人を愛したいなら、愛されること - 褒め文化に生きて生まれ変わったはなし。
やさしいね
そう、声をかけてもらうことが多くなった。
勉強がうまくいかない人に
筋トレ頑張っている人に
服のコーディネートが素敵な人に
たくさん褒めて、共感して、ただ純粋に感じていることを言葉にしているだけだけど、みんな「ありがとう」と言ってくれる。
私のほうこそ、いろんな気持ちを伝えてくれて、そこからたくさん学びがあるので「ありがとう」でいっぱいなのに。
こんなに素直になれたのは、ここ1、2年… いや、今年になってからかもしれない。
それまでの私は、人の良いところを見つけても自分と比較してどこか屈辱感を抱いたり、褒められても「どうせお世辞にすぎない、裏では悪口を言っているんだろう」と素直になれなかった。
それは「謙遜」とか「本音と建て前」をしっかり植え付けられてきた日本社会のせいかもしれないし、はたまた自分の自己肯定感とか自尊心の低さからくるものかもしれない。
日本文化と個人の性格の在り方は密に関わっているが、それは話すと長くなるのでまたの機会に…
いずれにせよ自分に対する自信のなさのせいで、相手のことも素直に肯定できていなかった。
転機はアメリカ留学。
現地の人と接していると、彼らは常にポジティブだ。
内心どう思っているかはわからないが、発する言葉とか、言葉に乗せられた「気」みたいなものがいつも明るいのだ。
そして、彼らはよく褒める。
知り合いだろうがただすれ違っただけだろうが関係ない。
あなたのスカート素敵ね
今日の髪型、イケてるね
そのコート、あったかそうね
君のエッセイ、すごくよかったよ感動した!クラスで一番だよ!
なんでも、気がついたことはすぐに褒める、堂々と。
そして褒められた方も「ありがとう」とにっこり返す、堂々と。
あ、これでいいのか
こんなに風通しの良い褒め方・褒めの受け取り方があるのか
そんな、すとんっ、と腑に落ちたような、自分がここにいていいのだと認められたような、安心感と安堵と感動でそっと胸がいっぱいになった。
褒める・褒められる ことに裏も表もいらないんだ
素敵だから、認めてあげたいから、尊敬しているから、そんな心の声をしっかり声に出して伝えることに罪悪感とか否定とかは必要ない。
堂々と褒めて、褒められて、そんなことに慣れた私はおかげでちょっとずつ自尊心と自己肯定感が伸びていった。
自分にやさしくなると、次第に他人にもやさしく接することができるようになった。
やさしく、は少し抽象的だが、「見返りを求めず相手のことを思って素直に行動できるようになった」感じだ。
道案内
話し相手
褒めること
なんでも、「やらないと自分のイメージが悪くなる」というネガティブな他人目線ではなく、「私があなたのことを考えて、してあげたいこと」を素直にできるようになった。
そして笑顔も増えた。
自分に自信がないと他人の視線が気になり、常に悪口を言われているのではないかとびくびくしていた。
しかし今では堂々と背筋を伸ばして立ち、口角を上げていることが当たり前になった。
そうしようと無理やりしているのではなく、自然と。
バイト先のスタッフに「なんで笑ってるの?」なんて聞かれるほどだ。
笑顔で接すると、気難しい顔をした人もつられて笑顔を見せてくれる。
私はその瞬間がたまらなく好きだ。
少しでも心が元気に、明るくなってほしい、そう思うから。
自分にやさしくしなきゃ、と義務として考えるとつらくなるしそれだと決して幸せになれない。
愛してくれる人を見つけること
愛してくれる場所へ行くこと
今生きている場所だけが世界じゃない。
愛され、愛することのできる自分だけの場所は必ずある。
頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。