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同情の押し付けの快感【続】

YouTubeで流行っている、悲しい曲や、いわゆる重い曲って、どうやって聴けばいいのだろう。

かつては、何かしらの感情アプローチ(喜怒哀楽)で万人受けを狙う曲が多かった。多くの人に聴いてもらい、売れるために重要だから。

最近は、作曲者の感情をより具体的にぶつけて世の中の反応を伺う系が多い。
A君の死、自殺、いじめ、メンヘラ、エトセトラ。

曲を音として聴く人間は昔からいたが、最近は特に、コメントやSNSを通じて曲を解釈しようとする人間や、共感の共感を得ようとする人間が増えた。

前者はたしかに恋愛ソングにしろ応援ソングにしろ、初めから大衆向けに作られたのだから、共感することが多い。共感するからその曲を好きになって聴いた。

しかし、後者の曲を聴いて一瞬でも共感した気になった自分が怖くなった。よくよく考えると自分がどこに共感して好きになったのか分からなくなったからだ。

人の感情はとても流されやすい。詩に関係なく、雰囲気やメロディー、MV、歌い手の人間性、話題性など、共感の錯覚が極めておきやすい。それが実際に起きていた。

従来の共感するから好きになり聴いてしまうという論理が当てはまらない。

共感とは本来自分が同様の経験(もしくは似たような経験)をしたために、沸き起こる感情。
しかし、こと最近の曲にいたって、それとは違う。

共感ではない何か。

そうか、同情だ

経験したことのない歌詞の内容に、ダイヴし、歌詞を通して擬似体験をし、同情する。

歌詞の意味の琴線に触れ、
普段何となく聴いている曲に酔いしれていたのは、共感していたからではなく、私の同情の押し付けの快感だと気づいた途端、わたしはそういう曲をどうやって聴けばいいのか分からなくなった。

続く。





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