を「動的平衡」と呼ぶらしい。
最後の講義が終わり学生がみな去ったあと、教壇の上に置かれたノートにゲストがひとこと書き残すシーンがあった。福岡教授は、「あとはまかせた!」と全部ひらがなで書いて、その下に大きな四角いハンコを押した。ハンコの左半分には福岡伸一という名前があり、右半分には「動的平衡」という言葉が同じ大きさで彫られてあった。
お茶目な福岡さんを、わたしはいっぺんで好きになった。
流動体のわたし、いまを楽しんで生きます!


(最後に)
長くなったついでに書き添えると、「最後の講義」はアメリカの有名大学で実際に行なわれているものらしい。2007年にカーネギーメロン大学で、ランディ・パウシュ教授が行なった最後の講義の内容の日本語訳文をネットで見つけた。少しだけ目を通すつもりが、5ページに渡る全文を読み切ってしまい、こちらにも非常に感銘を受けたので、ぜひシェアしたい。当時、余命半年を宣告されていた教授による講義です。

最後の講義「こどもの頃の夢を実現させる方法」/ランディ・パウシュ教授

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。