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ディスクドッグ=ガール ⑩ パッと咲いて散って灰に 2

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 ディアナとスロワーがグランドに立つと、観客は歓声をあげた。サクラはその様子に鼻を鳴らす。
「ディアナは確かにすごいけど、90点台なら、あたし達も練習で出したことがあるもの。自己採点だけど……今日は調子がいいし、あたしは勝てると思ってるわ。大輔はどう?」
「あ、ああ」
 主役登場と言わんばかりの空気に飲み込まれかけ、大輔は一瞬反応が遅れた。確かに、サクラの言うことは事実だ。自主練習での採点だが、距離を大幅に延ばした上でジャンプがキレイに決まれば、90点台でもおかしくない演技だってできた。
(だが……ディアナの本気の演技がどの程度なのか、俺たちはまだ見ていない)
 サクラのモチベーションに響きそうなので口には出さなかったが、大輔はそれだけが気がかりだった。

 ディアナの1回目の演技が始まる。ディアナは軽くスロワーに目くばせし、走り出す。銀色の毛皮が風になびき、長い脚が地面をとらえ、ゆっくりと加速する。そして、勢いを保ったまま基準点で振り向き、飛んできたディスクをキャッチ。これまでと同じ完璧な演技に、観衆からは拍手がおこる。得点は91点。
「やっぱすげえなあ、ディアナは」
「これが地元で見られるんだからありがたいよ」
 観客たちの声援に、ディアナは頭を下げ、手を振ってこたえる。余裕だった。

 サクラの番。大輔への指示は、「全力で」だった。
「大丈夫よ。うまくいけば、91点だったら超えられる可能性があるわ」
 サクラの声は自分を励ましているようでもあった。大輔はうなずいて構え、サクラが走り出す。サクラは一瞬でトップスピードに乗り、小柄な体が弾丸のようにグラウンドをかける。今回初めてサクラを見たらしい観客たちから、驚きの声があがる。
 大輔は深く息をついて、自己ベストの点数が出たときのイメージを呼び起こした。角度、速度、サクラとの距離。彼女が飛べる最高地点に、ぴったりでディスクを届ける。まだだ。まだ、まだーー。

(勝てるのか?)
 不意に、研ぎ澄ましていた思考に影が差した。
(いいのか?)
 何が
(ディアナには勝てない)
(なのに無理をさせて)
(それでなんになる?)
(またお前の手で台無しにするのか?)

「ーーっくそっ!」
 かろうじて、タイミングが合った。ディスクはシャープな軌道で空間を滑り、サクラのもとへ飛んでいく。周囲が見れば、かなり良いスローだっただろう。だが、大輔本人には、微妙なずれがわかった。そしておそらくは、サクラにも。
「はあっ!」
 サクラは勢いをそのままに跳躍し、ディスクをキャッチした。ジャンプは高く、距離は十分だが、タイミングがわずかにずれたせいで、完璧な高さにはならなかった。観客からは拍手があがるが、サクラは息を荒くしてうつむき、それに答えることはなかった。そのまま退場し、エリの待つグラウンド脇に戻る。

「お疲れ様!よかったよ、点数もけっこう出たんじゃない?」
 戻ってきたサクラを、エリはつとめて元気に出迎えた。サクラは首を横に振る。
「……悪い、サクラ」
「うん、大丈夫。ほとんど完璧なタイミングだったし、コースもよかった。あと1回あるわ、しっかりいきましょう」
 得点が出た。90点。サクラがこれまで大会で出した得点では、一番高かった。エリは喜んでいたが、大輔とサクラは緊張を切らさない。
 サクラの感覚は正しい。言葉のニュアンスが、『まだ足りない』ことを、大輔に伝えている。ほぼ完璧、では足りないのだ。ディアナを超えるには。

 ディアナの2回目の演技。彼女は同じように優雅な足取りでグラウンドに立ち、二言ほどスロワーと話した後、いつも通りにスタートした。長いストライドで、加速する。加速していく。
「おい、どうしたんだあれ?!」「いきすぎじゃないか?!」
 観客がざわつき始める。明らかに、1回目と違う動きだった。ディアナの姿勢は映像で見たものよりずっと低く、走る速度はずっと速くなっている。ディスクがスロワーから放たれ、彼女に追いついていく。速度に乗ったまま基準点を超え、さらに先へ。
「うそでしょ?!」
 サクラは思わず立ち上がり、声を上げる。
 銀色の風のように駆け抜けたディアナは、基準点からかなり離れた位置できれいに踏み切り、高く跳躍してディスクをつかんだ。着地も全く乱れていない。一連の全てを、当然のようにやってみせた。
「すげえ!あのシバ系と同じぐらい走ってたな?!」「あんな演技もできるなんて……」
 得点は99点。ディスクドッグに関わって日が浅い大輔でも、およそ高校生の競技会で出る得点でないことは、容易にわかった。サクラは立ち上がったまま、エリは座り込んで、呆然とディアナを見ていた。

「エリ、ディアナのことは『走れる』選手じゃないと思ってたんだけど……まさか、サクラちゃんを挑発するために、リスクを負って……?」
「それは違うな。あれが本来の速度だ」
 驚くエリの後ろから声をかけたのは、2回戦の対戦相手だったスロワー、明だった。周囲にはドーベルマン3人もいる。
「今回の審査員たちは、もう何回もサクラの演技を見て、サクラの速度に『見慣れた』」
 明は端末を操作しながら、ディアナの1回目の演技を再生する。
「ディアナの1回目の演技は、本来なら93点以上行ってもおかしくないものだった。だが、サクラの速度に見慣れた審査員には、ディアナの演技は相対的に遅く、スピード感に欠けて見えてしまった。その結果が、芸術点に現れている。だから、2回目の演技では速度を上げた」
「そんなことまで計算しているの?90点台を出すだけでもすごいのに」
「プロの世界では、『審査員を読む』ことは、当然のように行われている。今までの演技では、体の美しさを見せるために、わざと走る速度を抑えていたんだろう。『ボルゾイ』……『速い』という名前は、伊達ではないということだな」
 明の言葉を裏付けるように、ディアナは息一つ乱さずに立って、サクラを見下ろしている。その瞳は穏やかで、挑発したり見下すような表情はない。
 
