個人と集団の話


わたしたちは一人の人間として生きているのだろうか?

それとも集団の中の一人として生きているのだろうか?



私は今2つの集合体の中で生きている。

Aという場所に籍を置き、Bという場所に存在する。

物体はBにいるのに、自分を表す名前はAにいるとも言える。


物体はいつでもBにいるので、自分はその中の内の一人だと錯覚をおこすときがあるのだが、実質私はAに存在している。




仕事を辞める決断をしたとき、(実質まだ話はついていない)

まずAへの相談をしなければならなかった。


当然のことと言えば当然のことであり、通すべき筋であるとも思う。


AとBとの間で契約をかわしている以上、

個人としてでなくまず集合体同志で話をする必要がある。


その点は理解しているつもりなので、

仕組みの一つとして集合体同志で話を勧めてくれればよいと思う。


その上で、Aのなかに"X"という個人がいるのであれば、

"X”としてBに話をしたいと、私は思う。


しかし、一個人としての意思を伝えることはあまり許容されないのである。




私は一人の人間として、Bの集合体のなかで過ごしている。

その中で出会う人と、出会う仕事と。

当たり前のことだけど、直接的・密接に関わりがある。



私はBという場所が好きである。Bにいる人達のこともまた好きなのである。

その中で生きていることを幸せに思う。



仕事を辞めるという、世間からはマイナスに思われる出来事だったとしても、

私は最後までBに存在する人達と全力で関わっていたいのである。


それでもやはりAのなかの"X"として、直接的に意思を伝えることは認められない。



"私はここで生きているのにな"

そんなことを思う。


Aとしての"X"か、Bとしての"X"か、ただの一個人としての"X"か。


私は今どこで生きているのだろうか?



さあ、私は(きみは)どっちをとる。

個人としての"X"?もしくは集合体の内の一人としての"X"?


<続かない>


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

シェアを...シェアを...して頂けると、ものすごく嬉しい...!!

うれぴいいいいち
3

ねねまる

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。