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きさらぎチケット・トゥ・ライド ~ 都市伝説デスゲーム

0001

「お兄さん、これ」
 私が落とし物を渡すと、男性はぎょっとしたような顔で振り向いた。
「何をしてる」
「いや、だから落とし物って」
「そうじゃなくて、なんで追ってきた」
「そりゃ、あなたが気づかないで電車降りちゃうからでしょう」
 彼は私から落とし物の財布をひったくると、深くため息をついた。
「……後ろ、見てみろ」
「え?」
 彼の態度に少しムカっとしながらも、後ろを振り返ると。
「……何、ここ」
 今さっき降りたはずの電車は消え去り、あるのは真っ暗闇だけ。真っ昼間のJRに乗っていたはずだったのに。線路の脇には、古ぼけた駅名の看板が一つあるだけだ。
 『きさらぎ駅』。
「聞いたことねえか、『きさらぎ駅』」
 男性――小麦色の肌にぎょろっとした目、ドーベルマンみたいな、ちょっと怖い感じの――は、心底面倒そうな表情と口調で続けた。
「迷い込むと抜け出せない、どこにもない駅。お前は、その『都市伝説』に巻き込まれたんだよ」

「つまり、お兄さんは」
「五十嵐な」
 私たちは駅のホームを歩きながら話す。
「五十嵐さんは『きさらぎ駅』に用事があって、わざわざ来たんですね。本当は他にだれも降りないはずだったのに、お兄さんの落とし物に気づいた私が、後を追って電車から降りてしまった、と」
「そうだけど。お前」
「水田です」
「……お前、随分キモが据わってるんだな。あの都市伝説の『きさらぎ駅』だぞ?」
 五十嵐と名乗った男性は、変なものを見るような目で私を見下ろす。背が高い。
「え?だって、五十嵐さんはわざわざ『きさらぎ駅』に来たんでしょう?だったら、帰る方法だってあるんですよね?」
「……まあ、な」
「それに、『きさらぎ駅』って私、大学のクラスの友人から聞いたことありますけど、なんかすぐ死ぬ、みたいなお話じゃなかったですよね。だったら、そりゃちょっとは怖いけど、まぁいいかなって」
 こいつ、と(たぶん)言いかけて、五十嵐はふいっとあっちを向いた。元はと言えば私がこんなことになっているのも、彼が財布を落としてしまったからで、きっとそれを後ろめたく感じているんだろう。
「心配なことといえば、私、ご飯も飲み物も持ってないので、それが心配です」
「そうだな。俺もそれが一番心配だ。長期戦は覚悟してある程度持ってきたが……」
 五十嵐は、カジュアルな服装と不釣り合いな大きなナップザックを背負っていた。あの中にご飯が入っているのか、と思っていると、

「お、おい!人がいたぞ!」

 声が聞こえた。
 ホームの対面から、4人ほどの一団が私たちを見つけて駆け寄ってきた。五十嵐は怪訝そうな顔をして彼らを見ている。私と同じぐらいの歳の男の子が一人、おじさんが一人、おばさんが一人、そして高校生ぐらいの女の子が一人。憔悴しきっている様子だ。
「なあ、あんたらどこから来たんだ!?」
「わたし、学校から帰る電車で、急にこんなところに……」
「おい、それ食い物か?見せてくれ!」
 口々に私たちに話しかける4人。私は少し安心する。こんなところに、男性と二人きりは、よく考えたらちょっと危険だったな、とさっき思ったからだ。
「ねえ五十嵐さん、ご飯ってこの人たちの分も……」

 ぷぁん、と音がした。電車の警笛だ。
 あ、駅だから電車が来るんだ。私たちも電車で来たんだもんな、なんて思っていたその時。

「こっちだ!」
 五十嵐が急に私の腕をつかんで駆け出す。ホームの奥側、おそらく改札に向かう階段のほうに。私はつんのめる。
「五十嵐さん!?」
「いいから!」
 取り囲んでいた4人の目が、ぎろり、と私たちを追う。

「逃げたぞ!」
「捕まえろ!!」
 4人ともが恐ろしい口調で、私たちに追いすがる。

 がたん、がたん。電車が近づいてくる音がする。
 ぷぁん、ともう一度警笛が響いた瞬間。
 一番うしろを走っていたおじさんの脚が、止まった。

「う、うおおおお!!」
 叫ぶおじさんの体が倒れ、不自然な動きで線路のほうに引き寄せられていく。まるで、見えない手がおじさんの脚をつかんで、線路に引きずり込もうとしているように。

 がたん、がたん。線路の音は大きくなる。減速する気配もない。
 『きさらぎ駅』の暗闇に、電車のライトが光った。

「いやだぁああ!!死にたくないい”い”い”!!!」

 おじさんの叫び声が遠ざかり、体が線路に投げ出される。
 そしてそのまま。
 電車が轟音を立てて、線路を走り抜けた。

「……え?」
 私は、自分の口から間抜けな声が出るのを感じた。

「おかしいと思ったんだよ」
 五十嵐がぼそぼそと呟く。
「あいつら、俺たちが線路側になるように囲みやがった。たぶん、一番線路に近いやつが引きずり込まれる。この『怪談』はそういうルールなのか」
 
