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「無意識ー空の章ー」 #1 キセキの種

俺は、今の今まで忘れていた。

この店の一階に、ピアノがあったことを。
誰も手を触れようとしない、飾り物のピアノ。


俺たちは一斉に手すりに駆け寄った。

そのまま螺旋階段の横を見下ろすと
そこには招き猫が、いや北里泉が
あまりにも自然に鍵盤に向かっている。

何年も前からの日課のような顔で。

「コイツ寝てたんじゃなかったんだ…」

俺のつぶやきなんて、たぶん誰も聞いちゃいないだろう。


はじめのうち右手で拾っていたメロディに
少しずつ左手が添えられていく。

時々途切れたり、和音が厚くなったり
再びメロディに戻ったりしながら迷走中。


ただ、なぜかとても懐かしい響きだ。


「何の曲だっけ」

小声で、誰にともなく質問する俺。
隣で首を傾げたまま、何も言わない夏井さん。


「思い出せるはずがないじゃないか」

またもや宇宙人になってニヤッと笑う店長。


だんだんその曲が
懐かしいのか新しいのか分からなくなってきた。


進んできた音が急に止まる。

一度手を離し、下を向いてじっと考えていた北里泉は
何かを確信したように小さく頷いてから鍵盤に指を置きなおす。

次の瞬間、予想もしなかった音が「フレンドシップ」を包み込んだ。


突然大量の水があふれ出したように足元に迫ってきて、身動きが出来なかった。

和音の上に、さっきたどたどしく弾いていたメロディーが重なって
ゆっくりと加速していく。

手すりを握りしめたまま
次々と生まれていく音に、俺たちはクギ付けになっていた…。


                 ☆

その場所は、もう何年も空き地だった。


小学生の頃、何度か親に連れていかれたレストランは中学に入る少し前に閉店。

その後、中途半端なゲームセンターや雑貨屋になったりしたけど、どれも長く続かずにとうとう建物も取り壊された。

「まあ、こんな地味で盛り上がりに欠ける町だし。どんな店が出来たところで結果は同じってことなんじゃないのー」

無関心で無責任な俺の分析通りに
以来、その場所は空き地のままだった。

高校に入ってからは、毎日自転車で通る風景の一部になった。

町を縦断する県道沿い。
歩く人は滅多にいないから自転車で歩道に乗り上げて走るのがあたりまえ。
狭くてボコボコ。
段差で転ばないように気を付けているうち、いつの間にか通り過ぎてしまう
あまりに存在の薄い、空気みたいな場所。

次に何が出来るのかを期待する人なんて、この町にはきっといなかった。


                ★


「ついに見つけた。探してたそのまんまの町」

「探してた町って、それ何の話ですか」

「未開拓のユートピアだよ。僕の夢が叶っちゃいそうな」


                ☆

遠い遠い、俺が見たこともない都会の真ん中で、その頃↑↓こんな会話が聞こえていたことなんて、もちろん知るはずもなかった。

                ★
「結構前から学生時代の友達とか、ツテのツテのツテぐらいまで頼って
探してたんだけどさ、なかなかピンと来る所がなくて。
でもこの間見に行ったあの町はいい。イメージぴったりだった」

「そこで夢を、叶える?」

「そう」

「ちょっと意味が…」

「分かんないよね。…具体的には、その町で店を開く。ちょっと派手な見た目のね。音楽好きな学生とか、フリーターとかが入り浸るような場所を作るんだ」

「それが水元さんの夢?」

「まあそうかな」

「今の仕事は?」

「続けながらでも出来るかも知れないけど、ちょっと遠いし。毎日眺めていたいから、辞めてそっちに行くだろうね」

「え、本気?」

「ダメ?」

「ダメって言うか…。だって今の音楽プロデューサーの仕事は生きがいだったはずでしょ。それを手放してまで行く所とは思えないし」

「実はそんなに変わんないと思うんだけどなー。やることは」

「変わんないって何が」

「僕が楽しいと感じるのは、音楽の才能を見つけたり育てたりすることだろ。
それがどんな場所だろうと・・・」

「ホントに変わらないかな。その町に何があるのか私には分からないけど」


「未智ちゃん、僕はね、なーんにも無い所へ行きたいんだよ。日本中で特に誰も注目しない、期待しないような所。
例えばそこで平気で暮らしているような若者が、もしとんでもない音楽の‘種’を隠し持っていたらどうする?なんかワクワクしない?」

「しない」


「僕は昔から完成されたものにあまり興味がない。そういう意味じゃ、東京はもう来るとこまで来てる。情報も、才能も放っておけば集まって来るし。
そうじゃなくてさ、探しに行きたいんだよね。こっちから探しに行かない限り自分の中にあるものの価値にも気づかない、のんびりとした無関心な奴らを」


                ☆

なーんて、キソウテンガイなことを言い出す人がこの世にいることも知らずに
ただ遅刻しないように自転車を走らせているだけだった。

                ★

「どんな町なんですか」

「ホント特に何にも無いよ。駅が…これ駅か!?っていうぐらいの小さい駅がポツンとあって。その線路と並行する道と、駅から垂直に伸びる道が一本ずつ。
家と店と空き地がバランスよく点在してて。ちょっと寒いけど、平和でのんびりした町だね。
それに土地も安いから、これまでの貯金と退職金で店もなんとか建ちそうだし。
まあ、それもツテのツテのツテだけど」

「場所は?」

「えっとね、地図で言うと…ここ。何といっても町の名前が良いんだよ。キセキ町。あれ?…そう言えば未智ちゃん、このあたりの出身じゃなかったっけ?」


                ☆

謎の人物のターゲットになっているのは
そう、俺の住んでいる貴石町

ちなみに、読み方は「キセキ町」じゃなくて「タカイシ町」ですけど。


平和でのんびりとした貴石町に、その店が建ち始めたのは高3の秋。

俺が田舎の大学生になりそびれることが薄々分かって、専門学校のパンフレットを持ち歩いている頃だった。

例の空き地にはトラックが出たり入ったりして急に騒々しくなり
(おかげでこっちは歩道を分断されて遅刻寸前の日々)


しばらくして鉄の壁で囲われて


ある日、気が付くとコンクリートの巨大な物体がそびえ立っていた。


「何だこれ…!」

その建物は、レストランやゲームセンターだった頃より大きくて
ガラスがピカピカとやたら多くて


何より、この町には全く似合わなかった。


看板は枠だけで、まだ文字がなかった。

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