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正しい街

ずっと正しい街のイントロの始まりみたいな気分 今思えばこんなわたしだから二十歳くらいのとき箱に行っては泣くを繰り返してたことに納得がいく もう連絡とれなくなっちゃったひとのことを思い出して泣いたりJロックの言葉に突き動かされて泣いたり でもサカナクションで泣いたのは全部が美しかったからだっていうのははっきり覚えている 空間っていう言葉の意味を知った気がした あときちんと生きてる間にWhat's wrong with me?って叫んでおきたい 誰もなにも間違ってないのを知ってるのに みんないつも泣きながら言うんだから相当人生って難しいんだと思う ツイッターでそこまで興味ない投稿を見る時間も友達の近況報告ストーリーを見る時間も本当に意味を持たない そういうのを見た後って必ずなんの充実感も得られない でも多くのひとがやってしまうあの時間ってなんなんだろうか きっと暇つぶしが正解だと思う わたしたち忙しいって現代人は忙しいっていわれてるのに暇つぶしをしているの もしその時間携帯を見ずたとえば電車の窓の景色をぼーっと見たりとかしたらなんか時間が自分にもあるんだって思えそうな気がする やっぱり情報がわたしたちを忙しくさせているだけでもっと暇になれるのかもしれない 暇になれるっていうことは、もっと毎日に浪漫を求められるかもっていうこと

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