「る、ルールって……」
 今はそんなこと聞いている場合じゃないのに、私は思わず聞き返してしまう。手が震え、足腰が立たない。
「『怪談』には、ルールがある。今みたいに人を殺したり、俺たちが今されてるみたいに異界に引きずり込んだり、なにかを強制するにはルールが必要なんだ」
 五十嵐は私をかばうように立ち上がり、ナップザックから何かを取り出す。
「元はといえばお前が巻き込まれたのは俺のせいだ。持っとけ」
 投げ渡されたのは、黒くて重い鉄の塊。拳銃だ。
「え、ええ?!なんなんですかこれ!五十嵐さん、なんなんですか貴方!?」
「それは拳銃。俺は……なんでもねえな。強いて言うなら、『解体屋』か」
 五十嵐は迫ってくる3人に銃をむける。3人は流石に驚いたようで、脚を止めた。
「――なんにでもルールがある。ルールがないのは神様と人間だけだ。俺は『きさらぎ駅』という『怪談』のルールを解体しにきた」

0002

「『ハンター×ハンター』読んだことあるか?」
「ないです」
「マジか。読んどけ。念能力の『制約と誓約』の話すると一番わかりやすいんだけどな」
 五十嵐はボサボサした頭を雑に掻いた。
「俺たちが今巻き込まれてるのは、『きさらぎ駅』っつう『怪談』だ。世間のどこにでもあるオハナシが、特定のルールを持つことで人を害するだけの力のある『怪談』になる」
「……ええっと?」
「わかんねえかな。学校の怪談とかなかったか?お前ンとこ」
「ありました。トイレの花子さんとか」
「だったら、それで考えてみろ。『女子トイレに謎の女の子がいる』……これじゃ説得力がなくてアホくせえだろ。『4時44分に女子トイレの奥から三番目の個室に声をかけると花子さんがいる』……こんなふうに、ルールを付け加えることで始めて、ただのオハナシ、虚構が現実になり得るだけの力を得る。『神社の鳥居に小銭を投げて載せられると幸運が来る』とか、『茶柱が立つとラッキー』みたいなのもそうだ」
「まあ、たしかにそんな気もします」
「それのスゲエ悪い版が、今俺達がいる『きさらぎ駅』みてえな『怪談』だ。ルールに則れば、人を食い殺すことだってできる、力を持った虚構。怪物化したオハナシ、それが『怪談』」

 私はさっきのおじさんのことを思い出した。明らかにおかしな引きずられ方をして……未だに、現実感がない。

「もっとも、『きさらぎ駅』はこんなヤバい『怪談』じゃなかったはずなんだけどな……」「ど、どうしたら帰れるんですか?」
 急に不安になった私は、大柄な五十嵐に思わずすがりついてしまった。胸板が分厚い。
「最初に言ったろ。『怪談』は、ルールを暴いていけば解体できる。今回俺はそのために来た」
「……『うちの学校のトイレは個室2つしかないから、奥から3番目は存在しない』みたいな?」
「当たらずとも遠からずだ。ま、今はそれよりも、あれだ」

 駅の階段を登ってくる足音がして振り返ると、さっき私たちを取り囲んで――『きさらぎ駅』に殺させようとした人たちがいた。

「さっきはごめんなさい」
 おばさんが頭を下げた。もっと殺気丸出しで来るかと思ったので、拍子抜けだった。
「でも、あれが『駅』のルールだから……仕方なかったのよ」
「ハ、手慣れたもんだな。迷い込んでくるやつがいるたびに、ああやって『駅』に食わせて自分たちは生きながらえてたわけか」

 五十嵐が銃を向けながら、怒りのこもった声で吐き捨てる。
「どっちにしろ、誰かは死ぬんだよ。電車が通過するたびにな」
 男子大学生が、うつろな声で呟く。

「フン、勝手に死んどけ。俺たちはここのルールを暴いて退散する。お前たちがまともな人間なら協力も考えたが、もう無理だ。手荒なマネをするようなら、『駅』より先に俺がお前らを殺す。ついてくるんじゃねえぞ」
 拳銃を示して脅す五十嵐。
「行くぞ、水田。まずはここの――」

「じゃあ、ゲームで決めませんか」
 女の子の声がした。五十嵐はただでさえぎょろっとした目を見開き、

「しまッ――!!」

 私の耳をふさごうとした。が、すでに遅かったらしい。
「誰が『駅』に食われるか、ゲームで決めましょう」
 くすくす、と笑いを含んだような声。その主は、一団のうちの一人、セーラー服の女子高生だった。
「まずい、ルールを押し付けられたッ!こいつら、どんだけここを知り尽くしてるんだ?!」
「なにがまずいんですか?」
 さっきまで多少は余裕のあった五十嵐が、本気で焦っているのがわかった。
「さっき言ったろ、『怪談』はルールが支配する世界だ。オハナシに尾鰭はひれがつくみてえに、ルールが付け足されることがあるんだよ。あいつらはその性質を知っていて、先手を取ってルールを押し付けてきた。俺たちを『駅』に食わせるために!」
「くすくす。いいじゃない、勝てばいいだけの話なんだから」
 セーラー服の女の子は、にやにや不気味に笑いながら、スカートのポケットから何かを取り出した。

 それは、「きさらぎ→」と書かれた切符だった。

「ゲームの名前は『地獄への片道切符チケット・トゥ・ライド』。負けた者が『駅』に食われる、デスゲームよ」

0003

 デスゲームを仕掛けてきたセーラー服の女の子……痩せぎすで白い肌、不気味な笑い方の女の子は、二条と名乗り、黒い紙切れがたくさん入った箱を持ち出した。

「これは、『きさらぎ駅』の自動券売機から発行された切符。以前ここに囚われた誰かが、脱出しようとして大量に発行したものよ」

 二条が白い指で一枚をつまみあげると、表面はたしかに「きさらぎ→」と書かれた切符だった。最近はICカードしか使っていないので実物を見たのは久しぶりだった。

「それで何しようっていうんだよ」

 五十嵐は不機嫌そうに返す。すでにゲームをやることは決まっているようだった。五十嵐が逃げ出したり、キレて女子高生を襲ったりしないのは、もうゲームをすることが『怪談』のルールに組み込まれていて、破ると良くないことが起こるからなのだろう。

