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北で

仕事の都合で少しだけ東北へ行っていました。
ずっと部屋にこもって仕事をしていた反動でか、空の広さとか山の大きさとかすべてが美しくて嬉しくてちょっと泣きました。情緒は環境に左右されるのだ。

その帰りにずっと行きたかった青森県立美術館に寄りました。
いまやっている展示は「この世界と私のあいだ」というもので、個々の作品自体はとてもよかったけど、個人的には常設展的な枠組み以上の感動はなかった。
(作家が集められているのは贅沢をあじわえるけど集められた意味を考えてしまうっていうのを常設展的だとここでは表現している。)
それでも建物自体の良さがあっていつもより時間をかけてひとつひとつの作品を見られた。
建物全体のデザインが土地柄に即したものになっていて地下に展示場があることと、全体のアートディレクションがきちんと相互に作用していて、とてもよかった。これは地方だからできることですね。
直前に特に意識せずこの美術館のグラフィックデザインを担当している菊池敦己の展示を見ていたのだけど、現地に赴いて初めて表現の強さとこの建物に即したデザインだったことがよくわかった、わかったというか、身体中が感動してた。すごい。
紙のデザインは紙でたしかめるときに即しているべきだし、表現はそれを味わうメディアにあったものを、というのは作っていても考えるし作品を見ても思うけれど、今回は先にグラフィックを単体で見ていたから平面としてとらえていたデザインが場所と空間のためにものすごく作用していることがより感じられた気がする。
データになるものを作っていると、受取手がどんな媒体でどんな状況で見るかわかないことが多くてそこに悩んでいることが多いからかもしれないけど、青森県美は建物と土地とデザインとがみんな両想いで、そのために存在している感じがしてすごくよかったです。両思いのものを見てるのはとても安心します。

表紙画像に設定した奈良美智の「あおもり犬」が見たくてずっと行きたかった場所だったのだけれど、これがとても良かった。
佇まいが良かった。

金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ 」のと共通した感覚の好きさだった。その空間だけ時間がぽっかり切り取られている感じで、その場にいるはずの自分の存在感は無くなって鑑賞者からはその存在自体も作品を含めた空間として認識される感じ。うまく言えないです。
美術館という場所には学芸員さんがいるので、お客さんが少なかったりすると「作品を見ている自分を見ている学芸員」が気になってものすごく気が散ったりするのですが、こういう作品(あおもり犬とかブルー・プラネット・スカイとか)にはそれを感じない、無料鑑賞できる位置にある作品だからなのか、鑑賞者が鑑賞者をフラットに感じられるようにできているのが居心地がよくて、よくできているなと思います。


燦鳥ノムさんのPV作ったの見てくれました?
編集をしていただいた84yenさんの作品が元々かなり好きで、今回一緒に制作できて超うれしかったです。最強編集なので見てくださいね。
藍にいなさんが作った原曲のMVはもちろん、星野舞夜さんの原作小説、YOASOBIさんの楽曲を、どうやってノムさんが歌うことと合致させて表現におとしこむか色々考えた結果こういったものになりました。
実験的な、初めての試みもたくさんできてつくっていて楽しかったです。そういうことができるのは技術でカバーしてくれる編集があるからだったりします。
アニメーションをガッツリやっている作品で編集を別の方がする、というのは実は初めてだったのでそう言う面も含めて少し新しいものができた気がします。

あ、あと今作は諸事情から名義を「マ」にしております、エンドクレジットで出てくるシーンで毎度笑ってしまいます。またエゴサがしづらくなりました。「飴屋エマ」「飴マ」がいちばんエゴサしやすいです、よろしくお願いします。「マ」のエゴサはむり。

普段感想をもらうことが無い友人知人から反応があって新鮮でした。作っていて感想を貰えること自体が本当にいつも嬉しくありがたいことですが、自分の周囲の人でも自分の作品への好き嫌いがあって、おもしろいなあと思います。
自分的に気づいてくれたらかなり嬉しいなっていう要素がひとつあって、それをひとりだけ気づいて(しかもなにげない感じで)言葉にしてくれたのもすごく嬉しかったな。

今日の日記は全然推敲してないので文体がめちゃくたゃです。ごめん。

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