テニスコーツの光輪を聴いた


9/3(木)光輪の君を見た
残暑、厳しい。ときおり強風が吹く。
もうすぐ大学の夏休みが終わる。八月の三十一日をここ最近はずっとくりかえしているように憂鬱である。何事においてもそうだと思うが、終わるその瞬間よりも終わりそうな時のほうが切ない。来年は就活でおちおち休んでいられないのだろうなあ、と思うとますますこの休みが終わることに絶望を感じる。諸行無常を夏休みを通じて知る。
数年後は電車で見かける死んだ顔のサラリーマンのようになるのか。そもそもなれるのか?なにも考えていなかった高校生のころに戻りたくなるが、そういえば同じ電車にいる高校生の顔も死んでいる。あの頃はあの頃でいろいろ考えていたかもしれない。でもそれはほとんど意味がなかった。なせなら二十一歳になった今何を考えていたのか一切思いだせないからだ。その割には酒も弱く煙草も吸えないから、大人になるタイミングを失った。宙ぶらりんで、なにもかも嫌になる。五月病ならぬ、九月病である。
今日は正午ごろ起床した。窓から入る風が気持ち良かったが、汗だくで起きた。八月を過ぎると世間は夏の終わりムードを醸し出すが、あれはやめてほしい。まだ十分暑い。
今日も今日とてすることがなかった。ふいに悲しくなった。今年は夏休みらしいことを何一つしていない気がする。どうしてそれを九月を過ぎてから気づいたのだ。
パンを焼いて食べて、いきなり思いついた。海に行こうと。思いついた瞬間、やったと思た。ビームスで買ったアロハシャツと短パンにサンダルを履いて、昼過ぎに家を出た。我ながらこの行動力は訳が分からない。課題をやれよ。
意気揚々と乗り込んだ平日の昼間の電車内で、自分は確実に浮いていた。一人だけ夏野郎だった。しかし無敵状態のためそれさえ面白かった。浮け浮け、サラリーマンよ、羨ましがれ。しまいには笑みさえこぼれ、いで立ちは完全に不審者のそれだった。
聞いたこともない駅で降り、近くのコンビニで飲めもしないビールを買う。淡麗。そのあといいタイミングで来たバスに十五分ほど乗った。バスは電車とは違い生きているのかどうか分からないような老人ばかり乗っていた。調子に乗って細野晴臣など聞いていたが、老人の流すラジオの野球中継がうるさくて、途中からイヤホンを外して一緒に野球中継を聞いた。場内に動物が乱入して面白かった。
バス停は、堤防の近くで止まった。海が見えた。海とバス停の看板がとても夏休み然としていて、思わず写真を撮った。この時点でテンションは最高潮に達していた。浜に行くまでにはすこし歩かないといけなかったために、堤防沿いを歩いた。そしてビールの缶を開けた。なぜだかうまく感じて嬉しかった。今度は細野の歌を邪魔するものは何もなかった。ろっか・ばい・まい・べいびいを口ずさめば、細野が憑依した。ここでも多分不審者のようだった。しかしおかしい。どうして人はリラックスしすぎると不審者になるのか?
