フェミニズム1年生

 もともとフェミニズム気質はあったんだけど、昨今の#Metoo問題をはじめとする諸問題の告発の波に乗って、いろいろな者に触れ、真正面から考えざるを得なかったわけです。

 そして去年の大当たりが、雑誌なんですが「エトセトラ vol.2 We Love 田嶋陽子」と、『愛という名の支配』田嶋陽子 新潮社文庫 です。

 まず、私は田嶋陽子さんが昔から好きだった。けど、それをいうと人が微妙な顔したり、なんならそんなこと人前でいうもんじゃない的なお節介な助言もされたりしていて、しかし全くなんでそんなことをいうのか皆目わからなかった。彼女間違ったこといってないじゃん!周りのおっさんとかのがよっぽど頭おかしくて卑怯じゃん!!と、子ども心にも思っていた。

さすがに大人になって、田嶋先生の発言が男性優位社会の存続のジャマになるから遠ざけられていたのだとわかるし、彼女の発言を肯定しない方が女として得だよ、という助言だったのだとわかる。が!!!

 なんで私が男の機嫌を取ってその愛情や富や安全をねだるような生き方をしなきゃなんないわけ?または、男をうまく手のひらで転がすような、そんなまねをしなきゃなんないわけ?全く意味がわかんねーな。一人の人間同士として対等にやりとりすればいいだけじゃん。なにが難しいことがあるのか?

 本気でそう思っていたのだが、やっぱり現実はそう甘くはなく、仕事でも異性との関係でも、どれだけその壁にぶつかったことか。幸い現在の仕事ではそれほど男女差を感じないでいられている。それは女性の地位向上のために戦ってくださった先人たちのおかげである。でもプライベートはまだまだきつい・・・

 まだ若かった頃は、若い女というだけで、そりゃもうなめてかかられた。女は仕事では男には敵わない的な発言を、各方面からされて、うるせーそんなわけあるか!とむかむかしながら黙って聞いて、でも時々黙りきれなくて反論したらそれきりになったことも数多ある。

 しかし今はどうか。だいぶ世の中が変わってきた。それはもちろん、そんなわけあるか!とか、そもそも同じ土俵に上がらせてもないのに上から物を言うな!と戦ってきた先人たちのおかげです。やっぱり意見は言うていかないかん。沈黙は肯定且つ容認と見なされてしまう。真正面から文句言ってもまともに取り合わないような人たちにこっちの苦境を察してもらうことなんかまずありえないんだし。

 こんなことが堂々と言えるようになったこと自体、すごい進歩なんだよね。それは多くの女性やその思いをともにする男性たちが声を上げて、そして声を上げやすくしてくれたおかげです。そして、あの時代に、テレビの中で、無理解なおっさんらに笑いものにされながらも孤軍奮闘していた田嶋先生の強さと勇気無くしては、いまのフェミニズム運動はないのだと思う。

 田嶋先生の他のご著書も復刊してくれー!『ヒロインはなぜ殺されるのか』とか、超読みたいです!


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