自分に負けないってなんだ

よく言う自分に負けないってなんだかよく分からない。自分は自分じゃないのか。自分なのに味方じゃないのか。せめて自分くらい自分に味方してくれないと、幾らなんでもハードモードすぎやしないか。優しい世界はどこなんだ。

そんな捻くれをめざましテレビ合間の某CMを眺めながら抱いた朝だった。

わたしが俗に言う努力を最も費やしたのは、大学受験の時だった。とはいえ進学先は世間一般に然程難関ではなく、単に自分の興味の矛先で最も環境の良い場所に、圧倒的余裕をもって進学したのみの結果であった。

その時の敵は誰だっただろうか?少なくとも自分ではなかった。時計だろう。圧倒的速度で進む長針の恐ろしさたるや、意味をなさない英文読解の意地の悪さと相まって、あれほど憎らしいものはなかった。全ては時間との勝負だった。

アスリートにとっても大統領にとってもがん患者にとっても美容師にとっても、なにか成したいものごとが在るうえで、結局のところ《敵は時間である》に帰結しないか。みんな時間さえあれば大概が達成できるだろう。サラリーマンになったわたしも大概の売上は時間さえあれば達成できる気がしている。

時間の擬人化で自分と表現しているのか。であれば腑に落ちるみたいだ。自分にとっての25年間は則ち自分ということか。成る程。

これを単に未来軸で置けば理解は容易そうだ。今から未来の1年間で何が成せるか、則ち今から未来の自分との戦いということか。

なんだ。言語化って大切だな。咀嚼しちゃったじゃない。自分に負けてられないな。





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