アートとデザインの違いからみえる、最近の曲への戸惑いの正体【完】
昨日の投稿を経て。
最近の曲に対する戸惑いは、芸術作品と対峙した時の感覚に似ている。
気がした。
こちらの記事を読んで欲しい。
改めて、一昔前の曲と最近の曲との違いはこうだ。
【一昔前に売れた曲】
・大きなレコード会社
・作り込まれた(プロデュースされた)歌手
・大衆向けにヒットすることが目的
・いかに共感されるか
【最近の曲】
・個人(YouTuber)
・誰にも作り込まれてないピュアオリジナル
・声や歌詞が特徴的
・いかに自らの想いを伝えられるか
これを踏まえ、以下
アート(芸術)の定義は「特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品」、デザインの定義は「作ろうとするものの形態について、機能や生産工程などを考えて構成すること」と、2つの基本の定義が見られ、デザインは計画から成り立ち、アートはより多くの感情と、より少ない考えから成り立っているようにみえます。
昔の曲は、レコード会社のヒットするための計画の元作られ、
一方最近の曲は、歌い手の感情を表現するために作られている。
引用を踏まえると、
昔の曲はより、デザインに近く、
最近の曲は、よりアートに近い。
加えて、
さらにアートには天性からなりうるスキルを必要とし、デザインは習得することが可能であるととれます。
昔のアイドルをはじめとしたヒット曲を出した歌い手の多くは、
歌がはじめから上手い訳ではないし、歌い手自身に才能が必ずしもあった訳ではない。練習や、周囲のサポートが無くてはならなかった。
一方、最近の曲は、まさに天性のものを感じる。凡人には考えにくい詩的な言葉のチョイスやリズム、メロディー。それは凡人が習得できるものではない。当然、それらすべてを個人、またはチームで行なっている。
こうした、アートとの共通点。
私が感じた、最近の曲に対する戸惑いは、
芸術作品と対峙した時に生まれる戸惑いと同様の感覚で間違いなさそうだ。
つまり、最近の曲がアートに近いものであるのなら、その戸惑いの正体とはこういうことなのだろう。
理解されることは重要ではない
アーティストは見た人がそれが何であるか、何を伝えようとしているかを理解するかという点は気にしません。むしろ上記に述べたように、アーティストの感情を表現しているのです。アーティストも見ている人も、その作品がどんな感情を表しているか理解されなければその作品は失敗である、とは考えていません。
利益のためではない
私が考える多くのアート作品は利益のために制作されたわけではないので、純粋であると言えます。私の知っている多くのアーティストはそうしないと気が済まないから描いたり、書いたりしていると言います。創造するために思いを巡らし、その作品が販売されたとしたらとても良い事ではありますが、私の経験では作品で利益を生むということは一番の目標ではないと思います。
ユーザーの役割は少ない
アーティストが何かを創造するとき、通常彼らはターゲットユーザーについて深く考えたりしません。むしろユーザーとは最終的にそのアートを体験した人であって、特定の「誰か」というわけではありません。
主観的
それがいいアートであろうとなかろうと、アートは主観的であり、「美は見る人の目の中にある」という有名なことわざがピッタリと当てはまります。誰かが作品を見て絶賛したとしても、他の人もそう思うとは限りません。基本的にアートは、何が上質の作品であるかという点では限りがありません。
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