【25. マイルストーン】

その日の仕事帰り、彼女はいつもの食事会。
明日はお休み。
ということもあって、いつもよりちょっと遅い時間に部屋へと戻ってきた。
つかれたせいか、シャワーも浴びずに寝間着に着替え、ソファーに埋もれる。
何気無くTVを点ける。
─あ~、そう言えばこれって…─
職場の皆んながよく話題にする病院を舞台にしたドラマ。
その音声だけを聞きながら
〈さっき部屋に着いたよ〉

〈明日もまた連絡するね。おやすみ〉
のメールを送信。
けれど返事は来ない。
─もう寝ちゃったのかなぁ…?─

─今日はもう…返事返って来ないかな…?─
そんなふうに思いながら、返ってくる見込みのない返事を待つうちに、いつの間にかそのドラマに見入っていた。
─今度…最初っから見てみたいかも…─
案外面白い。
すると、メールの着信音。
〈お帰り。俺も今、部屋に着いたよ。ちょっと待ってて〉
返事が来た。
〈お疲れさま。今日は今まで仕事だったの?もう寝てるのかと思ってた〉
とまで書き、あとは送信するだけのメールは無駄に終わる。
…カチャカチャ…ガチャ…
目の前に現れた彼。

「え!?何でいんの?」
「明日ちょうど休みになったからさぁ…〈今、部屋着いたよ〉ってメールしたじゃん?」
笑ってる…。
「いつ来たの?」
「今さっき…」
─もしかしてほんとは…近くで待ってたとか…?─
そう思った彼女を彼は抱き締め、キスをして、髪を解かし、見詰めながら言った。
「あのさぁ…」
「なぁに?」
─あ…─
「返事…考えてくれた?」
─やっぱり…─
「ごめん…まだ考えてるとこ…」
胸が苦しくなる。
「そっか……本当はイヤ?だったらハッキリ言ってくれて良いんだけど…」
「ううん…ヤじゃない、けど…」
─けど…何?─
そう言ってしまったら、元も子もない。
彼は口を噤[つぐ]んだ。
─何て言ったらいいんだろ…─
断るでも了承するでもない言葉を選び倦[あぐ]ね、彼女は俯く。
それから2人は暫しフリーズ…。

その雰囲気に耐えかねた彼が先にリセットボタンを押した。
「あ、このドラマ面白いでしょ?俺は小説では読んだけど、見てないんだよねぇ…」
「ん?小説なんか読むの?」
「これでも昔は結構読んでたんだよ?今は部屋で一人で暇だし…それに漫画は1冊30分くらいしか持たないけど、小説だと何日か掛かるから安上がり。けど…読み始めると面白くって、夜更かししちゃったりすんだよねぇ…。海堂 尊のも読んだし、前は東野圭吾とかも結構ハマってた」
そう言えば…彼の部屋に行くと、漫画の単行本や雑誌に紛れ、小説の類いなんかも何冊か重ねてある気がする。
これまで見たことも聞いたことも無かった彼の意外な一面を知ったところでCMが明け、次週予告。
すると、彼が訊いてきた。
「疲れてる?」
「ううん…大丈夫…」
「明日休みだよね?」
「…ん?…うん…」
「じゃ、これからどっか…ドライブでも出掛けない?」
「…うん…いいよ?」
やっぱりいつもの?
いや…今回は普通の。


