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聖書の登場人物を学ぼう|サウル③

サムエル記上13章 ミクマシの戦い


 前回の振り返りを兼ねて13章2-3節です。

13:2 さてサウルはイスラエルびと三千を選んだ。二千はサウルと共にミクマシ、およびベテルの山地におり、一千はヨナタンと共にベニヤミンのギベアにいた。サウルはその他の民を、おのおの、その天幕に帰らせた。
13:3 ヨナタンは、ゲバにあるペリシテびとの守備兵を敗った。ペリシテびとはそのことを聞いた。そこで、サウルは国中に、あまねく角笛を吹きならして言わせた、「ヘブルびとよ、聞け」。

 ヨナタンが宿敵ペリシテ人の守備兵を敗り、戦争が始まっていきます。そして、ペリシテ人から憎しみを買ったと知らせを聞いたイスラエル人は、ギルガルにいたサウルのもとに集合しました。

1.待ちきれなかった王サウル

13:5 ペリシテびとはイスラエルと戦うために集まった。戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。彼らは上ってきて、ベテアベンの東のミクマシに陣を張った。
13:6 イスラエルびとは、ひどく圧迫され、味方が危くなったのを見て、ほら穴に、縦穴に、岩に、墓に、ため池に身を隠した。
13:7 また、あるヘブルびとはヨルダンを渡って、ガドとギレアデの地へ行った。しかしサウルはなおギルガルにいて、民はみな、ふるえながら彼に従った。

 イスラエル軍はわずか3千の兵力ですが、これに対峙したペリシテ軍は戦車3千、騎兵6千を擁し、《民は浜べの砂のように多かった。》とあります。
 サウルがいるギルガルとペリシテ軍が陣を張ったミクマシの距離は直線にして約15kmです。イスラエル軍は全く士気を失い、ある者は身を隠せる所を探して隠れ、ある者はヨルダン川を渡って逃げ、サウルと共にギルガルにとどまった者は、ふるえていました。彼らは万軍の主である神さまを仰ぎ望まなかったため、臆病になっていました。

13:8 サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。

 10章で、

10:8 あなたはわたしに先立ってギルガルに下らなければならない。わたしはあなたのもとに下っていって、燔祭を供え、酬恩祭をささげるでしょう。わたしがあなたのもとに行って、あなたのしなければならない事をあなたに示すまで、七日のあいだ待たなければならない」。

 このように、サムエルがサウルに油を注いだ後に、これから起こることを話しました。そのときに、ギルガルで七日間待っているように、と言われました。そこから神さまが何を示されるか待ちなさい。ということでした。

13:9 そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。
13:10 その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、彼を迎えに出た。
13:11 その時サムエルは言った、「あなたは何をしたのですか」。サウルは言った、「民はわたしを離れて散って行き、あなたは定まった日のうちにこられないのに、ペリシテびとがミクマシに集まったのを見たので、
13:12 わたしは、ペリシテびとが今にも、ギルガルに下ってきて、わたしを襲うかも知れないのに、わたしはまだ主の恵みを求めることをしていないと思い、やむを得ず燔祭をささげました」。
13:13 サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。
13:14 しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。
13:15a こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギベアに上っていった。

 サウルは、サムエルが命じたように7日間待ちましたが、なかなかサムエルが到着しないので、民がどんどん戦列を離れ散って行くため、焦りがでたのでしょう。
 しびれを切らして、祭司の役割を自ら果そうと決意し、燔祭をささげてしまいました。

 皮肉にも、ちょうど燔祭をささげ終ったところへサムエルが到着しました。もう一刻の辛抱が足りなかったのです。サムエルの咎めに対しサウルは、謝罪もせずに、口実を並べて、言い逃れをしています。11-12節では、悪いのは民とサムエルで、サウル自身は主に嘆願したのだから善を行ったという主張です。
 残念なことに、サウルは王として不適格者として退けられ、まだ名は挙げられていませんが、主は《ご自分の心にかなう人》を代りに立てられる。と言い渡されました。


 イスラエルにとって、神さまが定めた律法は、国で言えば憲法、刑法、民法になります。会社で言えば定款や定款細則、就業規則です。自治会や町会で言えば規約です。
 職階制ですから、そこには職務があり、職域があって責任を果たしていきます。

 当時の王や祭司は、律法を運用し人を管理する責務がありますから、律法を守らないということは現代風に言えば、ガバナンスが効いていない。内部統制がとれていない。ということになります。
 ですから、もっともらしい言い訳すると、許されるのであれば、何でも許されると言うことになり、サムエルの言い渡したことは当然なのです。

