忙しい中でのゆとり
ある映画で、日常によくある母と子のやり取りが生む、葛藤を描いていました。
その家庭は、母親が生活に追われているようで、心にも余裕がない様子でした。子どもが何か話をしていても、用事をしながら顔も見ずに返事をし、子どもが母親に聞いてほしい事がある時も「忙しいから後にして」という状態でした。
ある日、子どものフラストレーションが爆発。
テーブルに乗ったり、物を投げたり、大暴れしている子どもに、母親は「どうしてそんなことするの!手に負えないわ。この子がわからない。」と嘆いていました。
親子は近い関係なので、日常の生活に追われて余裕がない時はどうしても、子どもの存在をなおざりにしがちです。
親のやりたい事があったり、やらなければならない事があったりと、頭の中は“忙しい”でいっぱいになり、自分を追い込んでいる状態になっています。
そういう時、自分を見てみると、イライラして、何か面倒な事が起きると怒り、ただ子どもを急かす…といった“忙しい”というあり方の自分になっているのではないでしょうか。
このような、“余裕がない”“忙しい”と言っている時ほど、自分を観察してみることが大切です。
肩に力が入っている自分に気づくかもしれません。
頭の中が騒がしく、思考がうるさくなっている自分に気づくかもしれません。
その思考が「なんで自分だけ大変なの…」と文句を言っていることに気づくかもしれません。
子どものことを「面倒を起こさないでよ」と、邪魔者扱いにしている自分に気づくかもしれません。
そういう時は、“今”目の前の必要なことを淡々と“今”やるだけ。
時間に間に合わないことが出て来るかもしれません。
そして、間に合わなくてもいいかもしれない・・と、ゆったりすることを試してみて下さい。
“今”というこの瞬間に自分が存在する時、ゆったりとした時間が流れていることに気がつくでしょう。
“忙しい”という中に、“ゆとり”を見つけることがあるのです。
“忙しい”“余裕がない”と言っているのは、自分の頭の中の思考です。
私たちは、その思考に振り回されていることがほとんどです。
実際には、ひとつひとつの行動を淡々とこなすだけなのです。
大切なのは、その最中の自分自身を見るという事。
行動している最中の自分のあり方が“焦っている”“慌てている”でも、“余裕がある”“穏やかである”でも、結果は同じ。
物事はひとつひとつ“終わり”=“完了”します。
でも、“完了”するまでのあり方で、行動の“質”は全く違います。
自分のあり方が“余裕がある”“穏やかである”というような時、子どもへの関わり方の“質”が全く違うものになります。
先ほどの映画に出て来た母親も、我が子のことを大切に思い、愛していました。それでも、“余裕がない”あり方が、子どもに影響を与えていたのです。
“余裕がない”という思考で頭の中がいっぱいになった時こそ、ふぅ〜と息を吐いて、“今”という瞬間を味わう。
すると、“穏やかである”という自分が手に入り、忙しい時間帯も子どもとの関わりの中に“ゆとり”が生まれ、豊かな時間が手に入るのではないでしょうか。
“余裕がない”“忙しい”が出て来た時、それは、“今”という豊かな時間を楽しむ自分を手に入れる練習の時なのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?