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続:雑誌を編むということ、旅すること(雑誌NEUTRAL COLORS ニュー・カラーへの道#4)

以下に掲載した「雑誌を編むということ、旅すること」の続きです。

“誰のために編むのか”

白夜書房を退社して編集プロダクションでTRANSITをつくることになった。NEUTRALの編集内容を踏襲しつつ、国やエリアを包括的かつディープにコンプリートすることで、今までにないトラベルカルチャー誌として再出発した。編集的には特集地域をセグメントすることで、博打的な編集のラビリンスに陥ることもなくなり、ある程度計算が立った。年4回をきちんと守り(当たり前だけど僕にとってはすごいことだった)、売れること、続けることを真剣に考えた。なかでも出色はやはり写真であり、男女比では女性読者をかなり獲得できた。あらゆるタイプのカメラマンとライターを世界中に派遣して、彼らが生み出すライブ感を誌面に照射しようと試みた。いわば報道まではいかない、僕らでも届くドキュメンタリー、といったところだろう。デザインの力に引き上げられた部分も大きかった。AD尾原氏のもと、何年かごとに実務のデザイナーは変わったが、その誰ともがっぷり組んで紙幅をフィールドに緊張感のある勝負ができた。僕はデザイナーがびっくりするような「素材」を世界中から持ち帰ることに喜びを感じていたし、デザイナーはそれによってエンジンがかかり、挑発的な誌面デザインを表出して見せてくれた。

紆余曲折ありながらも30号が見えてきたとき。特集エリアは地球を1周して、2周目に入ろうとしていたとき。編集部も大所帯となり、営業、広告などプロ集団として分業制が確立してきたとき。自分はと言うと40歳を過ぎ、この路線を続けていくことに漠然と、けれど切実な不安を抱えていた。変化は少しずつなのに、すぐそこに切迫しているような落ち着かない気持ち。いいことなのだが、TRANSITは自分の手を離れ、若い担い手によって新しいフェーズに入ったと感じていた。

NEUTRALやTRANSITに変わった初期の頃は自分のために編んでいた。それは「俺の雑誌」という意味ではない。自分=読者だったわけだ。それがいつしか自分が読者から離れてしまい、自分以外の多数の誰かのためにつくるような感覚になっていった。何より変わったのはワクワク感が消失したことだ。びっくりしなくなった。麻痺したのとも違う。明らかに自分自身のクオリティの低下だった。デザイナーに我先に素材を持っていかなくなり、効率よくカメラマンと書き手を組み合わせた。それでも部数は伸びたし、多くの編集者が関われるようになった。単純に役目を終えたのだろう。

 そうして、本当に誰のためにつくるのか? を自問したとき、もう一度、美しい雑誌を自分のためにつくろうと思い立ったのだった。前述したが、自分のためというのは「読者に還る」という意味にほかならない。そしてその読者のなかには我が娘も含まれている。手の届く未来の読者に向けて、数は減ったとしても、確実に深く届くように編みたいと思う。

“誰と一緒に編むのか”

さて、そんなこんなでATLANTISだ。TRANSITである程度やりきったから、旅がテーマではない。最初に追い求めていた「普遍性」を持ちつつも、NEUTRALに戻すわけではない。小さな気づきーーなんで国境があるんだろう? ピラミッドがなぜ三角錐なのか。ダイヤモンドを最初に研磨した人は?ーーに時事的な必然を踏まえて世界が無限に広がっていくような雑誌が読みたい。自分が最初の読者になってびっくりしたい。ATLANTISの誌面で今までの意識や時代を吹き飛ばしたい。構想があってそこにめがけてスケジュールを収斂させていく「作業」ではなく、いいときは進めて悪いときは戻ったりしながら、壊したり組み上げたりしていく「編集」がしたい。そこにいつもの日常生活があり、スケジュールや予算などの葛藤もあるだろう。それでも一瞬偶然にもこの時代に集まった人々と、密なディスカッションと深い付き合いがしたい。

出版不況ーー思えば入社した当時から言われている。雑誌を出そうとする度に「時代と合わない」とため息をつかれてきた。もういいよ、わかってる。それでも確実に言えるのは、いいものには価値があるから売れる、よくないものは売れない、だたそれだけのことだろう。いいものはずっと手放されないで時を経ることができる。なぜ紙にこだわるのかについては、「それしかできない」ということに集約されてしまう。最初に持った絵筆やカメラのように身体に馴染み、一番自分が出せる形になったとしか言いようがないからだ。紙の風合いとかニュアンスではない。仕事の道具というもっと切実なものだ。

“どんな方法で届けるのか”

ターゲットに合わせてテーマを探すのではなく、純粋な読者となって読みたい主題を広げて編む。もう十二分にオヤジなんだから若者に迎合しても結果は散々なものだろう。若い読者が見て反応するかは結果であって、目的ではない。「時代に合わない」という刃への返しは、「時代に合わせて」同じものを大量につくるから残らないんだよと。毎月同じような雑誌が日々出版されて、競合して読者を食い合う。盲目的に「時代に合わせた」ばっかりに、コンビニはシュークリームを返すよりも雑誌を返品し続けている。そこの棚に一瞬でも入りたいか? むしろ時代に合わなくて寂しい思いをしている読者の本棚に収まりたいと願う。

今、時代を突破していくメディアは、もはや出版ではないことを認めるしかない。Webしかり、海外の音楽シーンしかり、そういったダイナミックな動きを雑誌に取り入れていく必要があるだろう。ノスタルジーに浸っているだけではダメで、新しい販売チャネルに切り替える時期にきている。書店の形も飛躍的に進化している。軽トラに本を詰めて直接売りに行ってもいいし、書店ごとに違う付属物を付けるとこともできるだろう。雑誌をつくることがゴールではなく、そこから旅が始まっていくのだ。

編集とは、難しいものなのだと20年目にしていまさら思っている。一生やりたいことを続けることは、受験勉強よりも就職活動よりも困難に違いない。それでも本当に自分が編みたいと思ったものを形にできるように、もう一度イチからやり直す。刷られていく印刷機の音。搬入されたときのインクの匂いはまだ体に滞留している。雑誌を編むというと、旅することーー二度と終わらない旅の始まり。

NEUTRAL COLORSに込める思い

ニュー・カラーも“誰に向けて編むのか”を一番考えている。紙にする意味についても深く考えないといけない。結論としては、絶対にその人でしか経験できないことを、個人の言葉で語ってもらうしかないと思っている。

写真はどうだろう。風景があって、ポートレイトがあって、という基本的な旅雑誌の形態はもう新しくない。読み出したときに、結論が予想されてしまう。○○ぽさとはそういうものだろう。だからこそニュー・カラーは、旅の形を国やエリアに固定しない。個人の思いを元にして、世界から自分の生活に帰ってきたときのことを始まりとしたい。旅は終わりではなく、プロローグとしたい。

自分も予想もできない、写真と文字で紙幅の限界に挑みたい。印刷方法も企画ごとにそれぞれ構築する。オフセットとリソグラフを組み合わせ、誌面自体でトリップできるように。それから、最初に各企画のページ数は決めない。語り出すリズムに合わせて写真と文字を踊らせていくようなつくり方をしていく。デザインのラフは切らずにデザイナーに委ねる。ラフ通り上がってきてしまうのは、イメージを押し付けてしまうから。自分にとっては作り方の大きな変化だけど、チャレンジしていきたい。

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