「ちょっと高速乗っても良~い?」
港に程近い商工業地と仙台の住宅街を二分するように、田んぼの真ん中を縦断しているその道路は、夜間の通行量はかなり少ない。
彼の運転する車は、ある大きな橋に差し掛かる手前でハザードランプを点滅させた。
「ちょっと停まるね?」
「えっ?何…?パンク?どうかしたの?」
そう言えばいつだったか…深夜のドライブをしている最中、彼定番の“横道に逸れる”を開始してすぐ、真っ暗な登り坂で側溝に落っこちてパンクした…な~んてこともあったっけ…。
「ううん、大丈夫。ちょっと左側見てみて…」
「……うわぁ……きれいだね?」
何度か…通ったことはあっても気付かなかったその景色は、少し遠く、けれど仙台の街並みが全て一望出来る夜景だった。
「降りてみよ?ほんとはダメだけど…」
「大丈夫かなぁ?」
ここは何キロも続く直線のちょうど終わり掛け。
降りた際に後ろに見えた車のヘッドライトはまだかなり遠い。
「ちょっとだけなら大丈夫じゃない?」
「うん」
ガードレールを前に2人が並んだところで、ちょうど反対車線の車も途切れた。
物凄く…静かな闇と光。
「一回…こうやって降りてゆっくり見たかったんだぁ…」
「あ、あれってなぁに?」
左からタイハックル、3本の電波塔、その手前にはSS30やAER、所々に出来始めた高層マンション達。それらの麓には市街地が天の川のように広がっている。
彼女が指差した右奥に光る曲線はちょうどその頃始まったばかりの
「泉ヶ岳…」
のナイタースキーのことだろう。
「俺…仙台だと、この夜景が一番好き…。前に見たのよりもずっとこっちのほうが好きなんだぁ。でも、普段は通り過ぎるだけだからさぁ…ちゃんと見れないんだけど…」
しみじみと語る彼。
ここは時速100km/hの速度制限区間。
暗くなった時間帯に余程の渋滞に巻き込まれるか、ちょうどこの場所で車の故障にでも遭遇しない限り、ゆっくり…なんて見れる筈はない。
彼は言う、
その儚さは、まるで櫻の花弁のようで、“いとあはれ”なり…と。
そしてそれが最も好きな夜景である所以[ゆえん]である…とも。
熱く語る彼の息は白く輝いて見えた。
けれど、冷たい風がそれをどこかへ拐ってゆく。
「今日は結構寒いね…?」
と悴[かじか]む手に息を吹き掛ける彼女を抱き寄せた。
彼は彼女の唇を奪い、彼女は彼の体温を奪う。
すると凍るような寒さが幾分和らいだような気がした。
そんな2人を間近に迫ったハイビームが照らす。
「戻ろっ?」
2人は慌てて車に乗り込んだ。


明くる日の午後、仙台市郊外の山の上にある小さな公園へお出掛け。
「寒い~!」
とか
「冷たい~!」
と言いながらも彼女は子供のようにはしゃいでいた。

平野部ではしっかり乾いていた道路も、少し標高の高いこの辺りまで来ると、夕べから明け方に掛けて降ったであろう雪が案外積もっていた。
時折、チラチラと舞い降りてくることもある、そんな曇り空。
因みに彼女が出掛けに履いてきたのはブーツではなくてローファー。
完全なる選択ミス…。
公園の駐車場に着き、助手席から降りたその1歩目で
「あ゛…」
彼女の靴は真っ白な雪の中に埋もれてしまった。
「もうい~や…」
自棄[やけ]になってふくらはぎ程まである新雪の中へ
…ズボッズボッ…
と大股歩きで進み出す。

