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22夏旅行記① 天空のメテオラに神の光をなんとなく見る

1.運を使い果たし、落書きだらけのアテネへ行く

 2022年8月14日、その日は私の「人生初の海外一人旅」が始まる、思い出深い日だった。成田空港の制限エリア内で、頂点から傾いていく日に、人生における運の総量と収束について考えていた。出発の前々日に京都駅から夜行バスに乗り、前日には東京で都合よく当たったライブに行ったところ、おみごとアリーナ最前列を引き当てたのだった。そのときは運の総量というものはないという結論を出しはしたが、結果的にそれは盛大な伏線となってしまった。イスタンブールで21万円を不正利用され、結局戻ってくることは無かったからだ。この不幸については、間違いなくこの40日間の旅行のハイライトであるから、トルコの段で改めて書きたいと思う。

 夕方に成田を出発し、深夜のアブダビで8時間ほどのトランジット後、アテネへ6時間ほどのフライトだ。機内ではサン=テグジュペリの『人間の大地』を読んでいたく感動したが、続けて『トップ・ガン』を見たところ、『人間の大地』に引き続き飛行機の墜落シーンがあり、作品選びを間違えたと思った。
 そんなことはどうでもよいが、もう一つ印象的だったことがある。深夜のアブダビに近づいて機体が降下すると、地表の灯りが徐々に見えてくる。砂漠の中に並ぶ家は、どれも敷地が規則正しく、四角く区切られている。道路脇の街灯が均一の間隔で並び、その下を時々車が走り抜けていく。窓の結露か、砂漠の砂埃のせいなのかはわからなかったが、光の周りがまるくぼやけてオレンジに光る風景は、蒸し暑い真夏の砂漠なのにもかかわらず、霧深い冬の夜のように思えた。そして、夜の底が薄明るく照らされる故郷の雪の夜を思い出して、不思議な気分になった。
 アブダビ空港の待合室で仮眠から目を覚まし、全面ガラス張りの窓にふと目をやると、思わず驚いてしまった。何も見えない。砂煙で全てが灰色に曇っていた。

 アテネ空港(エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港という長い名もある)に到着し、市内までバスに乗って移動する。ホステルの最寄りで降りて、1キロほど歩く。昼間なのに人は少なく、落書きだらけの街には賑わいがない。この日は生神女就寝祭(正教会における聖母マリアの命日)だったため、店の多くは休業日だったらしい。
 ホステルに泊まるのは初めてだったので何もかも分からず、身振り手振りでなんとか意思疎通をして、その後は近所で開いていた数少ない店でギリシャ名物のギロピタをテイクアウトしビールと共に食事をとる。ギロピタとは薄いパンに豚肉や鶏肉、ポテト、トマト、玉ねぎ、ヨーグルトソースを入れて巻いたファーストフードだ。大体一つでお腹が膨れ、2〜4€という安さで、歩きながら食べることもできる万能グルメだ。ギリシャには合計10日弱滞在したが、おそらく半分以上の食事がギロピタだったはずだ。

ホステル近くの街並み

2.メテオラに行きたいだけなのに

 散々英語やギリシャ語、トルコ語のサイトとにらめっこして立てた旅程は、ギリシャからバルカン半島の下のほうを回り、トルコへ行き、そしてロードス島を経てもう一度アテネに戻るという道のりだ。アテネの観光はまた来月に戻ってくる時までお預けだ。はたして生きて戻れるだろうか。

 最初の目的地であるメテオラの修道群は、ギリシャ内陸部に位置する。半島の先にあるアテネから数時間ほど鉄道に乗ると、麓の町カランバカまで行くことができる。電車は予約済みなので、あとは早起きして乗るだけだ。歩いて駅まで向かう途中で思い切り転ぶ。駅に到着したが、電車の発着するホームが電光掲示板に表示されていない。しばらく迷ったあと、窓口のおじさんに小学生よりひどい英語で聞いてみる。「カランバカ、トレイン、ホームナンバー?」「バイ、バス」どういうこと?もう一度聞いても、同じ答えが返ってくるだけだった。動揺しながら駅の外に出てみると、道路に数台の大型バスが停まり、人だかりがその周りにできていた。なんとなくその人だかりに混じってみるが、ギリシャ語が飛び交っていて全く理解できない。すると、同じく一人で来たのであろう女性に話しかけられ、「カランパカ?」と尋ねられた。おそらく電車が止まってしまったので、代わりにバスがやってきたのだろう。

 ジャパニーズ・“空気読み”の力でそれっぽいバスに乗り込み、なんとなくバスが出発し、ギリシャの田舎を張り付くように走っていく。途中で世界史頻出カイロネイアの戦いの場所や、神話で有名なパルナッソス山、テルモピュレーの近くを通り、どこか知らない小さな駅でバスが止まった(この時、バスの中に母からもらったレイバンのサングラスを忘れた)。本来乗るはずだった電車に途中駅から乗り込めとのことらしい。電車は満員。ギリシャ国鉄のシステムのせいか、席を予約したはずなのにダブルブッキングが発生していた。仕方なく1時間ほど立ちつづけ、やっとカランバカへと到着した。何はともあれ到着。やっと観光らしい観光ができる。

