目黒通りをベスパで。人生の満足について。

私たち夫婦は車を持っていない。都内暮らしには贅沢品だ。駐車場だってこのあたりでは月に4万円もする。

だから車が買えない代わりに、もう何人持ち主が変わったかも怪しい中古のベスパに乗っている。しょっちゅうエンストするし燃費は悪い。でもかわいい。とてもかわいい黒いベスパ。

私は免許をもっていないから、バイクに乗るときはいつも夫の背中に掴まってその体温に浸ったり、風で聞こえにくいのに話しかけてくる彼の耳元に口を近づけてえっ聞こえないよと言ってみたりするのだがそれはなんだかとても愛おしい時間だ。バイクに乗る日は気分がいい。

18歳で上京して、まず山手線と中央線を、それからだんだんにメトロや私鉄を覚え、頭の中になんとなく路線図が描けるようになった。そうやって電車を乗り継いでいた私の頭の中の地図は二次元だったけれど、バイクに乗るようになって立体感がでてきた。それがとても面白い。

いうても庶民的な世田谷を抜け、目黒に入るとなんとなく街がシュッとしてくる。ビルの雰囲気が垢ぬけ、走っている車の外車率が上がる。駅前に近づく一瞬ガヤついてチェーン店が増えるけれど、ほんの1、2分も走れば静かな美しい街並がまた広がる。いいな寄ってみたいなと思うお店も多いのだが、メモをするにもシャッターを切るにも、しがみつくのに塞がった両手は使えない。一瞬で場所的にも脳内をも通り過ぎてしまう。あーあ。まぁでもまた来たらいいのだし、という余裕を感じていることに気づいてはまたちょっとにやける。

ある種の優越感みたいなものって、満足感を得るには必要なのかもなと思う。私にとっては間違いなく、この東京の街を自分の街として過ごせていることはそのひとつなんだろう。

歩くよりもずっと遠くまで、自転車よりももっと早く、車よりもはるかに手触りを感じながら、東京の街をベスパで走る。燃費は悪いしすぐ壊れるけれど、イタリア生まれのかわいいベスパ。

何者にもなっていないし、このベスパの他には何も持っていないけれど、

あぁ私はとても人生に満足しているなぁと思うのである。

もうすぐ銀杏が色づいて、目黒通りが一年でいちばん美しい季節になる。