仙台は東北地方の一都市。
決して雪が珍しい訳ではなく、年に何度かは雪が積もる。
ただし、半日もすれば殆どが解け消えてしまうことが多いけれど…。
前に彼女が雪遊びなんてしたのは、10代の頃に友達と一緒に行ったスキーくらいなもの。
いつもなら足を取られたり、茶色く点々と泥跳ねしたり、道路は混むは、交通機関は乱れるは、だとしても仕事には遅れられない…と、ただウザったいだけの雪を前にして、その時の彼女は純粋に童心に返り、白銀の世界を跳び跳ね、戯れていた。
今はそんな状況。
彼はそれを突っ立って、微笑見[ほほえみ【造】]ているだけ。
そこで彼女は、彼のすぐ目の前まで来て背中を向け、雪をこんもり両手で掬う。
─雪だるまか何かでも作ろうとしてる?─
そう考えていた彼のほうへ向き直ると、思いっ切り頭から浴びせ掛けた。
「うわっ…つめてぇっ!服ん中まで入ったし~っ!」
不意を突かれた彼は、顔と頭と肩の雪を払う。
「キャハハハハ…」
「も~!やったなぁ?」
逃げながらも掴んだ雪を放つ彼女を追い掛け、彼も負けじと対抗する。
そうそう、TVドラマやアニメなんかでよく見掛けるような、
…カップルが波打ち際で水を掛け合って戯[じゃ]れる…
あんな感じ。
けれど2人とも手袋なんて着けてないものだから、すぐに
「ひゃ~、つっめたぁ~…」
「冷てぇっ…」
…は~っ…は~…
共に手を擦り合わせては、また
…は~っ…
彼は彼女の手を握り
「大丈夫?」
…はぁ~っ…
「うん!大丈夫」
一時休戦。
と思いきや、またしても彼女の意表を突いた攻撃にやられた彼…。
という訳で、雪合戦は彼女の圧倒的勝利。
続いては、彼が座板の雪を払い退けたブランコに。
コートの下から覗く彼女の素足は寒さのせいで少しピンク掛かっている。
けれど、全身を使って漕ぎ出すと一気に寒さは吹き飛んだ。
でもやっぱり
「ここ、冷たいね…?」
凍るようにカチコチの赤茶けたチェーン。
おまけに
「あ~ぁ…手にサビ付いちゃった…」
彼女は、手の中で雪玉を転がしてサビを落とす。
それでも取れない分は、とりあえず車に戻ってティッシュで拭き取ってみる。
「ちゃんと取れないし…」
パッと見渡しても、もうこれ以上楽しく遊べそうな遊具なんて見当たらない…そんな寂[さび]れた公園。
「そろそろ帰ろっか?」
「うん…けど…」
「けど…?」
「なんか…おしっこしたくなっちゃった…」
「ここでしたら?見ててあげるから…」
彼が言っているのは、誰か来たりはしないか…じゃなく、その姿を…という意味。
ここは住宅街からはそれなりに離れた場所、みんな車でしか来ないような山の中。
誰もこんな場所に、こんな時期に好き好んで遊びに来る人なんていない。
2人はそれを知っててここに来ている。
それは…彼女の姿を見れば一目瞭然。
身に付けているのは、チョーカーとコート一枚。
それと…敢えて言うなら、ズブ濡れになったローファーくらい。
おしっこで濡れてしまわないように、コートのジッパーを外し、両裾を持ち上げる。
前がガラ空きになった状態で彼女は蹲んだ。
「あぁん…」
腰のあたりで皺くちゃになったコートの裾が、彼にとっては巧いタイミングでズリ落ち、彼女のお尻を隠した。
危うく濡らしてしまうところ…。
立ち上がった彼女は口を尖らせ、仕方無く脱いだコートを丸め、彼に預けた。
白い景色の中で、彼女のピンク掛かった素肌と赤のチョーカが映える。
「さっむぅ~いっ!」
と小さな胸を隠すように肩を萎めて言う声に、大して寒さは感じられない。
むしろ何だか楽しそう。
彼女はもう一度蹲み込むと
…ジョロジョロジョロシャ~ッ…
雪の上にレモン色のかき氷シロップを勢いよく撒き散らした。
20秒ほどもすると、出来上がり。
彼女はその場で飛び跳ねない蛙跳びでもするかのように
…ピョンピョン…
と二度、三度腰を上下し、襞の間の小さな孔から垂れた尻の滴を振り落とす。
と、勢い余ってお尻が雪にくっつき、
「キャッ…」
と可愛らしく叫んだ。
…ギュッ…
と新雪が締まる音がして、今度は
「んにゃっ!」
と奇声を上げる。
その冷たさにビックリした彼女は、思わず雪の上に
…ペタッ…
と尻餅をついていた。
片手を突いて腰を上げ、尻に付いた雪を振り払う。
その下にはお尻と襞の跡がくっきり。
その少し前にはさっきのシロップによる出来たてホヤホヤの縦長の穴。
彼は笑いながら
「大丈夫?…なんか…いかにもここで“しましたぁ!”って感じになってるね?」
「もう!」
手を貸そうと差し出した彼の腕を
…グイッ…
と引っ張ると、
「うわっ、冷てぇ~…」
彼は彼女に覆い被さるように膝を突いた。
彼も巻き添えに…。
「ありがとっ」
…チュッ…
彼女は目の前の頬にKissをして笑う。
「笑ったバツ!」
「笑ってなかったよ~?」
と惚[とぼ]け笑いしながら、彼は雪の上に落としたティッシュの塊と携帯を拾い、ポケットに仕舞う。
「じゃあ、拭き拭きしてあげるねっ?」
いつもよりも念入りに押し当てられた舌先と唇は、公園の入り口で彼の頭を抱えながら立ち竦む彼女の冷たく濡れた陰毛とその茂みの奥を熱く濡らしていた。


