MOKKE- インタビュー#1

移住した要因はいくつかあります、一つはそもそもIAMASに在学していた時に奥さんに出会って、奥さんの祖父母の家が根尾にあったことです。奥さんの実家が空き家になっており、その空き家が結構ボロボロだったんですけど、これで良いと思いました。住める家が根尾にあるのは、とてもポジティブなことでした。二つ目は、東京時代に仕事で大変な時期があり、もはや東京ですごい売り上げを上げて、お金使って暮らし続けることと異なる「暮らし方」があるのではと思ったことです。「暮らし方」の考え方を変えたいと思いました。三つ目は子供のことです。東京での子育ては、アレルギーとアトピーの問題があり、やはり静かな環境と里山で暮らす方がいいんじゃないかと思いました。移住を決意した直接的な原因は、東京の集合住宅に住んでいた時、下の階からうるさいと言われ2回くらい引越ししたことです。「東京は子供育てる所じゃない」と感じました。保育園も高いし、家賃15万円で、保育園が15万でした。毎月30万円吹っ飛んで行くし、すごく稼がないと無理ですよね。公立の保育園の選択も考えましたが、公立の保育園には人が殺到しています。保育園の施設の内容にも満足できませんでした。運動場がなく保育士の数が少ないので、部屋に子供を閉じ込めておく環境を目の当たりにして、そこで子供が健やかに成長することが想像できませんでした。突き詰めて考えて行くと結局、住宅ローンを払うという問題があり、払わなかったら住む場所がなくなってしまう。これは考えれば考えるほど気持ちが悪いことでした。住宅ローンがあるということは働き続けなければならないということです。友人と酒を飲んでいる時、彼に「なぜ嫌なことや、倫理上間違っている仕事でもしなくてはならないの?」と尋ねました。彼の根底には住宅ローンの問題がありました。ローンを払い続け自由ではない気持ち悪い暮らし方に、疑問と身体的に受け入れられない感情がありました。東京郊外に住むという選択肢もあったと思います。2時間とかで千葉から通勤すれば安く住めます。でも考えてみれば、これもすごいことだと思います。9時に帰っても11時になります。住宅ローンがあるから東京のお父さん達はよっぽど稼がないと本当に大変です。自殺が多いことにも納得です。そのような住宅ローンの問題を抱えた人々を多く見てきました。リーマン・ショックの後、自分の会社にものすごい数の履歴書が届きました。日本のNECとかTOSHIBAかのメーカーがその時期すごいリストラをしたのです。本当に彼らを見ていて大変だと思いました。根尾には家があります。とても幸せなことだと思います。

Q. 現在は根尾でどんな仕事をしていますか?

現在は頂いた仕事を少しずつやっています。単純に頼まれたソフトウェアを開発したり、自分がやりたいことを企画してそれにお金を出す所を探したりしています。何か「世界を変えてやろうぜ」とか「イノベーション起こしやろうぜ」ということには、現在は全く興味がなく、自分で食べ物を作ったりすることに興味を持っています。そうしたいと思っています。IAMAS卒業して会社を立ち上げた時期と、NTTインターコミュニケーション・センターに入ったのはほぼ同時です。しばらくは自分の会社をやりながら、キュレーターをやってました。会社がある程度軌道に乗ったので、キュレーターの仕事を辞めて、そこから6年くらいはずっとIAMASの同級生と立ち上げた会社を経営していました。当時は今みたいに、悩んていませんでしたので、金さえ稼げばなんでも買えるし、解決できると思っていました。そんなに超お金持ちじゃないけれど、普通のサラリーマンの三倍ぐらいは稼いでいました。生活には全く困りませんでした。でも、東京ではそんなプチ成功ではダメです。家とかは買えません。

Q. 根尾に入る直前は何をしましたか?

東京時代は自分の会社を立ち上げましたけど、気が付いたら周りは嫌な人達が集まっていて、「こんな奴らと仕事できるかよ」と思いました。儲かるとそういう人がくるのです。私がCTOで、社長が50%ぐらい株式を持っていて、私の株式はその時30%ぐらいで、別の人が20%を持っていました。20%の株は偉いおじさん達が持っていました。自分は30%の株を持っているので発言権はあります。しかし株主のおじさんたちとのやりとりに疲弊しました。その後、みどり荘4)に一人で入りました。みどり荘には、私にとって面白くてかっこいい大人達がたくさんいました。みどり荘に入ったときには、もちろん仕事をしてましたが、そんなに大きくしたくないというか、ミニマムに仕事をやっていました。

Q.根尾での活動を教えてください。

私一人でGIDS5)(GIFU INDIE DESIGN SESSIONS)の設立について考えたわけではないです。けれども、企画書を書いていて、それを色々な人に投げていたときに、本巣市の企画財政課の市川さんから、この企画書が使える制度があると聞いて始まりました。

Q.GIDSを作った切っ掛け?

