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女子と語学力(7) 〜先生が あてる生徒に 偏りが!?〜

目つきが悪い色白の英語塾の先生の思い出を引き続き書きたいと思う。

たまに先生は家族の話題を出すことがあった。彼には奥様もいて子供もいたのだった。何ぶん人生で最も尊大だった時期の一つに数えられるような狭量な視野の中で、自分のことを英語ができると勘違いしつつも中学校が地獄だったせいでコンプレックスにまみれた思春期の時期でもあったので、人一倍、「自分は将来結婚することができるのだろうか?」というようなことは考えていたと思う。正確には思い出せないのだが、高校生の頃に考えていることは、意外と現実的だったような気もする。大学を楽しみすぎ、「国際」的なものに過剰な夢を見てしまい、夢破れてあさっての方向に向かってしまったような気も今はしている。

性格に難のある先生に奥さんと子供がいると知った時のショックは並大抵ではなかった。

「こんなに性格に難があっても結婚できるのか…奥さんと子供がいるのか…女性が逆の立場(女性側に性格に難があり色白の林家こぶ子(架空の人物)的な雰囲気で、県立のトップ校卒業後都内の難関私大を出ていることを想定)ではまず無理だろう」と真剣に感じていた。やはり男性は難関私大を出ていると、違うものよのう(詠嘆)、などと思っていた(別にこぶ子も、結婚できるだろうと今なら思うが)。

幼少期の頃からの辛い経験や、家族の会話や、日々の学校の先生の様子、またその塾での経験などで感じたことは、男性と女性の間には、何か絶対的な非対称性というようなものがあるということだ。若いころの狭量な価値観と思春期の澱んだ気持ちから、ますますそういう視点が強まっていたが、特に若い時代、女性はひたすらに容姿のみが重視されるのに、男性は学歴が重要、という事実を彼の結婚のエピソードからは、リアルに感じた。

最近は結婚の条件として、学歴よりも、年収や、腰が低いこと、家事を分担してくれること、人柄、などに圧倒的な比重がおかれ、自分が学生の頃と比べ学歴の価値がダダ下がっているという記事も読んだが、当時は、まだ「高学歴の男性さえつかまえておけばOK」的な雰囲気が、じんわりと女性の視点の中に、あったと思う。自分の育った古い価値観が根強い地域において、地元の県立トップ校というのは、その高校名だけで、就職、結婚など様々なところに影響を及ぼす強大な黄門さまの印籠のようなものだった。東京で生活をするようになってから、その重みなど、すっかり忘れていたのだが、確かに「地元全域で人生においての強大なアドバンテージ」が存在するという、そういう存在の高校が「県立トップ校」なのだった。地方都市は人の流動性が非常に少なく、何世代にも渡り同じ地域で暮らしている人が当たり前にいる。祖父母、両親が代々同じ地域で生まれた狭い関係性の中において、高校名はとても重要なのである。さらに、東京都内の大学で、全国的に誰もが知る有名な私大卒、ともなれば、結婚することもたやすかったのやもしれぬ。そこまでは聞かなかったが、もしかすると奥様は塾の元教え子だった可能性すらある。リアルにある。ある、ある、ある、ある!(Ⓒクイズ100人に聞きました)

その先生の授業は本当に面白かったのだが、他にもいくつか気になる点があった。

先生本人は、県立の共学のトップ校出身なのに、そのトップ進学高出身の学生は受講生にだれもおらず、全員、その先生の出身高校よりも、偏差値がやや低い(しかし地元の保護者のウケはよい)とされる女子高(含自分の高校)の生徒しかいなかった。絶対に立場が上でいられるフィールドで存分に英語の知識を披露している感じがあった。

また、順番に暗記した熟語の意味を言っていく時は、毎回席の順番だったのだが、個別の問題の質問をしていく時に先生が生徒を当てる際は、明らかに、綺麗な同級生ばかりを当てている感じがあった。

比率で言うと

指名度65%
(フランス人形(例え古い)のように目がぱっちりとして長い黒髪をなびかせている、芸能界デビューすら可能なのでは?とこっそり噂されていた綺麗な同級生):
指名度30%
(ちょっとハキハキした感じのショートカットの可愛らしい同級生):
指名度2%
(木村拓哉が好きだった個性的な同級生):
指名度1%
(授業は好きだったが当時短いスカートが流行っていたのにスカートの丈が膝下20センチくらいで髪を床屋で切っていて、ルーズソックス全盛時代に靴下が三つ折りで、授業は結構な頻度で眠っていた私):
若干誇張はしているが、明らかに、綺麗な友人二人の指されぶりの頻度が圧倒的に、高かった気がした。木村拓哉が好きであった友人と寝てばかりいた私は、「今日もまたよしこ(仮名)ばっかり指されてたよね…」と、嫉妬とは若干異なる諦念に基づく観察(なぜなら彼女と同じ土俵に立っている気が最初からないのとこぶ平先生にたくさん指名されてうらやましいという気持ちはなかった)のような感覚で、人柄に難のある高学歴なこぶ平先生の様子を見つめていた。

男性の側がたとえ外見的に魅力的でなくても、女性が容姿端麗かどうかをジャッジする権利は一方的に男性側にあるのだ。やはり、何かが圧倒的に非対称だと私は感じていた。


そんな引っかかるエピソードもあったものの、自分の英語の成績は、みるみるうちにグングン上昇した。あの時にあの、いつも、綺麗な同級生ばかりをあてていた、性格に難があって、英語力を駆使して日常的に交流する欧米人の友人とファックスで交信していることを、猛烈に誇らしく思っていた先生…今はあの時に塾に一緒に通っていた誰とも連絡をとってはいませんが、先生の指導のおかげで、志望していた大学に合格できました。大学に入学したのち一度顔を出しましたが、その後、シャッター街となった地域にあったその塾は、数年後には看板もなくなっていましたが、本当に感謝しています…。

女子と語学力(8)に続きます…。

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