一旦彼女の部屋に戻って一緒にお風呂で暖まり、少しゆっくりしたあと、今度は夜のお出掛け。
とりあえず夕飯は外食で済ませた後、また別の公園へ。
けど、そこはただほんのちょっと寄っただけ。
すぐにまた車を走らせる。
今度はコンビニで飲み物を調達。
いつものコーヒーとミルクティ、それと適当にもう2、3本。
2人はホテルへ到着。
そして、彼が用意した玩具で遊ぶ。
あの、大宮駅で手渡された玩具ではなく、彼の言うあの“玩具”。


翌日、また彼は埼玉へ…。
その帰り間際、
「あのさぁ…何がネックになってるの?お家のこと?仕事のこと?」
─もし私が仙台からずっと遠く離れた場所へ行ってしまったら…─
その続きとなる言葉を彼女は何度も考えてきたけれど、未だ彼が納得してくれるような答えは見付けられていない。
─家族?…確かに両親の面倒をみる人が傍に居なくなってしまうのは少し不安。
仕事?…同じような職業に就けるかどうかも判らない。
友達?…友達や一緒に働いた仲間とも余程のことがない限り会うことはなくなってしまう。
それに…
今日逢う約束をしていた、本当は昨日も夕方から部屋の前で降ろして貰うまでずっと一緒にいたカレとも…─
何にせよ、結論を出すのは彼女。
「次逢った時には…ちゃんと返事するから」
「うん、解った。良い返事期待してるから。じゃあ行ってくるね?」
彼女の表情でその答えを何となく悟った彼は、彼女の元を後にした…。

2019/09/17 更新
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【参照】
本章には参照する項目はございません。
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【備考】
本文中に登場する、ねおが個人的に難読な文字、知らない人もいると思われる固有名称、またはねおが文中の雰囲気を演出するために使用した造語などに、振り仮名や注釈を付けることにしました。
尚、章によって注釈がない場合があります。

《本文中の表記の仕方》
例 : A[B ※C]

A…漢字/呼称など
B…振り仮名/読み方など(呼称など該当しない場合も有り)
C…数字(最下部の注釈に対応する数字が入る。参照すべき項目が無い場合も有り)

〈表記例〉
大凡[おおよそ]
胴窟[どうくつ※1]
サキュバス[※3]

《注釈の表記の仕方》
例 : ※CA[B]【造】…D

A,B,C…《本文中の表記の仕方》に同じ
D…その意味や解説、参考文など
【造】…ねおが勝手に作った造語であることを意味する(該当のない場合も有り)

〈表記例〉
※1胴窟[どうくつ]【造】…胴体に空いた洞窟のような孔。転じて“膣”のこと

※3サキュバス…SEXを通じ男性を誘惑するために、女性の形で夢の中に現れると言われている空想上の悪魔。女夢魔、女淫魔。

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