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映画『エクス=マキナ』感想(ネタバレなし)

タイトルだけは何度か聞いたことがあった作品。
デトロイトビカムヒューマン(ゲーム)や恋するアダム(小説)のような、機械と人間の違いとは何か?というテーマの作品が好きなので、こちらも視聴してみた。

あらすじ

IT企業のプログラマーである主人公ケイレブは、社員間の抽選で、彼の会社の謎に包まれたCEOネイサンの、僻地に建てられた豪邸兼研究所への招待券に当選した。そこでネイサンはある人工知能の実験体(エヴァ)をケイレブにテストしてもらい、彼女の知能は機械の範囲にとどまっているか、それとも人間の域に達しているのか判断して欲しいと言う。
豪邸にはCEOであるネイサンと、家事をする東洋人女性、そして人工知能のエヴァしか居ない中、ケイレブは徐々にネイサンの異常さと、彼の本当の思惑に気づき始めるが、同時に機械であるエヴァに必要以上の感情を抱き始めてしまい…

デウス=エクス=マキナとは

古代ギリシアの演劇において、登場人物たちの運命がもつれにもつれ解決困難な状況に陥ったとき、絶対的な力を持つ存在が現れ、混乱した状況をサクッと解決し物語を収束させるたいう手法のこと。

感想

まず何と言っても画面が美しい映画。最先端の技術と大自然という正反対のものが融合したような豪邸兼研究所を舞台に、AIと人間たちの危険な交流が行われていきます。アカデミー賞視覚効果賞をとっているのも納得。建物だけでなくその中に置かれている小物、登場人物の名前にも、この映画のテーマが象徴されていて、記号的な作品です。構成も、ケイレブがエヴァをテストするためのセッションとして、セッション1-7に区切られて展開していきます。でも観ていくうちに、この映画で本当にテストされているのは人工知能のエヴァではなく、完全な知能を持った機械と初めて対面した人間たち、つまりケイレブやネイサンなのではないかと思えてくる。
ケイレブとネイサンはおそらく、AIと直面した際の私たちのあり方を二通りに分けたモデルなのだと思う。二人はエヴァに対して、というかAIに対して、正反対の態度を取る。観客はどちらのスタンスが正しいと考えるか?とつきつけてくる映画だ。

人工知能と人間の未来について、楽観的な見方はしていない作品だったが、この映画を観て人工知能が怖いというよりも、一つの物体が人間になることの難しさや悲しさを感じた。なぜなら機械ではなく人間だ、または動物ではなく人間だと自分を定義した途端、登場人物たちはさまざまな困難に直面するし、時には血が流れるからだ。フランソワトリュフォー監督の映画で「野生の少年」という、12歳まで森で動物として生きていた少年を教師がなんとか人間として育てようとする話を思い出した。人間が人間であることが悲劇であるように、機械が人間になることも悲劇になるのかもしれない。未来で起こるかもしれないその悲劇で、何がエクスマキナになるのか、観客たちに考えさせるための映画だったのかなと思った。

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