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評価経済で生きるパイオニア!?3年前にジョーブログのジョーくんとホームレス小谷さんに出会った話

ぼくが初めてジョーくんとホームレス小谷さんを知ったのは、岡田斗司夫さんのニコ生番組「ニコ生岡田斗司夫ゼミ」の2015年6月28日の配信だった。その日の放送では、岡田さんがこれまでの貨幣経済ではなく新しい評価経済で生きる人たちを紹介するというもので、そこでゲストとして登場したのが、ジョーくんとホームレス小谷さんのふたりだった。

ふたりの生き方はとても変わっていた

まず、ホームレス小谷さんはなんでも自分の1日を50円で売って生活しているということだった。1日50円では生活していけないだろうと常識では思うわけだが、これが面白いことに生活していけるどころか、この活動をする前より裕福になったそうだ。どうしてそうなるかというと、例えば50円で庭の草むしりを頼まれたとする。しかし、頼む側の心理としても「たった50円でこれだけやってもらうのは申し訳ない」となるわけで、「よかったら飯でも食っていかないか?」「泊まるところはあるのか?」と50円以上の価値を手に入れてしまうのだ。そしてSNSを通じて有名になっていくにつれて、お金持ちからは面白半分で海外に飛ばされたり、50円で買ってくれた女性と結婚することにもなった。その頃には小谷さんを買った人の輪が大きくなっていたので、クラウドファンディングで結婚式資金を集めたところ、目標金額をはるかに超える金額が集まったのだという。

そしてジョーくんの方はというと、自分が経験したママチャリ日本一周の旅といったチャレンジを話すことで生活費を稼いでいた。具体的には路上でカンパを募って作ったバーで、ジョーくんがそういった体験を話すことでひとを集めたり、トークイベントに呼ばれたり自分でも開催したりしていた。また平行してヘルプマンと称し、1日1万円からで何でも引き受ける事もしていた。ヘルプマンでの頼まれごとは多岐にわたり、引越し作業など体力仕事もあれば、絵のヌードモデルなども依頼されたことがあったらしい。あとは路上のノリさえつかめば、路上で生活費くらいなら稼げるとも話していた。

ふたりとも依頼金額やアプローチ方法は違っていたが、SNSをうまく使って自分のことを知ってもらい、自分自身の評価を人々から買われ、生活をしていたのである。

ぼくは当時、いや今もだが、日本の社会に対してある種の息苦しさを感じている。それは一度レールから踏み外したひとに対して世間は冷たく、中々元の生活には戻れない。だからつらい思いをしてでもみな必死に頑張り、それ故にお互いがお互いの心身の削り合いをしているからだ。

そんな中、このふたりは新しい価値観の中で生きていて、そのことを楽しそうに番組で語っていた。ふたりの話にワクワクした自分は、「この人たちに会いたい!」と強く思い、番組の次の日には速攻Twitterで連絡を取って会う約束を取り付けた(というか買った笑)。

世の中になにか訴えたいことはないというホームレス小谷さんのひとを笑顔にする力

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先に会ったのは小谷さんだった。新宿で待ち合わせをしてレストランで一緒にご飯を食べた。ぼくが50円で依頼したことは、小谷さんの生き方を教えて欲しいというものだ。要はインタビューさせてくれということである。

小谷さんは元々芸人をやっていたが、あまりにも売れなくてその日暮らすのも大変な状況に陥った。居候させてもらっていた先輩のキングコング西野さんにも家賃を滞納してしまう事態にもなった。そんなある日、西野さんからここを出てホームレスをしろと言われた。ただし、単なるホームレスではなく自分の1日を50円で売って歩けと。西野さんのその発言の真意はわからなかったが、それを小谷さんは愚直にやり続けた。ある時は道でひとから唾を吐かれたこともあったという。しかし、その結果は先にも書いた通り、芸人をやっていた頃よりはるかに裕福になったのだ。

ただ、こういう生活をしているからと言って、小谷さんには別に世の中になにか訴えたいことはないと言っていた。それに誰もがこんな生き方ができるわけでもないので他人に勧めることもしないと。ただ自分が今この瞬間楽しいと思えることを全力でやるだけ。小谷さんにとっては、別に海外に行って野宿することくらいどうとでもないし、ひとから悪態つかれてもつらいと思うことがないとのことだ。その辺は麻痺しているとも言っていた。印象に残っているのは「地球全部が家」と言っていたところだろうか。あとはインタビューしているのはぼくなのに、なぜかいつの間にか小谷さんが逆にぼくの話を聞いてくれて、それを褒めてくれたりすごく楽しそうに聞いてくれたりした。こういうところがひとから愛されるところなのだろうなとも思った。

その後も小谷さんを何度か50円で買ったり、小谷さんが主催する天才万博というものにも足を運んだ。小谷さんの在り方はどこか浮世離れしているところがあって、他人からしたらつらいと思うこともなんとも思わないし、むしろそれを楽しんでいるところがあった。たしかにご本人の言う通り、小谷さんと同じようなことをやれるひとは中々いないだろうなと。それはぼく自身もしかりだ。

キングコングの西野さんから見て、小谷さんが評価を集めるのにちょうど合っているなと思ったのがこの1日50円で自分の時間を売るというやり方だったのだろう。そしてその実験は見事に大成功を収めた。ひとにはそのひとなりの評価の集め方の向き不向きはあるので誰しもが1日50円で生活できるわけではないが、個人がこうして気軽にSNSで情報を発信できる時代となった今、評価でもひとは生きていけるのだという事を見せて表したのがホームレス小谷さんだったというわけだ。改めて西野さんの未来を読む思考には驚かされる。

