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アムリタを読んで

日常とはなんだろう。そんなことをここ1ヶ月くらいずっと考えている。

先日、吉本ばななさんの著書、アムリタを読んだ。

きっかけはツイッターでつながっている@notitleyogaさんがあげていた画像だった。

グサリときた。

ここ最近なんだか鬱々として、くすんだ毎日を過ごしていたからかもしれない。

のちに読んで知るのだが、これはアムリタの小説の中にでてくる言葉。家族で夕食を食べている時、主人公の母がみんなに聞いた人生の秘伝、チェックポイントだ。

ツイッターを見た後、すぐにこの本を買って全く前知識なしで読みはじめた。

少しあらすじを書いておこう。

主人公の朔美はOLだったが、上司と喧嘩をしてやめ、行きつけのバーでアルバイトをしている。

朔美、母、年の離れた弟、いとこ、母の幼馴染というちょっと珍しい編成で同じ家に暮らしている。朔美には女優だった妹の真由がいたが、自殺のような事故でこの世にはいない。

朔美はある日、頭を打ち記憶があいまいになる。そのころ、弟にも超常的な変化が現れ学校にも行かなくなる。

それでもゆっくりと家族の日々はすぎる。高知で釣りをしたり、サイパンで霊的な体験や心地の良い時間を過ごしたり。半分死んでいると言われた朔美とその家族や友達たちの日々が何気なくも柔らかな会話とともにすぎていく。

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上下巻ともあっという間に読んだ。

小説を読んだというより、エッセイを読んだような読後感だった。初めての感覚だったかもしれない。様々なエピソードが起こるが、いわゆる起承転結で分かりやすく盛り上がったり、ピンチに陥って劇的に逆転するような話ではない。

日常の話だ。

ただ、時にUFOを見たり、生き霊のようなものに触れたり、非日常の出来事が起こるが、それもたんたんと日常の一部に含まれている。

それゆえに上記のあらすじを書くのにとても悩んだ。というか、ほんとに上手くあらすじが書けない話だ。一つひとつのエピソードは何気ないが、しかしどれも大切な部分だと思ったからだ。

エンタメのストーリーが心電図の線のように、後半にかけピークを迎えるのとは違う。この話は常に高い位置で小刻みに動いている印象だ。

僕はあまりこういった話を読んだことがなかったので新鮮だった。

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非日常もただの日常の一部、なんてことを本を読む前によく考えていた。今でも考えている。

どうしても同じ毎日の繰り返しで、なんだかなあ、と自分は思ってしまう。しかし実はその日常はとても大事な一瞬なのではないか、そもそも日常も非日常も区別なんてないのではないか?なんてことを最近よく思っていた。

そんな時にタイミングよく@notitleyogaさんが話題にしていてそれがスッと入ってきた。

だから読むべきタイミングで読んだんだろうな、ということを強く思ったのだ。

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内容について少し触れる。

妹の話、サイパンでの霊の話。おそらく全体を通して「死」というものが根底のテーマにあると思うが、決して悲観的ではなく、かといってポジティブでもない。少し離れた距離から「あるもの」として意識している、という印象だ。

また、その反対にある「生」そのものが日常なのかもしれないと思う。

途中から弟が超能力のようなものに目覚めていったりと、少しスピリチュアルな話になっていく。人によってはここで敬遠する人もいるのかもしれない。しかし、個人的にはコズミくんとさせ子(なんと本名だ)さんが登場してからがぐっと面白くなった。サイパンで過ごしている間の会話のひとつひとつにハッとする。

そのほか、数々のエピソードがあるが、特に印象に残っているのは、竜一郎が朔美に言った言葉、

「君がどんどん変化していくのを見ていると、人間っていうものは本当に、いれものなんだ、と思うんだ。いれものなだけで、中身はどうにでもなるって」

身体はいれもの、容器にすぎないと言う話。仏教か何かの話でも似たようなことを聞いたことがある気がする。

言葉にするのが難しいけれど、精神的な部分で見た目や身体つき、オーラのようなもの(僕は見えませんよ)が変わるのを実感することも多い。

環境が変わって垢抜けていく友人や、仕事でも責任のあるポジションを与えられ、メキメキと変わっていく人を見たことがないだろうか。

それは中身の部分が変わるので、いれものである身体も合わせて変化するということだと思う。

このときの竜一郎の言葉には先がある。それでも、朔美の底の底のほうにある魂のようなものは変わらない。いつもそこにある、と。

主人公の朔美は頭を打って記憶の感情を無くしている。させ子に半分死んでいる状態と言われるほどだ。ただそれゆえに、いれものの中は空きができている。新しいことをぽんぽんとすんなりと入れることができる。

おそらく僕には今、その空きがないなと思う。これはほっとけばいいのか、何かをすべきなのかよくわからない。そのうち平気になるのかもしれない。今はほっといて待とうと思っている。

後半、弟が夢の中で死んだ妹の真由に会う場面がある。その時のセリフがタイトルであるアムリタに繋がっていると思う。ある意味、この部分がこの話の全てを表しているのかもしれない。その部分は読んで確かめてほしい。

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この本は、おそらく2回目を読むと、その時の心情、状況などによって読み方、捉え方が変わりそうな気がする。おそらく3回目もまた違うのだろう。

きっと僕はまた別のタイミングで読むだろうし、そしてその時はまた今回とは違った感想をもつのだろうな。不思議な小説だ。

啓発系の本にあるような強い言葉で、こうするべき、こう生きるべき、などのメッセージがあるわけではない。

ただ、やはりこの言葉たちは優しいバロメーターとして心に残る。

食べ物おいしい?食べ物の味をちゃんと感じてる?

朝起きると楽しい?1日が楽しみ?夜寝るとき、気持ちいい?

友達が前から歩いてきます。楽しみ?面倒?

目に映る景色がちゃんと心に入ってきますか?音楽は?

外国のことを考えてみて。行きたい?わくわくする?それとも面倒?

明日が楽しみですか?三日後は?未来は?

わくわくする?憂鬱?今は?今をうまくやってる?

自分のこと気にいってる?

正直、今現在の自分はこの質問にほとんどYESと答えられない。

それでも、まあ、なんとか日常をやっていきますか、という気持ちがじんわり湧いてきている。

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