最初は本当に何もやる気なかったです。今でも少し迷っているくらいです。最近、常に思うのは本当に完成されている人って、私の中の理想としては、やっぱり孤独と向き合い続けることのできる人だと思います。隠れて住んでいる人というか。山の中で自分の創造物を作り、他人に依存せずに暮らすことに惹かれます。思想的にはアナーキー、アナーキーズム(無政府主義)なことに今興味を持っています。暴力的な思想ではなく、とにかく人がいない所にいて、自分が育てられるものを育てて、自分が作るものを作るのが理想だと思います。そういう風にしたいなと思っていたのですけど、孤独に勝てなかった。それでGIDSをつくった経緯があります。本当はGIDSなど、無い方が良いと思います。

Q.GIDSが無くならなきゃならない理由は?

暴力的なんです。「個人」に対してあんまりにもひどい状況があるわけです。根尾に住んでいても。私はアーティストの保護をしなければいけないと思っています。アーティストが好きで、一人で生きてられる、孤独でいられる人を尊敬していますし、自分もそうなりたいと思います。孤独でも自律的でもない人々が95%以上いると思います。その人々が、めちゃくちゃしてくるんですよ。個人に対して。私にはそういう風に見えるんです。だから、ちょっと辛いなと思いました。流石に一人でいるのは政治的に辛いなと思いました。だから、独立した人たちと、一緒になにかをできる場所が必要だと思いました。本当は、GIDSなんてやらなくても暮らせる世の中が良いと思います。「長い物には巻かれろ」というか、「デカイモノにくっついてビックになったり、ビックにみせたりする方が楽だよね」ってことがあるじゃないですか。デカイモノの中では、この人の意見を、絶対に聞かないといけない場面があって、それが嫌だったら「逃げればいいじゃん?」となる。でも、逃げると虐められるから離れられないというロジックがあると思います。別に変な陰謀論じゃなくて、制度とか色々な仕組みが個人として生きることを阻害してませんか?デカイモノに属さない小さいバラバラな個人が、デカイモノに命令されない。そのような、少しポジティブな理由ではないかもしれませんが、GIDSを設立した経緯があります。「ひと塊りに見せかける」というか。そうすると虐められませんから(笑)

Q.GIDS以外にはなにを?

山ねこ不動産をやっています。デカイモノからの脱出口をつくっています(笑)。ここは安いのでそんなにお金がなくても暮らせます。流石に本当の山の奥だったら、相当な強さがないと暮らせないと思いますど。根尾の安い古民家なら、ある程度のクリエイティビティがあれば暮らせると思います。DIYできる技術といいますか。そういう根尾で暮らすという選択肢をつくってます。山ねこ不動産は「アートワーク」ですね。

福祉のプロジェクト

山ねこ不動産以外には、市民協働プロジェクトの福祉に関わっています。個人がインデペンデントに生きるときに直面する問題は、お年寄り、障害がある人、子供には難しいですね。本当にその通りだと思います。独立できる人は独立すべきだし、それを妨げたくない。でも、それを全ての人に求めるのは無理がある。昔から、最も大きなものに中心にいるのはフラジャイル、壊れやすい存在だと思いますよ。暴力の源泉だと思います。かわいそうだからこの人を養う、かわいそうだから食べさせてあげる。力関係があって、それが大きな物の力の源泉だと思います。でも、弱い立場の人はいるわけで。だから、その人を支配して助けるのではなく、どうやって独立へ手放すかを考えています。最低限どうすれば良いのかを考えています。デザイン上の大きいテーマです。みんな依存関係になって支配関係になるわけです。そこについて、今考えています。子供はしようがないと思います。何が人間にとって自然なのか? ナチュラル・ヒューマンというのが何なのかは考える必要があると思います。大体の動物はそんなに複雑な社会を構成しない。生きるために必要な社会を作るけれど、それ以上の社会はあんまり作らないですよ。今人間が持っているテクノロジーだったら、社会を最小限で暮らせるはずなんですよ。

根尾の盆踊り

根尾の門脇というところに住んでいます。そこでは20人規模の盆踊りをしています。その他、雨乞いの踊り、太鼓にも参加しています。好きだからです。まさにレイブです。歌と手拍子、下駄の音だけで20人のおじいちゃん、おばあちゃんが盛り上がれるってすごくいいと思います。エンターテイメントとアイドル文化が好きではない。それは与えられたものだし、崇拝するもので、自分がアクターにならないからです。雨乞い踊りはそうではないのです。フラットなんです。そこには決まりもないし。もちろん歌がうまい人はいるけれど。自分がパフォーマーになるしかないところ、インタラクティブなところが面白いと思います。おそらく昔の行事の方がインタラクティブな面が大きいのではないでしょうか。一人に対して100万人ついているような構造ではなくて、ほぼインタラクティブな関係性。そこが好きです。すごい好きです。

