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認知症のおばあちゃまの忍者報復

 朝になると早番が出勤してくる。この日は、フィリピンから出稼ぎできているおばちゃんが早番だ。
「オハヨウゴザイマス!」
日本語ペラペラである。自分は勤務も終わりに近づき事務作業をしている。
Mさんの相手はそのおばちゃんスタッフになる。遠くでおばちゃんが悲鳴をあげている。
「ダメだよ!ドアを叩いちゃダメだよ」
Mさんがトイレのドアを外側からガンガン叩いている。フィリピン人のおばちゃんとちょっと言い合いになってしまっている。
その時Mさんがこう言ったのだ。
「あんた、アタシは客だよ。アンタがそういう態度に出るなら、アタシを怒らせたこと、後悔させてやる」
と捨て台詞を吐いてその場を立ち去った。まぁ、不謹慎だが認知症だから忘れるだろうから、と自分もほっておいた。
すると、別の入居者さんの悲鳴が聞こえる。
「キャー!!職員さん、来てちょうだいよ!!」
声の方に行ってみると、施設の死角になる部分いたるところに放尿の跡があるのだ。
Mさんだ、Mさんの仕業だ。チョロチョロと歩いているところを発見。すかさず、フィリピン人のおばちゃんが詰め寄る。
「Mさん、おしっこ床にしたでしょ!」
「な、何を証拠に・・・アタシはしてないよ、ちょっと転んだだけ、おしっこなんてしてませーん!」
と小走りにすり抜ける。そっと後ろからついていくと、他の入居者さんの居室入り口の死角でズボンを下ろして、しゃがみはじめた!!
すかさず
「Mさん、ダメだよー、」
「おしっこじゃないよ。」
不毛なやりとりが続く。一瞬でも気を許すと放尿されてしまう。Mさん忍者みたいだよ。ほんと。

空想

 夜になるとおばあさんたちも、昼の様子からだんだん眠る前の穏やかな表情になってくる。
部屋を巡視といって見回るとまだ部屋でテレビを見ている人も多い。昼賑やかな時には聞けない話でも夜になると、
ふと喋ってくれることもある。
 いつも食器拭きの手伝いをしてくれるTさんがいるのだが、Tさんの部屋に入った時、クーラーが効いてて、
寝転がりながらテレビを観ている様子を見て、僕が、
「Tさん、いいね、僕もTさんくらいになった時、そういったことができているといいんだけどね」
と言うと、
「できますよ。お兄さん一生懸命頑張ってるから」
と笑顔で答えてくれる。一生懸命、やってると思ってもらえてるんだな。ちょっと嬉しい。
「私ね、20年間近くの海苔を作る会社で働いていたの。あの女優がコマーシャルずっとやってたでしょ?」
施設で歌を歌ったり、折り紙をしている姿しかみてなかったけど、この人も現役の頃は今目の前にいる感じじゃなく、
バリバリ働いていたんだろうな。もしそのころ、今の自分がタイムスリップしていったらどうなんだろう?
昭和50年代くらいだろうか、上り調子の日本経済の中、社会人として活躍していた入居者さんたちを僕がもし
目にしたらどう感じるだろうか。今、お世話させてもらっている時の印象とは全然違うんだろうな。
今ガンガン社会で活躍していても、必ず引退して穏やかに暮らす日々が来る。その時、自分はどうなるんだろう。
自分の子供よりも小さな若者に面倒を見てもらうのだろうか。
 面倒を見てもらえるに値する活動をその時までにできるだろうか。
人は一人では生きられない。自分も介護という仕事を通じておばあさんたちのお世話をすることで、おばあさん自身だったり、そのご家族さんだったりに喜んでもらえる、何か役に立ったと自覚できることもできてきた。
 彼らが若かりし頃に、今の自分の境遇を話したらなんて言ってくれるだろうか?
経済成長著しい社会だからピンとこないのかもしれないし、励ましてくれるかもしれない。
 何れにしても、夜勤の深夜。一人広間で見守りをしている間、暗い部屋の中、そんなことを思ってみた。
人生ってなんだ?人ってなんだ?仕事ってなんだ?社会ってなんだ?俺は一体誰なんだ?人は何のために生きるのか?
死ぬこと、老い、とりとめもないキーワードだけが頭を支配していく。


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