3.二度の山登り

 カランバカは観光業で栄える小さな町だ。メインストリートにはお土産店が立ち並び、観光客と車が狭い道を行き交う。しかし、ゆっくり座って食事をできるベンチがある小さな公園、何でも売っているスーパーマーケット、クッキーの美味しいベーカリー、もそろっている。

 駅を出るとすぐに、建物の向こうにそびえ立つ巨岩が視界に入る。メテオラの修道院は300〜600mの岩山の上に建っており、主要な修道院までは巡回バスが出ている。かつて修道士はカゴに入り、ロープウェイのようにして行き来していたが、今はそんな危険を冒す必要はないのだ。
 早速バスに乗ると、町を抜けるころからそびえ立つ巨大な奇岩の連続が現れる。見晴らしの良いところまで坂を上ると、窓の向こうには一気に絶景が広がる。メガロ・メテオロン修道院の前でバスを降り、しばらく景色を眺めて写真を撮ったり撮ってもらったりしていると、空模様が怪しくなってきた。案の定しばらくして雨が降り出してきたが、傘など持っていない。キッチンカーの屋根の下で雨宿りをしているうちに時間は過ぎていく。本来メテオラ滞在は一泊の予定だったが、このままでは修道院に一つも入ることなく、それどころか他の景色を見ることもなく、無情にも最終バスの時間がやってくる。仕方ない。もう一泊滞在することにする。比較的かんたんに旅程を変えることができるのは長期間の一人旅の特権である。

林立する奇岩

 翌日も朝から晴れていた。メテオラにはいくつかの修道院があり、それぞれ見学可能な曜日と時間が異なる。この日に目指したのはアギア・トリアダ修道院とアギオス・ステファノス修道院で、前日に訪れた場所よりもさらに奥に進んだところにある。この二つの修道院の間にはあまり高低差がないため、どちらかでバスを降りてしまえば徒歩で移動することができる。カランバカのパン屋さんで安いパンを買い、道端の塀に座って食べた。まずはアギア・トリアダ修道院へ向かうが、この修道院は巨岩の上に建っていて、入るには一度下まで降りたあと、岩の側面を削ってつくられた階段を上っていかなければならない。吹き付ける強い風で足を滑らせないように、よろよろと階段を上がっていく。

落ちたら死ぬ!!!!!!!

 息も絶え絶えに頂上までたどり着き、修道院の中に入る。修道院の中は薄暗く、壁には剥がれ落ちて色だけがかすかに残っているイコン、扉のない小部屋が並んでいる。礼拝堂に入ると、青い壁一面がギリシャ正教の独特なイコンで埋め尽くされていた。聖人たちの顔、顔、顔、顔、顔がこちらを見つめてくる。名前も知らぬ聖人たちの顔は皆、何かを訴えかけてくるようだ。 修道院の庭へ出ると、白い十字架が立てられていた。背後にはふもとの町並みが小さく見え、昼下がりの光に照らされて、水面のように屋根が輝く。新約聖書に「神は光である」という一節があるが、まさにそれを表すような光景だった。

 再び息も絶え絶えになりながら入り口まで戻り、次の目的地、アギオス・ステファノス修道院へと歩いた。見学可能時間になるまで柵の近くで待っていると、徐々に同じ目的を持った人たちがやってくる。この修道院はメテオラで唯一、階段を上らずに入ることができる。修道院の中は想像よりも広く(50年ほど前に尼僧院となったらしい)、美しく整えられた庭や小さな博物館が敷地の中にお弁当箱のように詰まっている。こちらの修道院には小さな売店があり、イコンのマグネットやロザリオ、小物が所狭しと並べられていた。アギア・トリアダ修道院とは違い、アギオス・ステファノス修道院には実際にそこで生活をする修道女がいる。

 最終バスの時間までに見学を終え、名残惜しい気持ちもありつつバスに乗ってカランバカの町まで戻る。出発前に読み漁った先人たちの旅行記には、日帰りで修道院をいくつも回る人や徒歩で町まで戻る人などタフな人が多く登場するが、自分には無理な行程だ、と早くも悟ることができた。

天国のような庭

 私はクリスチャンではなく、少し宗教に興味があるだけのただの観光客であるが、メテオラの奇岩が織りなす現実離れした風景と、その自然の厳しさの中に確かに息づく人間の信仰には心打たれるものがあった。特にアギア・トリアダ修道院の礼拝堂の光を見つめていると、遠くから聞こえる観光客の声や足音も自然と遮断され、神聖なるものに“ただ一人で”向き合っているような感覚になる。自然(と人間の営み)の中に超自然的なものの存在、人智を超え顕現するものを見る、というきわめて原始的な信仰の片鱗を、メテオラでは味わうことができたかもしれない。

