休日のジム通いとプロテイン - 「みんな一緒」じゃなくて、「オンリーワン」じゃだめですか?


期間限定レストランで働き始めて数週間。毎日自宅と往復するには遠すぎるので、スタッフはレストラン近くの宿舎に宿泊している。

宿舎は二つあり、私以外のスタッフは一つの家で部屋を割り振って各々、そして私はもう一つの家を一人で使用している。

私がかなり優遇されているように聞こえるが、部屋は一室のみ、冷蔵庫や電子レンジもなく部屋をだんごむしが歩き回るような環境である。

「一人で住むの、羨ましい~」ではなく、「あの家に住んでるの?大丈夫?やばいでしょ」と声をかけられるのでそのやばさが伝わるだろうか。


そんなスタッフたち、年齢や職業はさまざまで仲が良い。




しかし私には「うーん…」と思うことがある。
夕ご飯と休日の過ごし方について。


夕ご飯は閉店後、その日余った食材を使って食べたいスタッフが集まり食べる。


お昼ごはんが夕方になることもありあまりお腹の空かない私は、夕飯は家でプロテインやプロテインバーで済ませる。


しかし「夕飯をスタッフと食べない」「プロテインを飲む」という行動はどうやら異質に映るらしい。


「今日も夕飯、食べないの?」
「プロテイン、飲んでるんだってね」


単なる質問というよりも、「自分の常識と異なる行動をとる人の考えがわからない、おかしい」といった偏見や差別的なまなざしを感じてしまうのは私が敏感すぎるのだろうか。



また、休日の過ごし方についての話題のとき。

私はジムに行き身体を動かすことが趣味なので、休みを頂くたびに毎朝ジムへ行っているのだが、それも「普通ではない」と捉えられているようだ。


「身体、鍛えてるんだ」
「プロテインまで飲むなんて、気合入ってるね」
「次のお休みもジム行くんですか?(笑)」


どうして何気ないやりとりがちくちくと心に刺さるのだろう。

私は筋トレを誰かに勧めたり、プロテインを押し売りしているのではない。
全て自分のために、自分がやりたくてやっているのだ。


私とスタッフとの間には、「無意識の偏見・差別」「同調圧力と異質な存在・行動に対する抵抗のなさと受け止め方に対する無知」があると思う。


つまり、「みんな一緒が当たり前なのに一人だけ違うことをしている人がいるから足並みが揃わなくて気持ち悪い」のではないか。

みんな一緒に夕飯を食べるのが当たり前
筋トレを日課にしてる人が周りにいないのが当たり前
プロテインはマッチョになりたい人のためだから、一般の女性が飲むのはおかしい

そんな偏った「当たり前」に何の疑問を持たずに、またそれに当てはまらない人物や事柄を全く知ることなく生きてきた人にとって私の存在は全くの異文化・異世界なのだろう。


グローバル化とかパワハラセクハラとかいろいろな価値観に対して見直す時期が来ているが、もっと身近な、自分の30センチとなりにいる人との関係を考えてみてほしい。


「全部いっしょ」ではなく、「ちがうことが当たり前」に焦点を置いてみてはどうだろう。


自分と相手、食の好みや特技、身長や髪の毛の色は違って当然でありそこに疑問を持つ人は少ないのに目に見えない価値観となると途端に「みんな、いっしょだよね?」と不安になる。


この「みんないっしょじゃないとおかしい」の考えが時に私が味わったように人を苦しめつける。



一緒じゃなくて、いいんだよ
みんなちがって、当たり前なんだよ


大勢で楽しく食事をしたい人、一人でゆっくり料理を作り映画を観ながら家でのんびり食べたい人

ジムに行き身体を動かす人、家でお昼すぎまで寝る人


どっちが良い悪いなんてない、どれも違うベクトルを持っていて同じものさしで測るなんて不可能なのだから。



気になること、知らないことはどんどん聞いてほしいし話したい
でも好奇心と差別・偏見をごちゃごちゃにすることは決して起きてはいけない。



何はともあれ、私は今日もジムへ行く。

頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。