 神さまである主が探し求める人は、《ご自分の心にかなう人》です。
 神さまが人にしてほしいのは、人のパフォーマンスではなく“心”です。創造主なる神さまを主として愛する心です。主を求める心です。

 そして、主が願っておられることを願うことです。その人の行為が間違っていることがあるかもしれません。これまで聖書に登場した聖徒たち、信仰者たちは間違いをたくさん犯しました。士師サムソンは、その典型的な例です。
 しかしヘブル書11章32節にて、サムソンは信仰者として数えられています。神さまが求めておられるのは、見えない“心”なのです。それをサウルは持っていませんでした。神さまを愛していたら、サムエルの質問《「あなたは何をしたのですか」。》に、ハッと気づいて謝ったでしょう。

2.イスラエルの劣勢

13:15b サウルは共にいる民を数えてみたが、おおよそ六百人あった。
13:16 サウルとその子ヨナタン、ならびに、共にいる民は、ベニヤミンのゲバにおり、ペリシテびとはミクマシに陣を張っていた。
13:17 そしてペリシテびとの陣から三つの部隊にわかれた略奪隊が出てきて、一部隊はオフラの方に向かって、シュアルの地に行き、
13:18 一部隊はベテホロンの方に向かい、一部隊は荒野の方のゼボイムの谷を見おろす境の方に向かった。

 ペリシテ人との戦いにおいて、イスラエル側は人数の面でも武器の面でも、はなはだしく劣っていました。
 3千人いた人たちは6百人に減り、ヨナタンとサウルは合流し、ミクマシの近くのゲバにいます。敵であるペリシテ側は、兵力も豊富であったばかりでなく、3組の略奪隊を西に北に南にと送り、ますます力を付けています。

3.ペリシテ人と鉄

13:19 そのころ、イスラエルの地にはどこにも鉄工がいなかった。ペリシテびとが「ヘブルびとはつるぎも、やりも造ってはならない」と言ったからである。
13:20 ただしイスラエルの人は皆、そのすきざき、くわ、おの、かまに刃をつけるときは、ペリシテびとの所へ下って行った。
13:21 すきざきと、くわのための料金は一ピムであり、おのに刃をつけるのと、とげのあるむちを直すのは三分の一シケルであった。
13:22 それでこの戦いの日には、サウルおよびヨナタンと共にいた民の手には、つるぎもやりもなく、ただサウルとその子ヨナタンとがそれを持っていた。

 この時代は、青銅器時代から鉄器時代へ移っている時代です。
 ペリシテ人は製鉄技術を大いに利用し、また発達させました。鉄は青銅とくらべ硬く軽いため剣に向いていて、刃は欠けにくく優れていました。鉄は世界に大きな変革をもたらしました。
 鉄は人々の暮らし、戦争の方法もすっかり変えてしまいました。ペリシテ人は鉄で優れた武器や戦車を作り、いまだに青銅器時代の道具や武器に頼っているイスラエル人とは戦力面で大きな差がありました。


 ペリシテ人は鉄製の武器をイスラエル人に教えず、青銅製農具を研ぐのに高い値段をつけました。
 (1シェケル=銀11.5g / 1ピムは2/3シェケル)
 ですから、剣や槍を持っているのはサウルとヨナタンくらいで、その他の者たちは石投げや杖,棒,そして恐らく農具の類を武器としていたと考えられます。

 ミクマシの戦いはサウルの6回目に、息子ヨナタンの取り上げる時に詳しくお話ししますが、次回以降の話しの流れを考えて少し簡単に説明いたします。

 ヨナタンが谷の向こう側に駐留しているペリシテ軍の前哨部隊に奇襲攻撃をかけ混乱を引き起こし(サムエル記上14章1-14節)、サウルの部下がペリシテ軍の宿営を攻撃し(サムエル記上14章15-23節)、東へ、ミクマシからアヤロン追撃(サムエル記上14章31節)します。

 本日は、サウルの自己中心性を垣間見ました。表向き、どんなに品行方性な人でも、自我を押し通そうとする人は、上位者の指示に忠実に従いません。人間の罪の性質が表れます。だからこそ、私たちは神さまへの信仰を保つことが必要です。神さまとの生きた関係が必要です。
 物事を進める時は、常に祈り、心を点検し忠実に従うことが大切なのです。


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