「切符といえば、下の部分に4つの数が記載されているでしょう?」

 そういえば、そうだったかも。二条の示した切符にも、「8024」と4つの数字が書かれていた。
「この4つの数字を四則演算して、10を作る。10が作れなかったら、作った数と10の差分だけホームに向かって歩く。先にどっちかが13歩以上歩いて、ホームの一番端にたどり着いたら……地獄行きの列車がやってくる。『地獄への片道切符』は、それだけのシンプルなゲーム。まさか、できないとは言わせないわよ?」

【『地獄への片道切符チケット・トゥ・ライド』ルール説明】
・ホームの端を終点(ゴール)、そこから13歩離れた地点を始発(スタート地点)とし、ゲーム開始時、プレイヤーは始発に立つ。
・一番最近電車に乗った人が最初のプレイヤーとなる。
・手番のプレイヤーは『乗車』を行う。『乗車』とは以下の工程である。
①箱から切符を引き、そこに記載されている4ケタの数字を四則演算して10を作る。制限時間は10秒とする。
②作った数字と10の差分の数だけ、終点に向かって真っ直ぐ進む。
・『乗車』が終わった時、その『乗車』で誰かが終点にたどりついた場合、ゲームが終了し、最も線路から近い者が死ぬ。そうでない場合、次のプレイヤーの手番となる。
※本ゲームにおいて「1歩」とは、『きさらぎ駅』駅舎内ホームに敷かれたタイル1枚分の距離とする。例えば四則演算で12を作ったプレイヤーは、2歩=タイル2枚分終点に近づかなければならない。
※四則演算は、4つの数字の間に、+-×÷の記号を記入して行う。()は使うことができるが、数字の順番を入れ替えたり、数字をつなげて2ケタ以上の数として使うことはできない。また、制限時間に数字を作れなかった場合、自動的に作った数字は0扱いになる。
【ルール説明終わり】


 降りた時には気が付かなかったが、『きさらぎ駅』のホームは薄汚れたタイルが敷かれていた。線路側から、階段側までちょうど14枚。一番遠いタイルの上に立ったら、ちょうど13歩でホームの端にたどり着いてしまう。

 私と五十嵐と二条に、おばさんと男子大学生……秋山と甲田が、駅のホームに集まる。切符をプレイヤーにわたす役が必要なので、2回戦に分けられることになった。私・秋山・甲田のゲームと、五十嵐・二条のゲーム。

「……悪いな、こんなゲームにまで巻き込んじまって」

 五十嵐は罰が悪そうに私に言う。口調こそぶっきらぼうだったけど、悪い人ではないんだろう。私は、なんとか気持ちを奮い立たせて言った。
「大丈夫ですよ、負けなければいいんですよね?私、ゲームはちょっと得意ですから」
「ゲームが得意かどうかは問題じゃねえ。相手がふっかけてきたゲームなのが問題なんだ。この『きさらぎ駅』のルールについても、ゲームについても、俺たちはあいつらに比べて圧倒的に情報が少ない。細心の注意を払えよ」
 確かに、文字通りここは相手の土俵だ。気をつけないと……と思っていると。

 いやに軽快な電子音のメロディが流れる。発車ベルだ。暗黒に包まれた『きさらぎ駅』の中で、明るい音楽はむしろ異様だった。

 音割れしたアナウンスも聞こえる。

『2番線 電車が 発車します しまるドアに ご注意ください』

「さ、位置についてください」
 二条が、不気味なにやにやを貼り付けた顔のまま言った。秋山と甲田は、いつのまにか移動して階段側に立っている。私は覚悟を決めて、位置につこうとした。私のスタート位置は、2人のさらに奥のようだ。

「待て」
 五十嵐が大きな声を出す。
「お前、一番手前のお前。水田と位置を変われ」
 一番手前にいた男子大学生、甲田がぎょっとした顔で五十嵐を見る。「な、なんでだよ」
「なんでもいいだろ。まさか立つ場所によって線路との直線距離が変わるわけもないもんな?」
(……あっ!)

 五十嵐に言われて始めて気がつく。この『きさらぎ駅』のホームは、ほんのわずかだが台形の形になっていた。私が立つはずだった一番奥の列は、タイルの10分の1ほど、手前の列より短い。

 五十嵐と目があった。「だから気をつけろって言ったろ」という表情をしている。私はさらに気を引き締め、位置についた。

『きさらぎ駅』でのデスゲームが始まる。

0004

 数回の『乗車』が終わり、私は7歩、秋山が5歩、甲田が4歩進んでいた。実際にやってみると、ありふれたテンパズル(10を作るパズル)であっても、10秒でぴったり10を作るのは難しかった。

 『2番線 電車が 参ります』

 この駅のアナウンスがゲーム進行の合図。二条が3人の間を、切符をたくさん入れた箱を持って回る。(配布する役は、二条と五十嵐が交互に行っている)

 私が最後だ。手をつっこんで、1枚切符を取る。すると、

 ピピピピピ!