林のなかの道を抜けると、ついに浜に着いた。想像していたよりも大きな音量で波の打ち寄せる音が絶えまなくした。海に来たのはいつ振りだろう?海の色や砂浜は想像していたより汚かった。目の前に広がる海はテレビの中の海よりずっとださかったので、妙な親近感を覚えた。ださい者どうし仲良くしようや、と語りかけてくるように波がサンダルと指先を濡らした。べたべたして気持ちが悪かった。
しばらく、浜は自分のほかには誰もいなかった。海をひとりじめしたことは後にも先にもこれだけだった。海風を浴びているのに心はすーっと凪いで、実体の見えない不安感や憂鬱はどこかへ行った。ここは自分の海だ、と思った。しかし、それは違った。
浜の階段に座り込みぼーっとしていると、にわかに若い男女、しかも複数人のはしゃぐ声が聞こえた。はっと目を見開いてあたりを見渡せば、あきらかに同世代らしき男女四人が楽しそうにこちらに向かってくる。尻が半分出ているようなショートパンツをはいた女と、エグザイルみたいな男が馬鹿みたいな声量ではしゃいでいる。彼らは腹から声を出すことができるのでえらい。
頭の中で流れていたろっか・ばい・まい・べいびいは止まった。夢色のもやのかかった色眼鏡はずり落ちた。ゆっくりと立ち上がり気配を消しながら移動する自分はさながら忍者であった。
男女グループから逃げながら、なるほど、と思った。人を誘って海に行くという発想が自分にはなかった。それはなぜか。友達が少ないから、痛いやつだから、考えてみればいろいろな理由が湧いてきた。
彼らとは違い、ひとりで海をみにくることに恥ずかしさを覚えた。友達が投稿にいいねをしていたことでたまたま知った、自分がひそかに思いを寄せるセキシロホノカが知らない男女とプールに出かけ、大きな浮き輪に乗っている写真を見て死にたくなったことを思いだす。浮き輪になりたいと友達に言うと、いや、一緒に行けよ(笑)と返された苦い思い出だ。その時も今日と同じ、なるほど、であった。
とにかくエグザイルから遠ざかろうと浜を歩き続けた。しかし彼らの声が聞こえなくなっても、恥ずかしさは拭いきれなかった。あてもなく進んで、林を抜けると、薄汚い小屋が数件並んでいるのを見つけた。海の家である。全くひとけは感じず、眠っているように静かだった。しかし、そのうちの一軒から、かすかに音楽が聞こえてきた。
ほとんど条件反射のように吸い寄せられた。
店の中は海と油の匂いがして、椅子や机は塩風と砂でじゃりじゃりだった。音楽は、どうやらカウンターにおいてあるラジオから流れているらしい。弾き語りの知らない曲。寂しく静かで、しかし妙に心地が良かった。座席の一つに腰かけ店の中を見渡していると、キッチンの奥のほうで少女がぼうっと座っているのが見えた。人形かと疑うくらいに彼女は美しく、動かなかった。そのうちに曲は終わった。曲名を忘れないようにメモしておいた。
ラジオの他には物音のしない海の家は、妙に落ち着くのにずっとここにいてはいけないとはっきりと感じる。現実からの核シェルターのようであった。
妙な浮かれ気分はすっかり浜に置いてきた。ビームスのアロハシャツの柄にフラダンスを踊っている女を見つける。それすら恥ずかしくなって、もう二度と着るものかと思った。
こんなことして、一体何がどうなると思ったのだろう。朝の自分は気がふれていたに違いない。こんな遠いところに来たって、自分は自分のままだ。ダサくてずっと苦笑いの自分のままだ。海の家で一人、虚しくなった。エグザイルと尻の女が羨ましくて悔しかった。そんな時、奥にいたはずの少女がコト、と目の前にコップを置いた。「今日でお店はおしまいです」少女は言った。色素の薄いロングヘア。「台風の予報が、閉店の合図」そう言われラジオに耳を傾けると、確かに九州のほうに台風が上陸したと報じられていた。少女はそれだけ言うとまだ奥のキッチンのラジオのそばに戻っていった。仕方ないので運ばれてきた麦茶を飲んでみた。とても苦かった。祖母の家で出されるような感じの。「このお茶、苦いね」とキッチンに向かって言うと、少女はゆっくりと笑って、自信ありげにそれでも大丈夫ですよと言った。何が大丈夫なんだと思ったが、彼女はもうそれきりなにも言わずまたどこかに視線を戻した。
それでも大丈夫ですよ。自分に向かって言ったわけではない。大丈夫なのはお茶だ。それでも何度も彼女の言葉とささやかな笑みを反芻した。救われた気分になるために。
安蛍光灯の下で輝く彼女の髪の光の輪を見る。あまりにも美しく眩しい光。あの清らかで柔らかそうな亜麻色の髪の流れに指を通せたらと考えた。そしてそれは絶対に不可能だとも思う。分かっているけど、やるせなくなって一息にお茶をあおる。すると机の上に露がコップの形に輪を作っているのを見つけた。それも安蛍光灯に照らされ、光っているのだった。それを指でそっと撫でつけた。砂と露で指がじゃりじゃりと濡れて気持ち悪い。やはりこちらの光輪のほうが自分にはお似合いだろうと思うと笑えた。帰ってこのことをすぐ日記にしようと思った。
価値のない自分の価値のない夏の終わりに、妙な一日を過ごしたと思う。あの子はきっと天使だった。彼女は無意識に、しかし簡単に虚しさを笑ってくれた。それでも、大丈夫ですよ。

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