見出し画像

映画『ゲッベルスと私』

ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの秘書として働いていた女性の肉声と、戦中の記録映像。

まず103歳のしわしわな女性が語る姿を高精度カメラでとらえた映像に惹かれる。「あの体制から逃れるのは無理」と静かに語るポムゼル氏から想起されるのは「悪の凡庸さ」だった。
(「悪の凡庸さ」はハンナ・アーレントのお話)

「なにも知らなかった、私に罪はない」という彼女の言葉こそ、現代の私たちへの警句だ、と監督は言う。悪というものは、あるとき突然はっきり現れるものではない。善良で勤勉で従順な一般人が、自分の暮らしを営んでいるだけでも、足下は静かに少しずつ着実に傾いてゆく。

これは「災害時に出勤しろと命じる上司もまた、勤勉に業務をこなしているだけ」という状況とも似ている気がした。誰しも、見て見ぬふりをすること、あえて知ろうとしないことがある。常に問い、考え、抗い続けることなどできるだろうか。

時代の流れは、トップのモンスターが強制するものではない。人々が安寧を確保するための「わずかな怠惰」の重なりによって、狂気に対して少しずつマヒしていく感覚。流されない自信はまったく持てない。

老女が語る映像に惹かれ、楽しみにしていた映画。彼女の言葉はとてもリアルだ。事実か嘘かではない、“あの時代の真実”がある。つらい過去でも美談でもない、私たちと同じようにひとつの時代を生きる、人生の一場面だった。

※2018年6月に観た映画の記録です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?