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意図と意思

先日、幼稚園実習に行って来たばかりの幼児教育学科の学生の話を聞きました。自分が子ども達の前に立って保育するという実習で、それまで見て来た先生達がやっていたことをやってみたが上手くいかず、大変だったとのことでした。

その実習先では、給食の時間に子ども達を静かにさせるために、「ねむれ〜ねむれ〜」と音楽を聴かせながら、テーブルに伏せて眠ったようにさせる…とことがあるようでした。

それが上手くいかず、自分も早く先生のようにできるようになりたい…と言っていました。

この話を聞いて、ちょっと問題に感じた点は、その学生達が“やっていること”に目が向き、肝心の子ども達へ対する視点 “何を伝えるのか” “何を意図しているのか” が抜けていることです。

ともすると、こうした実習の中で、これから保育士や幼稚園の先生になる学生達に自分で考えさせることなく“良い”“悪い”をノウハウで植え付けてしまうのではないでしょうか。

静かにさせることが良い

全員が揃って一斉にする活動が良い

先生の話を聞かない子がいるのは悪い

保育者の言う通りにする子どもが良い子・・・など

大切なのは、目に見えている行動(Do)や結果(Have)ではなく、保育の質 (Be)です。

子どもを“静かにさせる”ことが大切なのではなく、“静かであることの心地良さ”が伝わることが大切なのです。

それには、保育者自身が明確な“意図”を持っていて、保育者自身の“今”の静けさが子どもに伝わるということが必要です。

集団保育では、きちんと保育者の話を聞いてもらう必要がある場面もあります。

例えば、危険が伴う時…先ほどの給食の配膳の時間では、熱い汁物をこぼしてやけどをしたりしないようにする必要があり、野外での保育では、危険個所ややって欲しくないことを伝える必要もあります。

大切なことを伝えるという場面では、保育者自身のあり方から来る意図が土台にあることが必要です。そして、注目を集める手段として、眠る真似をしたり、手遊びをしたり、絵本を読んだり、面白い顔をしたり…と保育者の腕の見せ所となります。

数日前、街中で3〜4歳くらいの子どもが大きな声で泣きながら、母親に対して何か怒っている場面を見かけました。

その子は「ばか!ばか!」と言いながら、母親を持っていたカバンで叩いていました。母親は静かに何も反応することなく、ただその子の手を引いて歩いていました。

そして信号で止まった時に、母親が子どもに何かささやいていました。それは、叱るという様子ではなく、諭すという様子でした。子どもはそれを聞いて、また「やだ〜!」と怒り出していました。その後も母親は静かにスタスタと歩き、その後ろを子どもが文句を言いながら歩いて行きました。

反応で自分の感情をぶつけることなく、静かなあり方のお母さんの姿が印象的でした。もちろん、顔は険しく「まったく…」と言葉が聞こえて来そうな様子でしたが、それでも毅然と振る舞い、子どものわがままに振り回されていないという姿でした。

たぶんこのお母さんには何か伝えたい“意図”があったのだと思います。

“買わないよ”とか、“もう帰るよ”とか、何かを“しないよ”とか…

大げさな“意図”ではなく、場面場面で大人が示す小さいけれど明確な“意図”が必要です。

大人は子どもをどう躾けるか・・というように考えがちですが、“何を伝えるか”という“意図”を持つことが必要です。この“意図”が明確であれば、伝え方はどんな方法でも良いのではないでしょうか。何も言わずに伝える…ということもできるのです。

“意図”を伝えるということは、“意思”の力も必要となります。

“意思”を持って、根気よく伝える、毅然と伝える、伝わるまでただ伝える…

これだけは譲れないということが“意思”の力です。

状況・環境・気分ですぐ変わってしまうような“意図”とあり方は、子どもはすぐに見透かします。

大人自身が“意図”を知るには、自分への観察しかありません。

今、何を大切にしたいのか、自分は。

今、何を優先させたいのか、自分は。

今、何を子どもに伝えようとしているのか、自分は。

・・と、自問自答を繰り返すことで、今まで見えていなかったような、自分の姿が見えるようになってくるでしょう。

私たち大人一人ひとりが、明確な“意図”を持ち、“意思”の力を持っている、そのあり方から子どもは影響を受けて育ちます。それが、昔から言われている“子どもは親の背中を見て育つ”ということなのだと思います。

“意図”とは方向付けされた“意思”のエネルギーです。

その“意図”と“意思”の力が、社会や世界を動かすパワーとなるのです。

http://www.new-edulittletree.com

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