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純ちゃんの濃厚ワンマンライブ

 戸川純のワンマンライブを見てきました。
 見る前は、見終わった感想を軽く4コマ漫画に描くつもりでいたけれど、ライブの内容があまりに濃すぎて私のゆるゆる漫画では表現できないのと、でもやっぱりその濃さを少しでも伝えたい気持ちがあるのとで、文章で書いてみることにします。

 戸川純が岡山でワンマンライブをやる、という情報を、私は友人のむーちょさんから聞きました。むーちょさんは保護猫活動をするかたわら、サルサバンドのリーダーとしてピアノを演奏していて、今月半ばに自身のワンマンライブを、その同じ「デスペラード」というライブハウスでやることになっています。1月下旬に打ち合わせで訪れたデスペラードで、3月2日に戸川純が来ることを知り、いち早く私に教えてくれたのでした。

 最盛期の戸川純のファンだった私たちは、ライブには行ったことがなく、実に30年越しの夢が叶う形で、間近に彼女の生歌を聴く機会を得ることになりました。前売り券を買い、「TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST & RARE 1979-2008」を聞きまくり、それぞれ楽しみにライブ当日を迎えたわけです。

 ちょうど開場時間にデスペラードに到着した私たちは、中へ入ろうとする客の長蛇の列におののきました。開演までにはあと1時間あります。ライブはオールスタンディング。いま入っても立って待っていなければなりません。体力に自信のない私たちは、そそくさと近所のパブに入り、ソーセージをつまみにビールを飲み始めました。カウンター席に並んで、純ちゃんのどの歌が好きか、かつての純ちゃんのどんなところに惹かれていたかを語り合いながら、開演までの時間をテンション高く過ごしました。

 開演10分前にデスペラードに入りました。狭い会場に120人ぐらいでしょうか、みんなステージのほうを向いて立っていました。金髪の若い女性グループの隣に、還暦を過ぎたような白髪のおじさん、おばさんたち。まあ私たちもおばさん組で、平均年齢は高めのようでした。ワンドリンクでまたアルコールを頼み、いい感じにふんわり酔いを感じながら、ざわつく会場の中で私たちも純ちゃんが登場するのをわくわくと待っていました。

 かなり待って、ついに会場のライトが落ちていきました。楽器がセットされたステージに、次々と現れるメンバーのシルエット。最後に純ちゃんの黒い影が見えて、一気に拍手や歓声が大きくなりました。薄暗かったステージにライトが当たると、客はみんな前のめりになって声を上げました。

 なんだか予想していたのと違うな、ということは、このときにもう感じていました。なにより演奏が始まらないし、ステージの上がしんとしている。
 神妙な顔つきの純ちゃんが、マイクに向かって声を発しました。ご存知の方も多いと思いますが、実は……。純ちゃんが舌足らずの声で途切れ途切れに語る内容に、私は耳を疑いました。バンドのギタリストがつい3日前に、交通事故で急逝したというのです。
 石塚"BERA"伯広さんという、80年代には筋肉少女帯のギタリストで、それ以降も戸川純を始め、様々なバンドのメンバーをつとめていた人だそうです。BERAさんと懇意だったギタリストが急遽代役をすることになり、なんとか東京からメンバーみんなで岡山入りをしたという話でした。

 純ちゃんが座る椅子の隣に丸いテーブルがあり、その上に真っ赤な花がこんもりと丸く飾られていました。それが「BERAちゃん」への献花でした。純ちゃんは、以前BERAちゃんが、その赤い色いいねと言ったらしい、くすんだ赤に黒い縁取りがデザインされたエプロンドレスを着ていました。お揃いのウサ耳帽も持っているのだけれど、全部赤というのはアレなので、同じウサ耳帽でも色は違うものにしましたと純ちゃんは言いました。白い帽子で、耳の内側と大きなリボンが黒でした。

 私はそのBERAさんというギタリストをまったく知らず、事故の話がネットニュースに流れていたのにも気づかずにいたので、急逝したという話に大きな衝撃を受けました。しかもたった3日前。つい先日のリハのあと、じゃあ岡山でね、と言葉を交わしたばかりだというのです。そのあとすぐに事故に遭われたというのです。

 重ねて私は、純ちゃん本人の姿にも、驚きを隠せませんでした。彼女は12年ほど前に何かで大ケガをしたらしく、腰と膝を痛めており、その後遺症がいまも続いているために、立って歌うことが困難なのです。だからライブでもステージに用意された椅子に腰掛け、座ったまま歌ったり話したりしているということでした。
 この事実も私には初耳で、まさに二重のショックでした。後遺症に苦しむ純ちゃんは、顔や体がむくんでいました。運動ができないので太ってしまったと彼女は言いました。あの網タイツ姿でセクシーに踊っていた当時の面影だけが頭にこびりついていた私は、すぐそこのステージに着座しているロリータ服の大柄な純ちゃんを凝視しながら、どうかして早くこの現実を受け入れようと必死でした。

 けれどもそんな私の混乱は、時間にすればほんの数分で解消されました。すっかり耳に馴染んでいる戸川純の歌が、バンドの演奏と共に当の本人の声で狭い会場を埋め始めると、拳を上げて体を揺らす客と共に私もすっかり波の一部となり、一緒に歓声を上げていました。
 若い頃とは違う歌声。BERAちゃんの思い出話。アカペラ。腰がまた悪化しているという告白。いろいろなものや現象がないまぜになり、時間が進むごとにライブの中身が濃く深くなっていきました。

 腰と喉の養生のため、ライブは二部制をとっていました。間に20分程度のインターバルを挟み、それでも純ちゃんはかなり激しいものも含めて20曲ほどを熱唱してくれました。二部の最後の1曲と、アンコール曲は椅子から立ち上がり、私たちに手を振りながら歌ってくれました。立って歌うと声量がさらに大きくなり、客のボルテージが最高潮に上がって、みんな頭を振りました。

 アンコール曲を歌い終わったあと、純ちゃんが言いました。
 岡山のライブは無理じゃないかとメンバーのみんなで話していた。でもBERAちゃんの供養になるだろうから、なんとかやろうと決めた。悲しくて歌なんか歌えないかもしれないと思っていたけれど、なんとかみんなで乗り越えることができた。お客さんのおかげでもある。ありがとう。忘れられないライブになっちゃった。

 またねと言って、純ちゃんはステージを去っていきました。大声援に見送られながら。純ちゃんはカッコいい。可愛くて心の美しい人だと思いました。いつも一緒にステージにいた人の圧倒的な不在をひしひしと感じながら、心も体もきっとボロボロの状態で、代役のギタリストに優しいまなざしを向けていた純ちゃん。MCで何度も笑わせてくれた純ちゃん。

 ライブが終わったのはちょうど10時でした。外へ出ると汗ばんだ体に寒風が吹きつけ、むーちょさんと二人で思わず身震いしました。2週間後、今度はむーちょさんのバンドのワンマンライブを見に、私はまたここへ来ます。きっと純ちゃんのライブを思い出すことでしょう。同じステージに立つむーちょさんは、なおさら感慨深いでしょう。
 むーちょさんと私は、どこにも寄らず家路につきました。帰宅してからも私は胸がいっぱいで、空腹なはずなのに何も食べたり飲んだりしたいと思わず、お風呂に入ってそのまま寝ました。

 3月31日は、純ちゃんの58回めの誕生日だそうです。東京で30日にバースデーライブをやるとのこと。
 いま手元にある昨日のチケットに、BERAさんの名前も載っています。純ちゃんは来年もまた岡山に来ると言ってくれました。また会いに行きたいです。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。