君は本当に真剣に、本音で生きることと向き合っていたのか(2)

* この文章は「君は本当に真剣に、本音で生きることと向き合っていたのか(1)」の続きです。


ほんの些細な費用請求での出来事をきっかけに、自分の心に「本音で生きているのか?」を改めて問いかけることになった。

なぜ、こんなちっぽけなことを理由に、「本音で生きる」について語るのだろうか。


それは"誰でも経験したこと" または "だれでも経験するだろうこと"だからかもしれない。

自分が謝れば終わるような話の中で、自分のいる社会構造みたいなものが頭に浮かんだ。


一番上の段にどっかの部長がいて、その下に部長の部下の方がいる。その下もしくは同等にたくさんの人がいるのだけど、更にその下に私もしくは私と同じ立場の人がいる。


この構造を頭に浮かべたとき、私自身がいる位置を考えてみれば、まあ謝るのも仕方がないことかとも思う。


しかし、なのである。


大袈裟ではあるが、なんだか他の人がいるこの構造までも"仕方がないもの"と認めているような気がした。他の人にまでこの"仕方のない価値観"を押し付けるのだろうか。


もし、自分の後輩もしくは友達が同じ境遇にたったとき、どうする。

「とりあえず、謝っておけば楽だと思うよ」と言うのだろうか。


"私はこんな社会を認めることができるのだろうか"

"自分が描いている未来はこんな社会だったのだろうか"

そんなことが頭に浮かぶ。



これを大袈裟なことと思うかどうかは、個人の性格もしくは個人の考え方の問題なのかもしれない。

気にならない人は気にならないし、気になっても上手くやる人は上手くやる。気に食わない人が社会からはみだす、それだけの話だ。


ただ私としては、"この社会構造は長くは続かない"と思う。


先ほど「自分が描いている未来はこんな社会だったのだろうか」と口にしたが、本当は未来のことではない。今現在、この構造は変わっていてもおかしくない時代なのである。


この広い世界を見回してみてみよう。

自分が物体として生きている"リアルな世界"と、スマホから手に入る"リアルな情報"と。


この社会の構造も私の理想も、広い世界、数ある価値観の中の一つにしかすぎない。

いろいろな考えを持った人がいて、いろいろな境遇を生きている人がいる。

”本音”なんて言わなくても、口に出すことみな違っていて当然なのである。


それがわかっていて、尚、小さい一つの社会構造の中で、自分の考えを言うことができなかった。


私って一体なんなんだ。私ってどうあるべきなんだ。そんなことを自分自身に問う。


<まだつづく>











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