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ヨシュアを学ぼう③〜約束の地の分割〜

(▶︎ヨシュア以前の人物伝HPにて
ヨシュア記13-22章


 今日は約束の地の分割です。ヨシュアとイスラエルの民は、アイでの失敗を克服し、神さまを信頼し、従っていきました。 

ヨシュア記
11:6 その時、主はヨシュアに言われた、「彼らのゆえに恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らを皆イスラエルに渡して、ことごとく殺させるであろう。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を火で焼かなければならない」。

 人の知恵によるならば、戦利品の馬や戦車は、自分たちの次の戦いのために用いようとするでしょう。しかし、神さまは、徹底して神さまにだけに頼るようにと言います。ヨシュアと民たちは、神さまだけを信じ、頼りました。そして、

ヨシュア記
11:23 こうしてヨシュアはその地を、ことごとく取った。すべて主がモーセに告げられたとおりである。そしてヨシュアはイスラエルの部族にそれぞれの分を与えて、嗣業とさせた。こうしてその地に戦争はやんだ。

 嗣業というのは、神さまが約束されたとおりに与えられた相続地という意味です。

 続く12章をみると、31人の王たちの名前が記されています。

 これは、これらの王の国を征服したヨシュアとイスラエルの民たちの戦いと征服そして、一心にまことの神さまに従った彼らの歩みの積み重ねの記録と言っていいでしょう。
 その土地の分割の仕方が13章から記されています。


1.占領されていない地

13:1 さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。
13:2 その残っている地は、次のとおりである。ペリシテびとの全地域、ゲシュルびとの全土、

 神さまは、ヨシュアにまだとるべき地は多く残っていると言います。
これは、細かいチェックを入れて、上げ足を取って、ヨシュアのこれまでの働きを否定しようとしているということではなさそうです。

13:6 レバノンからミスレポテ・マイムまでの山地のすべての民、すなわちシドンびとの全土。わたしはみずから彼らをイスラエルの人々の前から追い払うであろう。わたしが命じたように、あなたはその地をイスラエルに分け与えて、嗣業とさせなければならない。
13:7 すなわち、その地を九つの部族と、マナセの半部族とに分け与えて、嗣業とさせなければならない」。
13:8 マナセの他の半部族と共に、ルベンびとと、ガドびととは、ヨルダンの向こう側、東の方で、その嗣業をモーセから受けた。

 神さまは約束したことを必ず果たすお方であり、あなたが、また民たちが神さまに従っていく限りにおいては、これまで同様に神さまが戦ってくださって、尚あなた方は祝福を受けるということが言われています。

 ここまで、皆で戦ってカナン人を討ち倒して降伏させ、カナン人に神の民イスラエルを認めさせたので、この後は、それぞれの部族に土地を分け与えて、さらに、部族ごとにその地域を完全に征服するようにと指示があったのでしょう。

 ヤコブの子供は12人でした。その子供たちの子孫12部族が土地の分割、割り当て地の対象です。ルベンとガドとマナセの半部族は、ヨルダン川をわたって約束の地に入る前にすでに割り当て地が与えられていました。

 それで約束の地での割り当てでは、残り9部族とマナセの半部族が対象です。9部族のうちヨセフから出たマナセとエフライムは2部族となり、実際には13部族いたのですが、レビ族は、神さまに直接仕える祭司の働きのために、土地は与えられませんでした。

 代わりにイスラエルのすべてからささげられる十分の一のささげものと各部族から与えられる土地と放牧地が嗣業となりました。ということで土地は12に分割されます。

13:33 ただし、レビの部族には、モーセはなんの嗣業をも与えなかった。イスラエルの神、主がその嗣業だからである。主がモーセに言われたとおりである。

2.くじによる分割

 彼らはくじを引いて、土地を分かち合います。

 「くじを引くこと」は、聖書において大事な意味を持っています。くじを引くことは、神さまのお心を求める方法です。くじを引くことで土地を分配するのは、神さまがそれぞれの部族にどの土地を与えようとしておられるのか、そのお心を求め、それに従うためでした。