4.“謎の国”アルバニアへ

 翌日午前、町のKTELバスターミナルでバスチケットを買う。カランバカは小さな町なので、そこから他の都市に移動するには2時間程度離れたイオアニナ(ヨアニナ)という町でバスを乗り継ぐ方が便利なことがある。情報が少ない中必死に調べたルートは、イオアニナからアルバニアのジロカストラという町に移動するという旅程だ。
 おそらく日本における知名度はほぼゼロに等しいであろうが、イオアニナはその名を冠する穏やかな湖に面し、オスマン総督アリ・パシャの居城と城壁の中の旧市街が観光資源となっている。18時発のアルバニア行きのバスまで数時間あったため、徒歩でイオアニナの観光へと出かけた。

 湖のそばは気温も高すぎず、人々の憩いの場となってとても雰囲気がよい。時折遊覧船の汽笛が鳴り響く中を歩き、とりあえずビールを飲む(この旅行中、かなりの頻度でビールを飲んだ。暑いから)。アリ・パシャの城壁内は迷路のようになっており、民家やホテルが並んでいる。迷いながら必死に歩き回り、アリ・パシャの宮殿跡が残る高台へ出た。  

オスマン帝国時代の雰囲気が残る素朴な街並み

 18世紀にイオアニナを統治したアリ・パシャは、アルバニア出身のオスマン総督である。この時代のイオアニナはかなり繁栄しており、あのバイロンはイオアニナを訪問したことを『チャイルド・ハロイドの遍歴』内で記した。また、アリ・パシャとイオアニナは『モンテ・クリスト伯』にも登場する。しかし、それほどの権勢を誇ったアリ・パシャは、ギリシャ独立戦争の混乱の中でオスマン帝国に背き、最終的には湖に浮かぶ小島で暗殺されたという。

 早めにバスターミナルへと戻り、アルバニアへのバスに乗る。陸路での国境越えは初めてだ。そして、これから訪れるアルバニア、コソボ、北マケドニアでは使用していたahamoの海外ローミングの対象外の地域となるため、SIMカードを買わない限りは電波は無い。不安に襲われつつもバスは森の中を進み、1時間ほどでギリシャとアルバニア間の国境であるカカヴィアに到着した。ギリシャ国境ではバスを下ろされ、一人ずつ出国審査が行われる。アルバニア国境側に停められていたバスに乗り込むが、エンジンがかかっておらず、ひどく蒸し暑い。アルバニアへの入国審査はパスポートを集められるだけで完了したが、日本人は自分一人であったことから、パスポートを返却されたのは自分が最後だった。
 アルバニアに入国した後、バスは相変わらず田舎の道を走っていく。「素朴な田舎」としか言い表せないけれども、その風景にはどこか独特な印象を受けた。その一端を担うのが、ところどころに建つコンクリートのドーム型の構造物だ。かつての指導者エンヴェル・ホジャが膨大な数をつくらせたトーチカが、現在もまだ残っているのだ。

ホステルの屋上からの景色。遠くに見えるのはジロカストラ城だ

 この日の宿をとったジロカストラはギリシャ国境と近く、ギリギリ暗くなる前に街に着くことができた。翌日に訪れるベラトと合わせて世界遺産に登録されている街だが、メテオラで一泊増やしたせいで余裕がなく、結局ほぼ観光することはできない(訪れた人の多くがベラトの方がいいと言っている気がするが……)。賑やかな新市街と比べて旧市街はオスマン帝国時代の石造りの街並みが残り、とにかく坂だらけで、ホステルに辿り着くころには息も絶え絶えになっていた。
 アルバニアでは基本的にユーロは使えない。両替するのを忘れたまま宿に向かってしまい、どうしたものかと思っていると、近くのキオスクで一部両替を受け付けてくれた(レートはかなり悪いけれども)。アルバニアの物価は安いのでさほど損したという感じはしない。この日は適当なパンとビールで食事を済ませて寝た。
 
 ジロカストラでの印象深い思い出がひとつある。ホステルを探している時に道に迷い、一般の集合住宅が並ぶ一角に入ってしまったときのことだ。遊んでいた子供達が通り過ぎる自分の顔を見るなり、「ナルト!!ナルト!!!」と叫んでくる。かなり疲れていてそれどころではなかったので無視し引き返すと、子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げ、物陰からふたたび「ナルト!!」とけたたましい声が聞こえてくる。こいつら一発ビンタしていいか?という苛つきに駆られるものの、ただ東洋人が珍しいだけだ、むしろチャイニーズに間違えられないのはレアだ、と思うことにした。あのときの子供達は元気だろうか。

カランバカの目の怖いアヒル

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