見出し画像

不安になったら、幸せの定義をする

もやもやとした日々の中、不安になることがよくあった。
生きるのは苦行、と定義したのは十代の頃の自分。

たぶん理由は今思うと、父親の不在だったり、それに伴う母親のストレスやイライラが、家の中にぐるぐると充満していて、甘えることもできず、私は小さい頃からずっと苦しかったんだと思う。

そんなことに気づけたのは大人になってからだいぶ後のことで、
苦しくても我慢することが美徳だと信じて疑わなかった私は、結局我慢しすぎて病気になった。

闘病中、自宅にこもっていたとき、平日の昼間に、誰もいない家には明るい日が差して、ポカポカとしていた。

天気予報ではなく、その日その日の空を見上げて、今日はお布団を干そうかな、とか、洗濯物がたくさん乾きそうだなあとか考えるのがなんともほっこりとした気分になった。暖かい空の下、洗濯物を一つ一つシワをのばして干すのが好きなんだな、と気づいた。
鬱になるほど激務だったときには、洗濯物なんて数分でこなす家事だったけど、私は洗濯が好きだということを、病気になって初めて知ったのだった。

そのとき、私は、自分の幸せの定義を"洗濯物をゆっくり干せること、そんな時間の過ごし方"ということにした。

これはとても画期的な気づきのように思えた。これまでの人生で私を苦しませつづけた何かがぽんとどこかへ行ってしまったような感覚だった。幸せなんてほんとにささいなことでもよくて、何を幸せと定義するかなんだ、と。

私はお金がたくさんほしいわけでも、仕事にやりがいや生きがいを見出して働くことでもない。
私の幸せって、なんて簡単に手に入るんだろう!日々のちょっとした余裕で叶えられる!小さなことで幸せな自分、幸せ!とすら思った。
私は穏やかな気持ちで、もしかしたら人生で初めて、幸せだなあと感じることができた。

言葉やものに定義をしてあげないと、いつまでも、もやもやとしたなにかを追いかけ続けることになる。
誰かと比較して、なんでもない私という存在に凹みがちだ。

だけど、自分にとって幸せってなんだろう、それを一つでも言えたら、意外と簡単に、自分を幸せにしてあげられるんだと思う。自分の幸せの定義は絶対的に自分オリジナルだから、比較しようもない。

毎日、あゝ幸せだなあと感じながら生きるのはとても幸せだと思う。

もし、あなたが得体の知れない何かにいつも不安になっているのであれば、自分にとっての幸せを定義をすることをオススメしたい。

ヘタレな自分や自分みたいな誰かをそっと応援する日記みたいなものです。