 ユダ、マナセとエフライム族がくじによってまず土地を得ます。

18:2 その時、イスラエルの人々のうちに、まだ嗣業を分かち取らない部族が、七つ残っていたので、
18:3 ヨシュアはイスラエルの人々に言った、「あなたがたは、先祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか。
18:4 部族ごとに三人ずつを出しなさい。わたしはその人々をつかわしましょう。彼らは立っていって、その地を行き巡り、おのおのの嗣業のために、それを図面にして、わたしのところへ持ってこなければならない。
18:5 彼らはその地を七つの部分に分けなければならない。ユダは南のその領地にとどまり、ヨセフの家は北のその領地にとどまらなければならない。
18:6 あなたがたは、その地を七つに分けて、図面にし、それをここに、わたしのところへ持ってこなければならない。わたしはここで、われわれの神、主の前に、あなたがたのために、くじを引くであろう。

 ヨシュアは、まだ、自分たちに土地を得ていない7部族から3人ずつ代表を選出させ、まだ手に入ってはいない土地の記録を作らせます。そしてその記録を基に7つに分割し、それぞれの部族にくじ引きで土地を分配することにしました。


 まだ手に入れていない土地を書類の上で分配したのです。これは普通に考えれば非常識なことですが、
 《わたしはみずから彼らをイスラエルの人々の前から追い払うであろう。わたしが命じたように、あなたはその地をイスラエルに分け与えて、嗣業とさせなければならない。(13:6bc)》
 
という神さまの約束を信じ、神さまへの信頼によって、つまり信仰によってこのことがなされたのです。

3.神さまの誠実さ

21:45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つとしてたがわず、みな実現した。
12:5 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。
12:6 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。
12:7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

 神さまがアブラハム約束されてから、エジプトでの奴隷生活の400年を経て、約700年後、そのことが、確実に実行されたことが記されています。神さまは、必ず約束されたことを守られるお方、全てにわたり誠実なお方であることが分かります。

 ヨシュア記15章では、ユダ族の嗣業、与えられた土地の境界線が辺境の町々まで詳細に、克明に記されています。また、ヨセフの子孫、マナセとエフライムについては16章と17章の2章を用いて書かれています。これより、神さまは部族の人数、構成、力に応じて、部族の特徴をふまえて土地を与えられています。

 私たち1人1人にも神さまは、特性に応じて、賜物や環境を与えてくださっています。


 新約聖書でパウロが書いている一文を紹介します。

新約聖書 エペソ人への手紙
4:7 しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。

 一方、私たちはどうでしょうか。神さまが豊かに祝福してくださろうとしているのに、その神さまを知ろうともせず、また知って信仰に歩んでいたとしても、「とるべき地は、他に多く残っている」と神さまが用意されている大いなる祝福を逃している者ではないかと思わされます。

ヨシュア記
16:10 ただし、ゲゼルに住むカナンびとを、追い払わなかったので、カナンびとは今日までエフライムの中に住み、奴隷となって追い使われている。

17:12 しかし、マナセの子孫は、これらの町々を取ることができなかったので、カナンびとは長くこの地に住み続けようとした。

 神さまの誠実に対して、私たちは、人の目、人の思いであれこれ考え妥協する生き方を選びやすい存在です。しかし、神さまはいつでも神さまに立ち返るものを喜んでくださり、愛してくださり、誠実を尽くしてくださるお方です。

イスラエルの歴史おいて後に登場する預言者イザヤが

旧約聖書 イザヤ書
30:15 主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。
と書いています。

 私たちが、いつも神さまに立ち返り、神さまのみこころを求め続ける限り、神さまは、とるべき地は多く残っていると示してくださり、神さまが勝利に導いてくださるのです。


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