 電車のドアが閉まる前の、警告音が響く。これが10秒間鳴っていて、その間に数を作るのだ。

 引いた切符の数字は……1023。うわあ、と私は呟く。足しても掛けても6を超えない。全体の数が少ないときは、もう10を作るのを諦め、とにかく全て足し上げる。

『2番線 電車が 発車します しまるドアに ご注意ください』

 音が止んで、アナウンスが流れた。私は4歩進み、11歩。すぐ前にホームの端が――『終点』が見えて、足がすくんでしまう。他の2人はそれぞれ2歩、3歩進み、7歩目の位置で並んだ。

「大丈夫か」

 次の切符の箱を持ってきた五十嵐が、短く聞いてきた。

「ちょっと厳しいです……あの女の子が持ってきた時だけ、10が作りづらい切符を引かされてる気がします。今回も危なかった」

 五十嵐が危惧していた通りに、私は2回に1回は難しい数字の切符をつかまされていた。彼は苦々しそうな顔をした。

「そうだな。何かイカサマで悪い切符を引かせてるのかもしれない。俺のほうでもいまんところ証拠がつかめねえ……というか、もともと割に合わねえんだ、この種のゲームでイカサマを探るのは」

「なんでですか?」

「『怪談』の中では、『怪談』のルールが全てだ。その下に『ゲーム』のルールが付則されている。よしんば『ゲーム』のルールに則ってイカサマを指摘したところで、『怪談』のほうがどんな反応をするか保証がねえからな。何か決定的な証拠があれば、『ルール』を守っていないことを突きつけて、『怪談』の強度を落とせるかもしれないが……」
「それって、『怪談』が許すならイカサマし放題ってこと?」
「ああ。そしてその基準が俺達にはわからねえ。やつらにはわかる。イカサマを探るのも、こっちから仕掛けるのも割に合わねえ」

 この五十嵐という人は、なんだかんだで頭が良くて面倒見がいいのかもしれない。現実逃避なのか、そんなことを考えながら、切符を引く。

『2番線 電車が 参ります』
 切符の数字は8595。ええと、こういう時は……。五十嵐が教えてくれたテンパズルのコツを思い出す。
 ――まず数字を一つ取り出せ。例えば5を取り出したら、残りの3つの数字で、5か2が作れないか考えろ。
 5を取り出して、8・5・9の順番で5か2を作る。あ、8÷(5-)……だめだ、これマイナスになっちゃう。あと何秒?8を取り出して……あーだめだ。時間がきちゃう。せめて8から12までで作らないと!!

「8×5÷(9-5)=10」

 後ろからささやくような声がした。振り返ると、おばさん……秋山が私のほうを見ている。
「これでぴったりだから」
 何かの罠かもしれないが、私はそれに飛びついた。結果、動かずに済む。なんとか生き延びた。
 秋山は4歩進み、私に並んでにっこりと笑った。
「さっきはひどいことしちゃったから、これで許してくれる?」
 人懐っこそうな笑い方をする秋山。良かった、この人も本当は悪い人じゃないんだ。
「ありがとうございます。難しい計算なのにすごいですね」
「ここってヒマでしょう、ずっとやってたのよ、このパズル」
 この『きさらぎ駅』に来て、始めてまともに人と話した気がする。ああ、よかった。やっぱりみんなで協力して――。

「危ねえ!水田!!」

 五十嵐の大声が割り込む。私はとっさに振り返る。甲田が、突進してきていた。目を血走らせ、すごい勢いで。
 ぶつかったらホームに突き落とされる。間違いなく落とされる勢いだ。

 死ぬ。

 そう思った瞬間、周囲の時間が全部スローモーションになって。

 人の良さそうな笑い顔だった秋山が、怪物みたいに、にたぁって笑うのが見えた。

 ごめんなさいね。そんな口の動きだ。

 ああ、この人たちグルだったんだ。私が後ろを見ないように、わざわざ並んで話して。

「水田ァ!!」

0005

 しょうがない、と判断するより先に、体が動いていた。『ルール』が一度止まった場所から脚を引く動きを止めているので、上半身の体捌きだけで、突進してくる甲田をいなす。そのまま、体を沈み込ませ、甲田の体の下に入り込む。腕を取り、私の背中を中心に、勢いのモーメントを直進から回転に変換する。背負投げの変形のような形だ。

「ごめんなさいっ!」

 いちおう私は謝る。受け身をとれるはずもなく、しかも畳ではなく硬い地面だ。たぶんとっても痛いだろう。だからやりたくなかったのに、と思ったときには、すでに地面に叩きつけられた甲田が潰れたカエルみたいな悲鳴をあげた。

「あ、あんた……!」

 さっきまでにやついていた秋山は、なにか恐ろしいものを見るような目で、私を見ていた。

「……せっかく協力出来ると思ったのに、本当に残念です」

 私はちょっと怒った表情で、彼女を睨みつけた。

「お前、何者なんだよ。最初見たときからデカい女だなとは思ってたけどさ」

 私を助けようと駆けつけて、そのまま一連の流れを見ていた五十嵐は、地面で悶えている甲田を見下ろしてから私に聞いた。

「何者ってほどでもないですけど……ちょっと護身術を」
「護身術ってなんだよ」
「格闘技全般を一通り」
「護身っていうには過剰防衛じゃねえか?……まあとにかく、これで『ルール』の穴は一つはわかったわけだ」

 五十嵐は銃を手にしながら、秋山を見て言った。

「ゲーム中に他人に危害をくわえても構わねえわけだ。俺がプレイヤーなら、こんなデカい穴は知らせないでおくもんだけどな」
「ご、誤解よぉ!あれは単に進んでるときに体が当たっただけ。それで撃ったら普通にルール違反よ!」
「よく言うぜ、ぶつかりおじさんか?」

