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石壁に座る

 恋人同士で石壁に座る、なんて、おかしな話だ、とノリコは思う。心中でもあるまいし。

 それでもノリコは今まさに恋人同士で石壁に座っていて、思いとは裏腹のあれこれのあり方になんだか妙な気持ちになる。

(つまり、タカヒロはちょっと、センチメンタルに過ぎるんだよな)

 ノリコを海辺に連れ出したのはタカヒロで、石壁を見つけたのもタカヒロで、切り立って小高いその上へ、おもむろに座ってみせたのもタカヒロだ。それからずっと黙りこくったのもタカヒロで、ノリコの言葉にうんうんと相槌を打つだけなのもタカヒロなのだ。

(いったい、どういうことなんだか)

 四月の海辺は少し肌寒かった。ノリコは俄然、色々を話した。肌寒さの合間に沈黙が見つかれば、すぐにそいつを掴んでしまって、遠い海の方へ放ってしまって、そうして何でもない顔で、空いた隙間に言葉を押し込んだ。タカヒロはうんうんと頷いた。ノリコは俄然、色々を話した。

 昨日読んだ本のこと、先週行った雑貨屋のこと、今日は起きてすぐに珈琲を淹れたこと、明日は美容院を予約していること、平日はあまり楽しみじゃないこと、来週末は予定が空いていて、遠出もいいなと思っていること、四月は少し肌寒いけど、海の景色は綺麗だということ。海の景色は、遠くまで澄んだそれは、奥底まで輝いたそれは、はなやぎ、潤んで、儚い、それは、言い切れない、言葉では、もう、どうにも、言うことができない、魚や、鳥や、泡や、貝殻、夢、イルカや、イソギンチャク、深海の息苦しさや、どうにもならなさ、不安、悲しい、それでも、流れる、豊かさ、生きるということの、赤い、柔らかな光は、どうしようもなく、綺麗、ということ。ノリコは俄然、色々を話した。タカヒロはうんうんと頷いた。

 ふと、音がした。トオンという音。汽笛か、警笛か、あるいはもっと柔らかな音。海の底でくぐもったような、世界の栓が抜けたような音。

 それが合図したように、ふっと、タカヒロは口を開いた。二言、三言、呟いた。

 ノリコは、ふう、と息を吐いた。沈黙が沈黙のまま、酸素みたいに漂った。

(いったい、どういうことなんだか)

 ノリコは静けさにはっとして、急いで足をぷらぷらさせて、風の冷たさを確かめながら、遠くでゆらゆら揺れる、ぼやけた陽の光をじっと睨んだ。

 恋人同士で石壁に座る、なんて、おかしな話だ、とノリコは思う。それでも、恋人でもない人と座るよりは、随分マシなんだな、と、ノリコは思い直して、それから、そういえば、さっき聞いた音はなんだったんだろう、と、トオンという、あの音の、その所在について、しばらく、考えることにした。

(2020.6.27)

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