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自分を責める言葉が浮かんできたら…。

わたしの趣味は自分を責めることです

と言っても過言ではないくらい、自分をいつも責めていた。

それも、自分でも気が付かないほど無意識的、習慣的に。

人を楽しませられない自分を責める。何か失敗をしては人を失望させてしまう自分を責める。周りの人たちの「上手くいっている」様子を見ては、彼らのように器用に生きられない自分を責める。何も持っていない自分を責める。

わたしはいつも、わたしによって責められてきた。

最近、自分を責める思考が浮かんだときに愛用している言葉がある。

「そうだよ、だからなに?」である。

自分を責める思考が浮かんできたら、とりあえず開き直ってみる。

「あんたさ、友達少ないよね」
「そうだよ、だからなに?」

「あんたつまんないよ」
「そうだよ、だからなに?」

「あんたって本当ゴミみたいな女ね!」
「そうだけど何?」

「あんたなんか生きてる価値ないから!!」
「あーハイハイ、だから、なに?」

自分を責める声に、負けてはいけない。

友達少ないからなんなのよ、モテないからなんなのよ、金がないからなんなのよ、病気だからなんだっていうのよ。あなたの価値はそんなもんじゃ測れないでしょうが。

その『わたしを責めるべき理由』なんて、どーせ いつかの誰かからの受け売りか、どっかそのへんで拾ってきた価値観とか基準で汚れたジャッジメントにすぎないでしょう?

考えてもみてよ。そんなものの下に自分を置かなきゃいけない理由なんて、どこにもないじゃない。

自分を責めるための価値観や基準なんて、そんな不健全でクレイジーなもの、早く捨ててしまえばいいのよ。

でも、でもね。どうしても自分を許せないときって、やっぱりある。「こんなことをしてしまった自分を、わたしは絶対許さない。」そう思うことも、やっぱりあるんだよね。

そんなときは、飽きるまでそのことを責めていて、いいんじゃないかなと思うんだ。だって、許せなくて当然だもん。

それでね、自分を責めて責めて責めて、あるとき、泣きながらも ふと気がつくの。

これほどまでに、わたしはそのことに一生懸命向き合うことが出来る人間なんだと。傷つけてしまった相手を、そこまでの愛とひたむきさをもって真剣に思い抜くことができる人間なんだと。

自分を許せない気持ちって、「相手を守りたかった」「幸せにしたかった」っていう、本当にピュアな気持ちの裏返しだと思うから。誰かや何かと、一生懸命、真剣に向き合ってきた証だと思うから。その思いが大きければ大きいほど、それが出来なかった自分への失望も大きくなってしまうよね。

力不足だったあの頃のわたし。過ちを犯してしまったわたし。誰かを傷付けてしまったわたし。そしてその “ どうしても許せない罪 ” を抱えて苦しんでいる、真っ直ぐな思いをもったわたし。

そのどちらをも、そのまま まるごと抱きしめてほしい。

許せないものを、許そうとしなくていい。気の済むまで、責め続けていい。どうしても許しがたいものがある、それを知るだけでいい。

どうしても許せないものがある自分ごと、自分自身を非難し糾弾し続ける自分ごと、許し受け容れ、抱きしめる。

後悔も怒りも、悔しさも悲しみも。ぜんぶぜーんぶ、抱きしめる。

そしたらね、かたいかたいこころの中の氷山が、少しずつ解けて流れていくのを、きっといつか、感じられるはずだから。

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