 そんな言い合いを遮るように、ぷぁん、と音がした。

 電車が、来る。

「あ……!」

 投げられた甲田の体がホームの端……「終点」に到達していた。

「ついでに、もう一つわかったな。出た数字よりも多く進んでもルール違反にならない」

『2番線 電車が 参ります』

 甲田の首が不自然にへこむ。大きな手に鷲掴みにされているような形に。

「っぐう”う”!う”う”う”!!!」

 だから声すら出なくて、そのまま甲田の体は線路に引きずり込まれる。
 いやだ、私、そんなつもりじゃ……。そう言いかけた私を、五十嵐が制した。

「ゲームを仕掛けてきたのはあいつらだ。やらなきゃお前がやられてた」 線路に貼り付けられ、ばたばたもがく甲田を、私たちはホームから見下ろすことしかできない。

 がたんがたん、がたんがたん。電車が近づいてくる。ライトが暗闇の中に見える。

 ぷぁん、と気の抜けた警笛の音とともに、私たちの前を巨大な鉄の塊が走り抜け、後には再び暗闇だけが残った。

「さて、次はあなたと私ね」

 何事もなかったかのように、二条が五十嵐に話しかけた。私は思わず割り込む。

「あ、あなたなんなんですか?!さっきもそうだけど、仲間の人が死んでるんですよ?」
「殺したのはあなたでしょ」

 二条が嫌らしく笑って返すので、私は言葉に詰まった。

「いや、殺したのは『駅』であり『ゲーム』だ。やられる覚悟なしでデスゲームなんて仕掛けるほうが悪い。詭弁を弄するな」
 五十嵐が強く言い返す。
「威勢がいいわね。私のことも殺すの?」
「殺すさ。お前はもう助からない。お前を殺して、この『怪談』を解体させてもらう」
「ならその銃で撃てばいいじゃない」
「安い挑発はムダだ。お前は『ゲーム』に勝って殺す」

 『2番線 電車が 参ります』

 何がなんだかわからないまま、気持ちの整理もつかないまま、次のゲームが始まろうとしている。切符の箱を用意しながら、私は五十嵐にたずねた。

「さっきの、あの、助からないって……」

「ああ、あの女、もう『怪談』に取り込まれかけてるからな。あのオバサンはともかく、あいつはこの『怪談』を解体したらたぶん死ぬ」
「そんなことあるんですか?」
「本当に怖いのはお化けより人間なのかもしれません、みたいな話、あるだろ。『怪談』がそう変異することもある」

 五十嵐は私を見て笑った。おそらく、私はすごく心配そうな顔をしていたんだろう。

「大丈夫だ、勝算はある」
「算数得意なんですか?」
「いや。でも、脚には自信があるからな」

 不可解なことを言い残して、五十嵐はホームの反対側に向かっていった。

0006

 4つの数字で10を作る、所謂「テンパズル」は、通常そこまで難しくはなくて、4つの数字が全て異なる場合必ず10を作ることができるとされている。しかし、これは4つの数字の並び替えが許されている場合だ。今回のように、並び変えることができない場合、難易度は急に高くなる。だから、どれだけ算数が得意でも、10を作れなくて進まなければならない場面が多い。



 五十嵐と二条のゲームは、五十嵐が3歩、二条が6歩進んだところだった。算数は苦手と行っていた五十嵐が意外な粘りを見せ、逆にゲームを仕掛けた側の二条は着実に歩数を延ばして死へと近づきつつあった。
「これならぜんぜん大丈夫そうですね」
「ああ、だが順調すぎるのが気になる。あの女子高生、まだ余裕そうだしな」
「……さっき私が切符を引かせたときも、笑ったままでした。怖かった」
「まあ、心配するな。俺にはアテがある」
 切符を引かせるとき、私は五十嵐と軽く言葉を交わした。心配するなと言われても、甲田が引きずり込まれるところを間近で見て、どうしても怖くなってしまう。自分が死ぬのはまだいいが、目の前で知ってる人が死ぬのはとても怖かった。
(アテってなんだろう)
 そう思っていると、ベルがなって計算時間が始まる。
 五十嵐は「5391」、二条は「2272」。 結果は、五十嵐が「5-3+9-1=10」でぴったり、移動なし。二条が「2+2+7-2=9」で1歩移動。私はほっと胸をなでおろす。
 
 移動が終わると、五十嵐がちらりと私を見た。私は、二条から見えないように、指で数を表す。人差し指・人差し指・親指、人差し指、中指・人差し指。これなら両手を使わなくて済むから、怪しまれないだろう。これは『ルール』でも全く禁止されていない。(そもそも切符を配る人についての言及がほとんどない)まあ、相手の数字を知ったところであまり『ゲーム』に影響がないからだろう。
 私の動きを見て、五十嵐は驚いたようだった。それを見て私も気が付く。

 あれ?「2272」なら、「2÷2+7+2」で10が作れない?

 さっきの10秒では気が付かなかったが、2ふたつを1に変換するだけで10ができる。このゲームに慣れていない私ならともかく、何度もやっているらしい二条なら、気づいてもおかしくない。
 そんなことを考えている間に、秋山が次の切符を配っていた。五十嵐は、持ってきた箱に手を突っ込んで、不敵に笑った。

「なるほどな、こんな仕組みがあるから、適当に計算しててもいいってわけだ」
「なっ何よ」
 秋山は歯切れが悪そうに返す。
「この箱……天井に切符が貼ってあるな?ここに10が作りやすい数の切符を貼っておけば、好きな時に引けるんだな」
「えっ!そ、そんなこと」
 あからさまに目を泳がせる秋山。
「あら、気づかれたわね」
 二条はまだ余裕を崩さない。
「安っぽいトリックだが、これが『ルール』に反しないっていうなら、俺が使っても問題ないよなあ?」
 にやりと口の端を釣り上げた五十嵐が、箱から手を引き抜いた。その手に握られていた切符の数字は。

