そう簡単にはいかない機能不全家庭との和解の話
たまにぽつりぽつりと家庭環境の話をツイートするのですが、どうも自分の肉親を「毒」親と呼ぶのは辛いものがあります。
けれどもじつは「ハハオヤ」「チチオヤ」「ジッカ」「リョウシン」と文字にしたり口にしたりするのもなんだか抵抗があるんですよ。
エデン界隈にいると普通の感覚が狂ってくるのを感じますが、そうだとしてもウチはそこまでヤバイ家ではなかったです。
構成員単独での毒っていうのはまあ普通に毛がはえた程度なんですが、構成員同士の関係性が問題でした。
そんなこんなで一人暮らしを始めたのですが
ひたすらに清々しい気分でした。
実家ではいくらお尻をたたかれても全くやる気にならなかった家事も、喜んでやりました。
このときに、やっとわたしの人生が始まったように当時も今も思います。
母親はわたしに対して支配的で、彼女自身とわたしの境界が曖昧だったのだと思います。そして母親の父親(=わたしの祖父)も彼女に対して支配的であったようです。
彼女は自分がされた理不尽な扱いをそのままわたしにしていたのだと考えられます。
わたしは早くに目が覚めて良かった。すごくラッキーだった。
今でこそ冷静にそう思えるけれど、わたしは母親に愛されたかった。
愛情たっぷりの幼少期を過ごし、思春期はたまに衝突しながらもお互いのことを尊敬し合えるような親子でいたかった。
寂しい気持ちや悲しい気持ちをすべて怒りとして母親にぶつけてしまっていた。
寂しいとか悲しいとか、本音を言えたら良かったのに。そうしたら違ったんだと思います。
ひとつ都合がいいのは、この問題はわたしの中だけで完結するということです。
もし母親が今までのことを悔いてわたしに謝罪をしてきたとしても、もし今母親との関係性がかつてのわたしが望んでいたものになったとしても、
わたしの心の傷は癒えることはないと断言できます。
母親に何かして欲しいとか、理解して欲しいとか思う気持ちはもうありません。
傷ついて殻に閉じこもっている過去のわたしを置いてけぼりにしては可哀想だというか、お迎えにいくのはわたしの仕事なんじゃないかなと思っているわけです。
なんだかおかしな表現ではありますが、自分ではそれがしっくりきています。
いつになるかはわからないけれど、ゆっくりと時間をかけて、向き合っていきたいと思います。
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