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海外へ行くことは「逃げ」なのか「挑戦」なのか


海外の大学へ長期留学するために家族会議が開かれた。

本来の約束では海外で2年間勉強した後、日本の大学に編入することになっていた。
しかし2年間海外で過ごした私はそれまで持っていた「当たり前」の基準が壊され、さまざまな価値観や考えに触れ、全く異なる自分になっていた。

もっと自分の「当たり前」を壊していきたい、自分の限界を超えて挑戦したい

その思いは膨れ、留学をあと2年間伸ばしてもらうようお願いした。

家族、特に父は大反対。
当初の約束である2年間という期間を守らないことに対する怒りはもちろんのこと、それ以上に父が激怒したのは「日本にいては価値観が合わない、日本の社会は生きにくいという理由で留学するのは適応する努力を避けているだけであり、単なるわがままだ」という。

私は海外に住みながらその国や土地の生活、生き方を感じつつ日本を外から見てきた。
日本だと理不尽なことですら仕方ないと妥協せざるをえないことがたくさんあることに気づいた。
セクハラ、性的暴力なんかが特にそうだ。

未遂で終われば「よかったね」なんて言われる
セクハラされるっていうことは、魅力があるっていうこと、喜ばなきゃ

そんな声をかけられた人がいる
スカートをはいたり、肌を露出した服を着れば性的な目で見られたり合意なしに触られても文句をいえない

そんな加害者にとって都合の良いことが当たりまえであっていいはずがない。

それ以外にも人格や人権を見た目によって決めつけられることもストレスだった。

以前テレビ番組で、芸能人を推測で体重の軽い順番に並び替える、というコーナーがあった。
こんな企画が放送され、しかも誰も疑問を持たないことが異常だと思った。


一定の体重を目標にダイエットするのはその人の自由だが、数値を顔に貼って歩いているわけではない。まして体重をもとにランク付けするようなことはモラル的に考えておかしい。


他にも日本にいて「生きにくい」と感じることはたくさんあるが、これらの理由で留学を延長したいとお願いした。

父は「悪気がなくセクハラに値する言葉を言う人はいる。そんな時はそれはセクハラだとぴしゃっと言ってやればいい」と言った。

そんなことが内気な私にできれば苦労しない。
しかも同じ人に何回、何億回言えばやめてくれるのか。


生活するうえで妥協できる点、我慢できない点は人それぞれだ。


電車が1分遅れたらいらいらする日本
公共交通機関は遅れたり突然キャンセルになって当たり前の海外
セクハラをされた側に問題があるとみなす日本
性暴力を受けたら加害者を徹底的にこらしめ被害者を守る海外
コンビニやインスタント食品が安く手に入り、美味しいが添加物だらけの日本
加工食品は少ないが新鮮な野菜や果物が安く手に入る海外


何が良くて、何が悪いか
全てが完璧な国や地域は存在しない

どこに住んでもメリット、デメリットはある
大事なのは自分にとって「生きやすいか」

モラルに対する意識に関して、私は日本に住むのが居心地が悪いと感じた。
しかし海外に行けば全て解決ではない。言語も生活スタイルも違うので、日本では全く苦労しなかった小さなことでつまずくことが毎日ある。
それでも私は海外に行く。


しんどくて身体と心がぼろぼろになるまで頑張るだけがえらいんじゃない。


私は私らしく生きたいだけ
何においても「逃げ」はない。
あるのは新しい世界への挑戦だけ

頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。