 ディアナが圧倒的なパフォーマンスを見せ、会場は騒然としていた。
「すごかったな、ディアナ」
「あれはヤバいよ。俺今年参加しなくてよかったわ」
「シバ系のあの子、あれを見せられてどうするんだろう……」
 そんな声が、大輔の耳にも聞こえた。99点という点数はそれだけ圧倒的だ。それが、走る速さと距離で稼ぐという、サクラが今まで勝ってきた方法で獲得されたものなら尚更だ。
「何してるの、やるわよダイスケ」
 すでに準備を終えたサクラが、大声で大輔を呼ぶ。
「正直、99点なんて出したこともないけど……あたしはまだ、走れる。ダイスケだって、本当はもっと遠くまで投げられるんでしょう?」
「それは、まあ……」
 大輔は口ごもる。事実、ただディスクを投げるだけであれば、大輔はそれこそグラウンドの端から、もう一方の端の壁まで届かせることができる。ディスクは良く飛ぶように作られているので、大輔でなくてもそれは可能だ。やらないのは、キャッチャーが到底とれる距離ではないからだ。
「だったら、あたしも走る。限界まで走って、それで……」
「……ごめんけど、サクラちゃん。エリは、賛成できないな」
 会話を聞いていたエリが、小さく、しかしはっきりと口をはさんだ。
「えっ」
 常に自分を応援してくれたエリの、予想外の言葉は、サクラの歩みを止めるのに十分だったようだ。
「だって、勝つためには100点取らないといけないんだよ?今まで通りにジャンプができるとしたって、どれだけ全速力で走らないといけないか……そんなの、絶対危ないに決まってるよ」
「エリ……」
「俺も賛成だな」
 明がタブレットの画面を見せながら言った。
「ざっと計算したが、芸術点が最低限の10点、ジャンプの高度が普段通りで減点なしと仮定しても、文字通りグラウンドの端まで走る必要がある。トップスピードで壁に激突しにいくようなものだ。単純に危険だし、現実的じゃない」
 サクラは、でも、と言いかけたが、実際の数字を見て口ごもる。
「ね、サクラちゃん。エリ、サクラちゃんはよく頑張ったと思うよ。ハイレベルな大会で準決勝まできて、点数も90点以上とって、すごいと思う。みんなそう思ってるよ。ここまでくれば大したものだって、お父さんも認めてくれるよ」
 エリの表情は真剣だ。友人として、サクラの身を真剣に案じている。
 サクラは大輔を見た。大輔はツバを飲んだ。大輔の中に、様々な考えが去来した。

(サクラにリスクのある演技をさせていいのか)
(父親との約束は?)
(リスクをとる選択を支持したのは、勝てるかもしれないからだ。勝てないとわかっているのに、そうする理由はどこにある?)
(また俺の手で、誰かを負けさせるのか?)
(俺が投げなければ、サクラは挑戦すらできなくなる)
(それでいいのか?)

「サクラ、俺は……」

 サクラはしばらく目を瞑って、開いた。そして、乾いた鼻先をひとつ舐めてから、大輔に言った。

「ダイスケ。聞いて」

 サクラが大輔の手をとる。初めて出会った時よりも、肉球が少し硬くなった気がした。

「相手は世界レベル。控えめに言っても敵わない。ここでキレイな演技をして、それなりの点数で退場。それでも、きっとダイスケを……あたし達を責めないわ。これまでのことをふりかえって、『小さい体でよくがんばった』って、もしかしたらパパもまたチャンスをくれるかもしれない」

 サクラはぐっと手を握る。

「予選と本選。あたしたちはすでに、たくさんの選手を倒してここにいる。その人たちを押しのけて、どかして、ここまで来た。その責任っていうのも、感じる。応援してくれる人、心配してくれる人……対戦相手のディアナまで、私を評価して、ケガを心配して。気にしてくれるみんながいる。本当に、うれしいことだと思う。あたしがムリすれば、あたしもみんなも傷つけるかもしれない。どうしたらいいのか、わからなくなったわ。でもね」

「全部、いいの。本当じゃないの。誰が傷つこうが、どこに転がり落ちようが構わない。きっとあたしは正しくない。間違ってる。だとしても、間違っていても、正しくなくても、あたしは走る。あたしは取る。そうしたいから、そうする。それだけが本当なの。だから」

 サクラの真っ黒な瞳に、大輔の姿が映る。

「絶対取るから。信じて」

 大輔は、手のひらにサクラの力強さを感じながら、一瞬目を閉じた。
 
(俺が投げることで発生する、サクラのリスク。サクラの父、タケアキとの約束。あの日の甲子園の後悔。ここで投げるのは、きっと正しいことじゃない。でも、それは全部ただの言い訳だ。雑音だ。それらを取り払って、残るものは何だ。俺が投げて、サクラが取る。取ってくれる。信じてくれる。それに答える。俺がやりたいのは、俺の『本当』はそれだ)

 覚悟が決まった。

「わかった。サクラを信じる。俺のことも、信じてくれ」

 春の風が吹き荒れる土壇場。サクラと大輔は静かに笑い、足を踏み出す。


ー ディスクドッグ=ガール ー
ー ⑩ パッと咲いて散って灰に ー


つづく


サウナに行きたいです!