「どうして察してくれないの?」をやめたい話

察してほしいは良くない。
言わなければ伝わらない、期待して思い通りにならないと自分が疲れるので損だ。
などとよく言われますが。

そんなことはわかっているんですよね。

そんなことよりも、最近気づいたのは
「察してくれるのは良いことばかりではない。察されないほうが良いこともたくさんある」
ということです。

髪型やネイルを変えたらすぐに気づいてくれるパートナーは、のびた茶髪の根元やシミ抜きしても落ちきらなかったシャツの汚れにも気づいてしまうんじゃないかと。

そう思うと、(たとえそれを口うるさく言われなかったとしても)少し息がつまりませんか?

また、わたしが一日中ずっとイライラしていたとしても、それが言動に現れず、周囲の人に察されることもなければわたしは「イライラしている人」にはならないんです。
通りすがりの人に「あの人の服装や髪型は変だな」とか「化粧がよれているな」とか思っていたとしても、口に出さなければ思っていないのと同じ。

逆に察しが良い人といると感情や思考が筒抜けになってしまうこともあるわけですが、それってなんだか恥ずかしくないですか?

あくまでわたしはですが、一緒にいて気が楽な人って、鈍感でおおらかな人が多いんですよね。

気遣いのできる人は素敵ですし、ある程度人の顔色を伺うことも時には必要です。

でも、他者に対しては「察してくれるのは嬉しいけど察してくれなくてもイライラししたりガッカリしない」くらいに構えているのがちょうどいいのだろうと思いました。

わたしも察してほしいと思ってしまうときがありますが、そのたびにこの話を思い出して平常心を保てるよう訓練することにします。

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