旅についても人生についても熱い気持ちを持って周りに訴えていくジョーくん

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ジョーくんと初めて会ったのは池袋だった。ジョーくんは普段は大阪にいて、彼が東京に来る予定がある日に約束を入れた。しかし、約束の時間になっても一向に現れない。連絡手段がTwitterしかなかったので、DMを送るも返事がない。まあ、こんなもんだろうと思いながら気長に待つこと2時間。ボロボロのジャケットに大きなリュックサック、そこからぶら下がった汚らしい水筒という出で立ちでジョーくんは現れた。待ち合わせに遅れたのは、鈍行列車を乗り継いで東京に向かっていたら、一本逃してしまって、接続がうまくいかなかったからとのこと。連絡が取れなかったのもスマホのバッテリーが切れてしまっていたらしい。こんなんでよく待ち合わせできたなと思いながらもとりあえず喫茶店へ。

ジョーくんに1万円で依頼したことは、小谷さんと同様にどうやって暮らしているのかのインタビュー。あと路上のノリを教えて欲しいというものだった。当時、ジョーくんは家なし生活を送っていたので、東のホームレスは小谷さん。西のホームレスはジョーくんというイメージだった。youtubeをやっていたのは知っていたが、特に収益にもなってないし、好きだから単にやっていると番組でも言っていたからだ。その頃は登録者数1000人いたかいなかったかくらいだったと思う。

ジョーくんは小谷さんと真逆で、自分の思っている事を熱心に周りのひとに訴えたいひとだった。旅についても人生についてもとにかく熱く語ってくれる。その当時ぼくは海外にひとりでバックパッカーとかしたことなかったが、話を聞いているだけでワクワクしたし、自分も実際にやってみたいと思わせてくれた(結果、その3ヶ月後、ジョーくんの友達の友達がボランティアをしているカンボジアにひとりで遊びに行った)。しかも初対面にも関わらずかなりプライベートなことまであけすけに話してくれたので、すぐに打ち解けることができた。

路上のノリは実地でナンパをしてみようということになって、ふたりしてナンパしたものの惨敗。でも女の子たちに舌打ちされたような出来事も面白く、缶チューハイ片手に公園で一緒に飲んで今度は大阪で遊ぼうと約束。連絡先も交換し、その1ヶ月後、今度はぼくが大阪に向かった。

当時ジョーくんが乗っていたブラッディマリー号というかなりくすんだ赤色のボロボロの自転車に乗せてもらい、心斎橋から西成まで移動。西成の謎の70円ホルモン屋や中国人が営業している激安カラオケ居酒屋に連れて行ってもらった。あとはその頃から流行り始めていた相席屋にぼくは一度行ってみたかったので、ジョーくんに付き合ってもらった。相席になった女の子にもジョーくんは今自分がやろうとしていることを熱弁。その時、ジョーくんはYouTubeの企画で南米縦断を決意していた。女の子たちは面白半分で聞いていた。当たり前だ。出会いの場で人生論や旅について熱く語るやつは普通いない。しかし、隣りにいたぼくはすっかり感動してしまった。聞けば聞くほどに南米縦断は言葉の問題もあるし治安もいいとは言えないしアマゾン川をイカダで下るなんて危険すぎる。なのに目を少年のようにキラキラさせて語っている姿はとても素敵だった。無条件で応援しようと思った。相席屋の女の子たちは持ち帰ろうと思えばできたけれど、それよりも南米に行ってしまうジョーくんとしばらく会えないと思うと、その場限りの女の子たちと過ごすよりはジョーくんとの時間を大切にしたいと思った。だから相席屋は早々に退店し、夜中の大阪の街でその話の続きを聞かせてもらった。いい夜だった。

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次の日はヒッチハイクのやり方を教えてもらった。車が止まりやすい場所やちょっとしたコツを教えてもらい、30分でトラックを運転しているおっちゃんが止まってくれて乗せてもらえた。人生初のヒッチハイクだった。東京に戻ってからはジョーくんにぶっ飛んでいる女の子を紹介してもらった。その子との初対面1時間後にはぼくのカンボジア行きが決まったわけだが、それはまた別の話ということで。

普通のひとだからこそ、勇気出すことの強さ、尊さに気付かせてくれた

ジョーくんと出会ったからと言ってぼくは評価経済的に生きれているわけではない。だけど、ヒッチハイクにしろ路上パフォーマンスにしろ海外バックパッカーにしろ、体ひとつでなにもないところから自分を出していくことで何かが起きたり、ひととの出会いが生まれたりと、ゼロから始められるエンタメを知ることができた。彼のおかげで人生の楽しみ方の幅が大きく広がったのは間違いない。

また、ジョーくんは頭のネジが飛んでいるひとではない。むしろ普通の感覚を持ったとても理知的なひとだ。そんな彼だからこそ毎回一歩踏み出す勇気を奮い立たせるのは本当にすごいと思うし、尊いとすら感じる。

だからその後もずっと彼の活動を追ってきた。ライターという仕事柄、『瞬発力の高め方』にも協力した。そして今回、オンザロードに参加したのも、きっとジョーくんなら絶対ワクワクするようなものを見せてくれる予感があるし、そして彼が踏み出す勇気を毎回見せてくれるのだから、ぼくも言葉の力で拡散力を持ちたい、そのためならこの歳からでも一歩踏み出して彼の事務所で活動してみようと思ったからだ。

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