 0000。

「何ッ……!」
 五十嵐は目を見開く。
「ふふふふ……こうも誘導が簡単だと拍子抜けだわ。そっちのお姉さんが、私の切符の数字をあなたに伝えていたんでしょ?」
 えっ、バレてたの?!
「それで私が10ぴったりを作らない理由を……あるいは、つくらなくていい理由を探した。私が何かイカサマをしているから余裕ぶっているんだと。ちょうど次のターンは、秋山が切符の箱を持ってくる番。そこでイカサマの仕組みを発見したら、勝ち誇って自分が使いたくなっちゃうわよねえ?」
 笑みが消えた五十嵐にかわるように、二条はにたにたと妖怪みたいに笑った。

「その0000の切符はまさに『地獄への片道切符』。どうあがいても次であなたは終点に到達するわ」

 計算開始を告げる発車ベルが響いた。

0007

 二条は五十嵐の行動を誘導することで、自分の(あるいは秋山の)仕込んだ切符を引かせることに成功した。五十嵐の引かされた切符の数字は、0000。そこからできる数字は、0以外にありえない。

「ほら、計算時間が終わるわ。10歩も歩いたらゲームオーバーよ?」

 自分の引いた切符をひらひらさせながら二条が煽る。五十嵐は切符を投げ捨て、天を仰いでいた。

 彼が「アテがある」と言っていたのが、このイカサマの看破だとしたら、かなりまずいことになる。

 ベルが鳴り終わり、二条は悠々と2歩進んだ。残りは4歩だが、ここでゲームが終わってしまえば関係ない。

「さ、貴方の番よ」

 五十嵐はこれから向かう暗闇を見ながら、小さい声で呟く。

「『乗車』が終わった時、その『乗車』で誰かがホームの端にたどりついた場合、ゲームが終了し、最も線路から近い者が死ぬ。……そういうルールだったな。だからさっき、甲田は自分の『乗車』ターンで水田を突き飛ばし、ゲームを終わらせようとした」
「そうだけど……何が言いたいの?私は無理よ。そこのお姉さんみたいに投げ飛ばすことはできないけど、されるってわかってたら避けるぐらいわけないわ」
「……そうか」

 五十嵐は、覚悟を決めたように、一歩踏み出し……。

 違う。私にはわかる。ただ歩くだけなら起こらない体重の移動。走り出している!二歩、三歩、四歩と、五十嵐はダッシュで加速していく。

「は?!な、何やってるの?!」

 あっけにとられる私たちを尻目に、決められた10歩をものすごい勢いで進んでいく五十嵐。ホームの端はすぐそこだ。

 そして、たどり着いた五十嵐は、その勢いのままに――。

「だあっ!」

 跳んだ。ホームの端から踏み切って、線路を超えて『きさらぎ駅』の暗闇へと。

「い、五十嵐さぁん!」

 私は思わず叫ぶ。だってその先は闇だ。着地点があるかどうかすらわからない。ヤケになったんだろうか?

「何をするかと思えば……」

ジャンプする五十嵐を見送る二条はがニヤニヤ笑っている。

「『きさらぎ駅』は『脱出不能の異界駅』……その外側には何もない。線路の向こうにもね」

 その言葉が本当なら、五十嵐は虚空に身を投げたようなものだ。一体何故……と思った時、私はゲームが始まる前の彼の言葉を思い出した。

――

「『チェーホフの銃』、って知ってるか」
「それも有名なマンガですか?」「ありそうだけど違う。例えば、映画や漫画で銃が映るシーンがあったら、その銃は後々使われないといけない……使われないなら映す意味がないから、という意味だ。このセオリーを『チェーホフの銃』という」
「それが『怪談』とどう……あ」
「オハナシである『怪談』の中で起こることには、全て意味がある。お前が誰かに話を聞かせる時、わざわざ無用な情報を入れないだろ。だから、『怪談』のなかでは全てに気を配る必要がある。そして、その中に『怪談』攻略の鍵になるものが、必ずある」
「全てに、ですか」
「だから気をつけろって話だ。何か情報がつかめれば、それが『怪談』を倒す『銃』になりうるかもしれないからな」

――


 そうか。着地地点はあるんだ。

 五十嵐は、線路を超えた先に着地した。そこは、『きさらぎ駅』2番線と1番線の間だった。

「え、な、なんで!?」

 二条も流石に驚いたようだった。五十嵐は石のごろごろとした地面で体勢を立て直すと、振り返って言う。
「電車の線路の番号は、その駅の駅長室から近いほうから振られている。さっきゲーム開始前に確認してきたが、こっち側には駅長室がなかった……だったら、この線路の向こうに1番線がある。ここは地続きだ」
「だ、だったらなんだっていうのよ」

 ぷぁん、とまた警笛の音がする。

「お前のイカサマ返しには驚かされたが、このジャンプはもとから予定内だ。俺は『終点』にたどり着き……『ゲーム』は終了する。電車の来る2番線に一番近いのは、お前だ

 線路が振動し、電車が近づいてくる規則的な響きがする。


「そんな理屈が……!通るというの?!だいたいさっきのジャンプだって」「歩きすぎか?さっきの甲田のタックルも、水田に投げられて規定の距離より先に進んでいた。お前たちが可能だと教えてくれたんだ」

