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一人で行動してみる、人生が変わった

高校までの私

常に誰かと一緒が良かった。
休み時間、お手洗いや移動教室でもなんでも一緒に行動する人がいないと不安だった。
いつも一緒にいる友達がいた。

その子たちが用事でいないときは普段話さないけど仲が悪いわけではない人、いわゆる私にとって「都合のいい人」を見つけては一緒にいた。

居心地がよかったり、たわいない話をするのが楽しかったり、そんな友達は大好きだ。
ただ一緒にいるだけでいい。

しかしそれ以上に、「他人から見た自分」を気にしていた。

一人でいると友達がいないと思われてしまう。
一人だと自分が弱者のように感じてしまう。
自分が一人でいるとき、近くに数人で固まっているグループがいると、私の悪口を言っていると思ってしまう。

それはクラスで権力のある女子がいつもグループで行動していて、一人でいる子や気にくわない子を目の敵にしていたのを見ていたのもあると思う。
一人でいるのは寂しいことだ、と刷り込まれたまま、私はアメリカへ行った。


アメリカで、単独行動してみる

留学先の大学には、日本人は約20人。
私は独りぼっちになるまいと気が合いそうな日本人とくっついていた。
始めの1,2週間は上手くいった。
しかし、大学生活が落ち着いてくると、本性?が出てくるのか付き合う人やグループも変わりやがて定着した。

私は誰とも一緒にならなかった。
気の合う人がいなかった。

そして英語に自信がなく、アメリカ人の友達もいなかった。

仕方がないので毎日単独行動した。日本人とは時々授業へ向かう道や図書館で挨拶する程度。
他の子が日本人同士固まっているのを見ると、疎外感や孤独を感じたが、気が合わないのだから仕方ない。


輝く人

ほとんどの日本人はいくつかのグループを作り、その居心地の良いコミュニティの中で生活していた。せっかくアメリカにいるのに日本の学校と何一つ変わらない。

そんな中で特定の人と団体行動せず、いつも忙しそうに動き回る人がいた。
日本人の、一つ学年が上の先輩だ。


彼女は明るくて物おじしない、興味のあることにはどんどん挑戦する人だった。
誰といるか、一人でいるか、なんて彼女にはどうでもよかった。
話したいときに話す、助けが必要なら手伝う、または頼む、時間が合えば一緒にご飯を食べる…

他人の目ではなく、自分を一番に考えて行動していた。

彼女の周りはいつも笑顔で溢れていた。もちろん彼女も笑顔。

「やっほー!」と言ってもらえるだけで元気が出る。


ああ、これでいいんだ。
自分を大切にしよう。
私がどうありたいか、私が何をしたいか。

これを考えるだけで、幸せになれるし、幸せな人の周りにはたくさんの人が集まってくる。

おどおどしていた、自分に自信のない日本にいたころの自分はもういなかった。

自分を変えるチャンスだ。どうせここには過去の自分を知る人なんていないのだから。


アメリカで多くの出会った人に言われたこと:


「あなたの行動力は素晴らしい。いつも自分にできること、やりたいことを探しているね」


昔の自分が聞いたら信じられないだろう。


日本にいたときは全然違ってたんだよ、と言っても絶対信じてもらえないほど、私は変わっていたのだから。


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