日常にロマンチックを
ロマンチックなもの、ノスタルジックなものを徹底的に追い求めて行くと、もっともロマンチックでないもの、もっともノスタルジックでないものに行き当たる。
これは岸政彦氏の「断片的な社会学」に出てくる文章だ。
本来そこに存在することに疑問を持たれない、あるいは存在することすら気づかれないものが一番ロマンチックということだ。
ロマンチックということばは、甘くてはかなくてうっとりしていて存在そのものが人を幸せにする、そんなイメージを与えてくれる。
ロマンチックの定義によれば、それは必ずしも恋愛とか恋だとかが関わる必要はない。
今朝、私はいつもより少し早起きをした。
リビングで白湯にレモン汁を入れ、それを飲みながら「断片的なものの社会学」を読んでいた。
朝日が昇ると同時に蝉が一斉に鳴きだし、軽井沢の避暑地から蒸し暑い田舎へと引き戻されたかのようだ。
しばらくすると母が起きてきた。
お茶を一杯飲んで口を潤すと水を入れたやかんを火にかけて朝食の支度を始めた。
私は本を読み続ける。
蝉の大合唱
包丁で野菜を刻む音
沸騰した水がやかんの蓋を押し上げてカタカタといわせる
母の朝食の支度が終わるころ、私も読書を止めてふう、っと一息ついて白湯を飲む。
おなかが空いた
そんなことを思いながら本を書斎に戻しに行く。
書斎の窓を開けると、蝉の大合唱が一段と大きく聞こえる。
自分の椅子に座り机に本を置く。
スマホを開いてSNSをのぞく。
朝ごはんを食べる人
ランニングに行く人
朝帰りの人
今日もそれぞれの一日が始まる。
なんでもない朝
誰の目にも止まらない、映画や本になるわけでもない平凡な日常
しかし一つ一つの欠片は儚く、尊くて同じ日や瞬間は二度と来ない。
ロマンチックだ
大学へと出発する妹を見送りながら、こっそりと心の中で呟いてみる。
夏、ロマンチックを意識して生活するのもいいかもしれない。
頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。