 見えない手が、二条の足をつかんだようだ。
「こ、このっ!!終わり、『ゲーム』は終わりよっ!!『きさらぎ駅』ッ!!食うのはあっちの屁理屈野郎にしなさいッ!」
 2番線の線路に引きずり込まれていく二条はそんなことをわめくが、そんなものが『駅』に通じるわけがない。
「横紙破りは人間の特権だが、お前はもう『怪談』に近づきすぎた。それは効かねえよ」
 五十嵐はそう言ってから、タバコを吸おうとしたのか、ポケットを漁って「駅は禁煙か」と呟いた。

「は、離しなさい!離せェッ!!」

 彼の目の前で、二条は線路に貼り付けられる。そしてその上を……電車は、ゴウと音をたてて通過した。

0008

「さて、終わったな」

 五十嵐はあっさりと言って、再びホームの上に戻ってきた。彼に「まだやるか?」と聞かれた秋山は首を強く横に振った。人が死んでいるのにその態度はどうなのか、とちょっと思ったけど、それだけ多く『怪談』と渡り合ってきたんだろう、と私は思った。

「あとはこの『怪談』を解体するだけだが……」
「その解体って、なんなんですか?それが終われば、もとの場所に戻れるんですよね」
「ああ。とはいってもたいそうなもんじゃない。要は……」
 五十嵐の言葉を遮るように、『駅』全体が揺れ始めた。大きな地震の時みたいだ。
「……!あの女、本格的に『怪談使い』になりかけてたのか?!ここはまずい!」
 どん、と私の体がつきとばされる。線路と私の間に、五十嵐が割り込んだのだ。
 音割れしたメロディーが、狂ったように流れる。

『222222222ばんせせせせせんんんんんん でででででんんしゃしゃしゃががががががががが』

 電車が近づいてくる音も、ガガン!ガガン!と明らかに先程よりも速い。すでに五十嵐の足には手形が無数に張り付いていた。
「ちょっとぉ!!!なんなのよこれぇ!!」
 秋山も見えない手に囚われ、線路に貼り付けられているようだった。それを見てから、五十嵐は私をつきとばした。

「行け、水田!お前だけなら逃げられる!どこでもいいから外に向かって走れ!」
「で、でも、あなたは」
「俺のことはいい!さっさといけッ!!」

 必死の形相で叫ぶ五十嵐に、私は走り出す。とにかく線路から離れて、あの電車が来る前に。

 警笛が聞こえる。ライトが巨大な獣の眼光のように、五十嵐と秋山を捉えていた。
 私はそれを見た瞬間、違和感を覚えた。一刻も早く逃げ出さなければ、死んでしまうかもしれないのに。

 なんで、私だけ助かってるの?

 普段は使ってない脳の部分が急に稼働したように、頭のなかに記憶があふれだす。

『怪物化したオハナシ、それが怪談』『制約と誓約』『きさらぎ駅』『チェーホフの銃』。

「何シてんだ!?早くいけッ!!」

 五十嵐の叫び声が遠くに聞こえる。
 そして、私は一つの可能性に思い当たる。これなら。
 そう思った瞬間、私は体を線路に向かって投げ出していた。もし推測が間違っていたら、とか、そんなこと考えるヒマもなかった。

「止まれええええッ!!!」

 私が、二人の貼り付けられている線路の直線上に入った、その時。

 轟音をあげていた電車は、嘘みたいにぴったり止まった。

「あ、あなた、何して……」

 秋山が横になったまま呟く。五十嵐のほうは、呆然とするような、怒っているような、そんな顔だった。

「……お前、頭おかしいんじゃねえか?」

 彼はつぶやき、ゆっくり体を起こした。
「あはは、ごめんなさい、せっかく逃してくれたのに」
「あははじゃねえ。バカか?思いついたって絶対やらねえだろこのバカ」
「でも、気づいちゃったんですよ。五十嵐さんが散々、これは『怪談』だって言ってたことに。『怪談』がオハナシなら、登場人物全員死ぬってことはありえないですよね?」

 あのとき、3人全員が見えない手にとらわれなかった理由。五十嵐さんが、解体っていうのも終わってないのに、「お前だけなら逃げられる」と言った理由。それは、『怪談』の『ルール』として、誰か一人は生還させないといけないルールがあるから。だって、『怪談』は生き残った人が誰かに話さないと、誰にも伝わらない。出会った人が全員死んじゃったら、誰もオハナシを伝えることができず、その『怪談』そのものが成立しないからだ。

「だから、私も線路に飛び出せば、電車は止まると思ったんです。あの勢いで突っ込んだら、3人とも死んじゃうでしょう?まあ、それに失敗したって私が死ぬだけですから」

 五十嵐は、こんどこそ完全に呆然として、私のことを見ていた。確かに、ちょっとアブナかったかもしれないけど、でも体のほうが先に動いてしまったんだから仕方ない。

「……もういい、わかった。お前、ちょっとヌケてるやつだと思ったけど」「よく言われます」

「ヌケてんのは頭のネジだったみてえだな……だが、まあ、助かった。これで解体できる。でも、その前に」
「なんですか?」
「二度とやるな。自分を犠牲にするようなマネは」
 元々ガラの悪い顔だった五十嵐が、本気で私を睨んだ。ぞっとするほど冷たい目で、私は無言でうなずくしかなかった。

 五十嵐はポケットを探り、先程のゲームで使用した切符を取り出す。そして、滔々と語り始める。

――脱出不能の異界駅、『きさらぎ駅』。迷い込んでしまった者は駅に囚われ、二度と出ることはできない。『きさらぎ駅』は、廃線となった駅たちの無念が積み重なり生まれたモノだったのだ。

