2019年を振り返る

2019年も残すところわずか。4月に会社に行けなくなり、それから12月になって不特定多数の人々と交流し、人前に立つところまで回復できました。しかしたった数日のことだったのに、免疫低下著しくダウンしております。メンタルは元気です。渦中、交流は難しかった会社の人や友達とも会いたいなと思うようになってきました。

やばかった時期を支えてくれたパートナー(どれだけ睡眠不足にさせたか、心配かけたか計り知れない)、やばい私を疎ましがらず案じてくれて、本質を理解してくれようとした友人たちのおかげです。

やめた会社に12年?いても何も残らなかったわなんて自暴自棄だったけど、全然そんなことはなかった。

では振り返り。2大事件につきますがいくつか。

その1 会社でついに壊れ休職、からの退職

あの日の手の震えと、涙が止まらずそのまま電車に乗って見た多摩川が夕陽を浴びてキラキラしていて、きれいでつらくて車内で嗚咽して。明日からどうしようってこんなに絶望的な気持ちになったのは十数年ぶりだなと。当時のメンバーにやられたっていうのは大いにあるんだけど、そもそも自分自身が抱える闇キャパと職場のブラックなタイミングが一致しちゃっただけで、彼らが特段悪かったとは思っていません。だからもし変に罪悪感みたいなのは感じてたらそんな必要ないです。そんなこと思うような奴らじゃないがw 何年もずっと闇爆弾が歩いてるみたいなオーラだったと自分自身思うし、あの会社にいることで自己肯定感がどんどん低下していくのもわかってたんだけど、母のこともあり、壊れる前に決断することができなかったんです。いや、母のことがなくても、決断できなかったんだろうとも思う。ちゃんと退職したい気持ちはあったし、迷惑たくさん掛けちゃったことは申し訳なく思っていますが、わたしもたくさん被害を受けたので、これでよかったです。わたしを壊してくれてありがとうとすら思っています。壊れちゃった直後は闇雲に求人サイトばっかり見ちゃって、余計おかしくなってたなあ。。そんな状態の人間どこが採用するんだよと当時の自分につっこみたい。だけど母の生活費をどげんかせんといかんかったから、会社に戻れないなら次決めなきゃって思いでいっぱいでした。母に休職したって言ってもどこ吹く風でしたねw 愚痴なら聞くよとかほざいてました。愚痴聞く代わりに稼いでこいよってことだよねw 血管5本くらい切れそうなくらいイライラして行き場のない悲しみでした・・・。

その2 母の年齢詐称クビ事件、からの絶縁

休職後2か月ほどで起きた母の職場への年齢詐称クビ事件。休職してんねんよ、もう有給も尽きるんよ(つまり無給)、と言ったところで自分本位な母の態度は変わらずで、このおかげでついに毒親と気づくことができたのです・・・遅い・・・遅すぎるよ!!!ついに覚醒したはいいが、家が近所すぎて遭遇や訪問を恐れ恐怖の日々。とにかく怖かった・・・実際に殺しにかかってこないとは思うんだけど、殺しに怯えるレベルの恐怖だった。ラインブロックしてから何のアクションも起こされず無事に4か月経過しました。現在、おそらく生活保護を受け生活しているものと思われます。わたしの気持ちも時間とともに変化してきた部分があります。覚醒前、母のことがとても哀れ(だから自分が助けてあげなきゃ)と思っていたんですが、今はまったく、母の自業自得の極みです。ただ、哀れのかわりに憎しみがかなり沸いてしまって、そういう感情は今後少なくしていきたい課題です。わたしもあと数か月で40ですから、もっと早く覚醒していたら、可能性がどれだけ広がったかと悔やむところは多々あります。だけどこれまでの、ちょっと人には気安く言えないようなつらい体験とかがあって、今こうして立ち直っていって、人の痛みを癒していける大人になっていきたい。いろんな人に支えてもらったから。あと、絶縁とは言え、家は知られてるし、本人に絶縁しますとハッキリ伝えたわけじゃないから、母が絶縁と認識しているかは微妙なところで。わたしに精神疾患があるから一時的に距離を置いているくらいなんだろうな。来年に母のアパートの更新があり、わたしが保証人になっており、法的に辞退するつもりなので、そこで母には絶縁と認識してもらいたいです。

その3 相澤皮膚科で炎症ニキビがほぼなくなった

母への経済援助を打ち切り、時間もできたし自分磨き~と、長年の悩みであった大人ニキビの治療を本格的にしようと相澤皮膚科に通いだしました。初診時、3か月くらいで良くなると伝えられたのですが、いま3か月ちょっと、まさにその通りです・・・。あれだけ毎日ボコボコできていた炎症ニキビはできなくなり、気になるのは跡だなってところまで前進しました!!中学生以来今が一番肌がきれいかもしれないという奇跡の(?)アラフォーです。相澤皮膚科は高いし時間かかるし、気合い入れないとなかなか行きにくいと思いますが、行く価値のある名医だと思います。

その4 ジュエリー販売をした

何年も前からジュエリー業界へ転職したいとすら本気で考えていたのに、こんな年になってしまい、もう無理~てか働くことを考えずに焦らず治そうと思っていたら、ひょんな出会いでジュエリー販売のお手伝いをさせてもらうことに。だいぶ緊張したけど、気楽な立場ってこともあり、すごく楽しくて。今までの会社勤めでは知り合えないような人たちと出会えたのもおもしろかったし、ところ変わって自分の長所を見つけることができた気がする。なぜあんなに自分は無価値だと思っていたんだろう。いろんな感情の蓄積っておそろしいです。

いろんな働き方してる人がいるんだなと知れたし、来年も引き続き焦らず、自分なりのいい形を見つけられるよう前進していきたいです。なんといっても来年は40歳!ハタチから20年経って、ようやく成人できたような感すらある。今年の色々は明るい今後への幕開けだと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?