片方のイヤホンを渡す的なアレ

分岐以降のイヤホンってたぶん30cm強ずつくらいしかなくて、それを誰かとシェアするって、すごくパーソナルな空間に迎え入れることになるじゃないですか。その上で、隣り合わせに同じ聴覚刺激を共有するんです。

無茶苦茶に良いことだと思う。こういった感覚に対峙すると途端に語彙力が失われていくが、兎にも角にも《良い》のだ。良いものに理由は要らないと都合のよいポリシーを貫いてきた。

この圧倒的《良い》に出くわし難くなってしまった事実を、増税前に駆け込んだヨドバシカメラ新宿マルチメディア館北館で噛み締めた。

どいつもこいつも、セパレートしていた。明らかに従来機とワイヤレス機前の人口比には差異があった。

かく言うわたしも、目的としてきたのは後者だった。そして思い出された《良い》に、得も言われぬ遣る瀬無さを抱いたのだった。

遠くない未来、相合傘なんてものもなくなるのだろうか。降雨の感知に伴って、AIがパーソナルの上空に水を弾き飛ばす音波だの電磁波だのを張り出して、傘を差す行為から必要がなくなったりするのだろうか。

そんな有りもしない解りもしないことを連想しながら、ヨドバシカメラを後にした。結局、なにも買えなかった。3万円のイヤホンを買ったところで、600円の差ではないか。手元のイヤホンはやや心許ないが、まだ元気である。人生600円に泣くことはあれど、一旦見送ることにした。


ただ、会いたくなってしまった人はいた。まだ在る従来機イヤホンで、Spitzのスピカでも流しながら。できれば、雨の日に。

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