 今までの少しぶっきらぼうな言葉と違い、深く、ゆっくりとした口調だった。

――では、『きさらぎ駅』から脱出するにはどうすれば良いのか。簡単なことだ。切符を買って、電車に乗ればいい。それが、いつまでも人を迎え、送り出したかった駅たちへの弔いとなる。そして、『きさらぎ駅』があったことを、覚えておくのだ。人が使わなくなっても、地名が変わっても、誰かの記憶の中に『きさらぎ駅』があれば、廃駅たちの無念も、少しは慰められることだろう。

 彼が言葉を切ったとき、不思議なことが起こった。

 一瞬、私達以外には誰もいないはずの『きさらぎ駅』に、人の気配があふれたのだ。

 靴音。人の声。ざわめき。発車ベル。警笛の音。このカチカチという音は、昔の切符を切る音かも。学生たちのはしゃぎ声。電車好きな子供の歓声。誰かを見送る声。迎える声。電子音、方言。そんなあたたかなノイズが、私達を包み込んだ。

『1番線 電車が参ります』

 いつのまにか、私達を轢殺しようとしていた電車は消え、かわりに1番線に電車が止まっていた。

「……ほれ、お前らも切符を持て。秋山とかいったな、切符あんだろ」
「は、はい」

 秋山は箱から2枚切符を取り出して、私に1枚くれた。

 私達は、1番線のホームによじ登り、きていた古い電車に乗り込む。映画でしか見たことのない、木の内装の電車だった。席に座ると、座面は結構柔らかい。

『この電車は きさらぎ発、現世行き 本日はご乗車いただき、ありがとうございます』

 車掌の声のアナウンスが流れ、ドアががたがた音をたてて閉まった。
 軽快な笛の音。そして、どこからか「出発、進行」の声がして、電車はゆっくりと動き出した。

 ふと気がつくと、見慣れたJRの車内だった。隣には五十嵐、もういっこ隣には秋山がいて、秋山は不思議そうに周りを見回している。

「戻ってこれたな」
 小さい声で五十嵐が言った。緊張がほぐれて、少し表情が穏やかになっていた。
「よかったです」
 私もほっと一安心だ。安心すると、最後の五十嵐の行動が気にかかった。
「最後に言っていたこと、あれ本当なんですか?」
「ああ、あれは口からでまかせだ」
「ええー」

 ちょっとイイ話風だったのに。

「付け加えたんだよ、切符を持っていれば出られるって『ルール』を、『きさらぎ駅』にな。あの二条とかいうやつが、『きさらぎ駅』をアホみたいなデスゲーム空間に語り直したみたいに。ま、そのためにはある程度説得力が必要だったから、諸々含めて語り直した。こうしてオチがついて、初めて『怪談』は解体される。俺の仕事は、悪意を持って捻じ曲げられた『怪談』を語り直して、いったんバラして元の姿に戻すことなんだよ」

「なーんだ。霊能みたいなのでセイッ!てやるのかと思ってました」
「オカルト番組の見すぎだ……まあ、そうやって祓う方法もあるが、それじゃあ怪現象はなくせても『怪談』そのものは倒せねえ。暴力的なやり方だ」
 話していると、電車が止まって、秋山がぺこぺこ頭を下げながら降りていった。ああしてみると、本当に普通のおばさんみたいで、ゲームの時にあんな残酷な顔をしてたのが嘘みたいだ。
 私は、秋山と二人、電車に揺られる。川の上を通ると、昼のうららかな光が水面に反射して、きれいだった。

「……ありがとうございました、五十嵐さん」
「ん、俺こそ巻き込んじまって悪かったな」
「私、昔から後先考えないところがあって。ちょっと気をつけます」
「そうだな、もうするなよ」

 電車が止まる。私の最寄り駅だ。

「じゃ、私はこれで」
「おう」

 自動ドアが開き、私は席を立つ。五十嵐は席にすわったまま、手を振った。笑っていた。笑うと案外可愛い顔だな、と思った。
 外に出ると、吹き抜ける風が気持ちいい。
 電車の窓越しに五十嵐を見ると、彼はもうスマホを取り出していた。そして、目を丸くして、顔を上げ――おそらく電車の電光掲示板を見て――あわてて立ち上がって駆け出した。

「ダァシエリイェス」

 ピンポン、と電子音を立てて閉まっていくドア。ぎりぎり、彼は降りることができたようだ。

「どうしたんですか?」
「……この前引っ越したんだよ。この駅が最寄りだったの、すっかり忘れてた」
「あはは、じゃあけっこう近いかもですね」

 肩で息をする彼を見て、私は思わず吹き出した。

 その後、どこまでいっても彼と私の帰り道が一緒で。私は今日はじめて、私の住んでいるアパート……というより私の祖母が大家をやっていて、私が居候しているアパートの一室に、五十嵐遥が引っ越してきたことを知るのだった。




『きさらぎチケット・トゥ・ライド』おわり









――数週間後。S大学構内。


「悪いね晶子。時間とらせちゃって」
 私――水田晶子は、高校の同級生、綾瀬とカフェテリアで落ち合った。
「空きコマだから、ぜんぜんいいけど、どしたの?」
「あのさあ、晶子ってオカルトとか詳しい?霊能者の知り合いとかいない?」
「え、何何」
「いいから、いたりしない?!なんかこう、除霊とかできる人」
 彼女はからかっているような様子ではなかった。私は、五十嵐のことを思い浮かべる。
「いなくも、ないけど」
「ほんと!?実はさ、妹が大変で」
 綾瀬は周囲の様子を伺ってから、私に耳打ちした。
「『こっくりさん』に、取り憑かれちゃったみたいなんだ」


――都市伝説デスゲーム2『こっくりキャプチャー・プラン』に続く

サウナに行きたいです!