地方創生会議に出席

「内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部 わくわく地方生活実現会議」へ出席しました。霞が関まで行って、大臣らにプレゼンしました。根尾や大垣のクリエイティブ・コミュニティの作り方や、新しい仕事の仕方について話しました。けれど結局は、地方活性化とかはどうでもいいです。自由の問題です。「東京でないと生きていけない」のが嫌なんです。「東京でないと働けない」という不自由な状態が嫌なだけであって、みんなが地方に住み始めたら、私は東京に住むと思います。自分が選択できるかが問題であって「地方」とかは活性化しなくてもいいと思っています。あんまり人がいない方がゆっくりできますし、根尾の音も風景も綺麗ですしね。多く人に来て欲しいとは思いません。道路・病院とかがなくなると流石に困りますし、「根尾に公共のお金をかける必要はない」という声を聞くので、「それは困る」という意見は言います。最低限、学校・病院・道路はいるなと思います。イヴァン・イリイチ6)のいう「それぞれの文化に独自の、他とは比較できない方法で花を開かせることを可能にする」です。例えば米の価格は規制がかかっています。法で決まっています。車がなかったら働けない社会構造になっている。それは支配です。道路・病院・学校を無くしてもいいけれど、それならば、私はその支配を無視します。その自由が問題です。

Q. 根尾に人を呼ぶことについてどう思いますか?

行政が大きな工場を誘致して、人を雇って根尾に多くの人が来ることには、あまり乗り気がしません。地域の問題ではなくて自由の問題なのかもしれません。自由。根尾は人間の世界と自然の世界の境界にある場所だと思います。ここまでいくと自然界。こっちは人間界。そのような境界に人間が住むことは、良いことだと思います。自然の世界にいけば人間は自由。自然と人間だけの関係になりますから。相対化するものが人間ではなく圧倒的な自然。根尾の自然の中で生きていける人だったら住みやすいと思います。自分で生活を作っていく意識の低い人だと厳しいかもしれません。生活を作っていくという意識が低く、奴隷的なマインドだと難しいと思います。東京ではお金があれば自由を手にすることができる。根尾ではお金がなくても自由になれます。究極、山奥の奥にいれば誰にも命令されませんし。自然に勝てればの話ですが。この質問に対しては、だから、賛成といえば賛成ですし反対といえば反対です。僕は自由なのが好きです。自由でクリエイティブな人が好きですし、デカイモノに従順で「お前も奴隷になれよ」という人が根尾に増えることは嫌ですね。根尾には隠れているから見えないだけで、インディペンデントな暮らし方をしている人が多くいます。

Q.今の考え方は具体的などこから影響されてますか?

安藤昌益とか、鴨長明、西行というお坊さんとか、吉田兼好。隠者と呼ばれる人ですよね。隠者について調べています。彼らは社会に何も求めるのがないからですね。境界の向こう側にいます。

原点

原点は、京都大学時代に吉田寮やメトロというクラブで遊んでいたことです。毎晩踊りDJ、VJをして遊んでいましたが、風営法の問題があり「なぜ踊ってはいけないか」をただ単に反抗するのではなく、哲学を勉強したり、法律を覆そうとする試み、話し合いがとても面白かったです。「ダメって言われている根拠はなんだろう?」を延々と話し合うわけです。ただ単に、ダンスを踊ることに対して哲学的に勉強する。夜にダンスをすることを諦めるのは簡単ですよ。でもそれって、アートでもないし、哲学でもない。ダンスを夜に踊れないということを簡単に諦めてはいけないと思います。ナチスの弾圧とそれに対する抵抗運動を描いた詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(Als die Nazis die Kommunisten holten)でマルチン・ニーメラ7)がこのような詩を書いています。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

自分以外の人が迫害されているときに止めなければ、次は自分にやってくるということです。根尾村の元村長さんと話していて思ったことは、根尾村は「何もしなかった」から人が減って暮らせない状態に近づいているのではなく、「暮らせなくされている」ということです。暮らせない制度設計にされているのです。根尾の林業をみていても林業従事者が「何もしなかった」から衰退したわけではなく、制度がそのように作られてきたということです。「暮らす」ということの自由はまだ確保したいなと思っています。ダンスを踊ることを諦めないように、住むという選択肢も持っておきたいということです。


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MOKKE モッケ

「mokke」は岐阜県、本巣市の中山間地域である「根尾」を新たな生活の場として選択した若い世代を対象としたインタビューをまとめたものです/外国人である編集者の日本に来てから幸福とは何かについて探求の過程を語っています!

Mokke

「mokke」は岐阜県、本巣市の中山間地域である「根尾」を新たな生活の場として選択した若い世代を対象としたインタビューをまとめたものです/外国人である編集者の日本のに来てから幸福とは何かについて探求の過程を語っています!
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