note 1号 #1  日本の生活を始める。

2016年3月31日午前1時、名古屋から入国


日本での生活が始まった日である。
ある程度住んでいたのだろうか、日付を数えてみると3年経った。

目を閉じて、これまでの日本生活について考えてみた。これまでの記憶に対して遡ってみた。不慣れ新しい環境にいつも緊張して、日常生活の中で聞こえない日本語を録音して何度も聞いてみた日々も過ぎて、今はやっと慣れて日常の平和のようなものもそれなり享受できる余裕を持つようになった。徐々になぜ私はここで生きなければならないし、どんな意味があるのかについて考えてみては当然の手順だったかもしれない。


どのような意味を探して時間を持ってたい意志よりも、私にも、最終的には、生活を継続した意味について考えてみる余裕もできただろう。

主観的な満足感(幸福感)について考えてみることにしたのは初めは、多分、ただ単に私はこのように苦労して適応しているけど、他の移住者たちはどのようにこれを適応して耐えるのかについての好奇心に近かった。 SNSで私のような立場の人たちを検索して、会話してどの部分で絶望を、どの部分で小さな希望も感じた。

私は今から私の移住生活を話して、この地での移住者と幸福感というもののいくつかの私の経験に焦点を合わせて話をしようとする。この話は誰かに非常に不便な話になるかもしれないからこの話をするのを決めるには勇気が必要だった。でも誰かにとっては非常に共感を与える話になって欲しいし、ある誰かには勇気を与えることができたら良いだろうと思っては始まった。

そして誰かがこれを見て幸せについて考えてみることになったら良いかな。

私はなぜこんな研究になっただろう..?

私は日本に来る前には主に紙で作る仕事をやっていて(紙、ノート関連、葉書)これは韓国では「デザイン文具」、「Affective design stationery」というジャンルで分類されて普通の「文具」と違う分野だ。「Affective design」というのは、製品や環境から認識された感覚及び情報の刺激が人生を通じて蓄積されてきた個人の経験に反映されて現れる感覚で、これを測定して評価して製品と環境を人間に便利で楽になるようにデザインする全体の過程が「Affective design」だ。私が属されている分野である、「デザイン文具」は10代から30代の間の紙のようなアナログな媒体が好きな人が興味を持って買う人がターゲットで普通の文具より会社別のデザイン特徴も明らかに見える、普通の文具より値段も高い、少量生産をしてデジタルより、まだ紙やペンで書くのが好きな人の為の小さい産業だと言える。多分日本にはこのような分類で分けてないから説明がしずらいと思いうけど、簡単に言うとまた書く時の鉛筆の音とかが好きな人とかをターゲットしたブランド製品を作るのが仕事だった。紙を捲る時とかの手の感覚みたいなのが文具類魅力で始まってちょっと作る過程も長いそして一個のノートを作る為にも実際に手で一個づつ作ったりしていた。私が今していることを考えても、今在学中のIAMASといえば思われるデジタル的な技術と最も遠い古い作業をしているかもしれない。


そしてこの記事を読んでいる人を含めて、一体移住者の幸福感に関する研究で、移住者の幸福とデジタルとメディアと何の関係があるかと、どうしてそんなことについて研究するのかという質問を何何回も聞かれた。しかし、今こそ個人的な理由でも、時代的にも幸福感に対して最も注目すべき時期だと思った。歴史を振り返ってみると、デジタルのように人間がより楽な技術の何かを追求して、考えていなかったことから、常に不幸になっだ。農業革命や産業革命が代表的である。今は技術が、特定の誰かに独占されているものではなく、一般大衆誰にも使えるようになってスマートフォンの導入と共に、今までの歴史の中で一番急激な変化と容易さを享受している。そして、私たちは、果たしてこの容易さを享受して幸せれたのか。ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」で「農業革命は、古代狩猟採集人たちに豊かさと安全性を提供し、進化的成功をもたらしてきたが、個人の幸福の観点では、燃えるような太陽の下、水が入ったバケツを運ぶ生活をするよに不幸な結果をもたらした」と主張している。

彼の言葉通り、世界は急速に変化しており、それに応じて発展した技術は、実際に私たちの生活に大きな変化をもたらした。科学革命で寿命が延長され、農作物の画期的な生産増大をもたらした。しかし、今、この時代には、これらの豊かさが、果たして人間を幸せにしたか。

私たちは、このように生活が便利で良くなったと思っているが、まだ朝は出社しなければならいし、まだとても忙しくて狩猟と採集していた時代より休まず、より多く食べず動物さえ家畜化して狭い空間に閉じ込められて、常に生み悲惨な生活を続ける。果たしてこんなに便利になった限り、我々はどのように幸せだろうかと尋ねられたら疑問が残る。

ユヴァル・ノア・ハラリを含む、より多くの歴史学者、心理学者、経済学者が「幸福感」の問題を扱っていること自体を一つの興味深い現象で考える必要がある。農耕革命を経て第3次産業革命であるデジタル革命の時代を経て、今は、いわゆる4次産業革命の時代を迎えている。メディアでは、これらの時代には、仕事や社会的な多くの機能が置き換えられると話して人工知能と機械の話が出てきて、これらの人工知能が代替することができないのは、「人間だけの感情」について注目し共感能力などの分野では、絶対代替することができないと言う「感情」とは「精神的、神秘的な現象」ではなく生化学的プロセスで、人間が決定を下すために必要で作られた生化学的アルゴリズムである。したがって、人間の感情が人工知能の「感情」よりも優れていると確信できる根拠がない。たとえば、すでに人工知能が感情に気づき、分析することにより優れた能力を示している。顔の表情、声、言葉の選択などで脳波や生体信号などの様々な方法とかみ合って分析し、人工知能は、人間の感情を分析することにより優れている。

そして科学者たちは定量化された感情データのように、デジタル時代には、アナログがなくなる形というよりも、アナログさえデジタル形式でアナログの属性を持ったまま、そのまま発展する方向になると展望されている。アナログ的属性の全部をデジタルに変えることは可能ではないが、問題はこのように、人間の特性でさえもデジタル化する過程がどのような問題が生じるか知らないし、人間の幸福のことを考えていないまま、ただ技術の発展を第一に考えていることにあと学者たちは注目して、私も、今こそ幸せの理論を発展させる時だと思った。


幸福の研究は、始まったばかりで、幸福への可能性ももっと開いている。これらの幸福の研究の一般的な志向性は、最終的にすべてのことは、一人一人と人とのコミュニティを生かす問題に合わせてている。ほとんどの幸福理論は様々な観点から話をして続けるが、最終的に彼らは話をしたいのは、その発展されている技術と科学は、この点を研究する学問でなければならないという問題提起をしている。

私の研究も、このような点に向かっていると思っている。このnoteには私の個人的な移住生活についての移住者として住んだととない人にはどんなことか詳細に知らせて移住者の心を移住者としての話を交わしてお互いを理解するようになると、日本のどのような存在になれる、どんなのコミュニティにどのように幸福になるかについて話したい。





この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

1

MOKKE モッケ

「mokke」は岐阜県、本巣市の中山間地域である「根尾」を新たな生活の場として選択した若い世代を対象としたインタビューをまとめたものです/外国人である編集者の日本に来てから幸福とは何かについて探求の過程を語っています!
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。