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歳を重ねれば、子どものころの記憶だって美しく更新される

子どものころ、夏休みはどうやって過ごしていたんだろうか。

お題を考えた側の人間ではあるけれど、すぐには思い出せなかった。


私は、今年の5月からキャリアスクール『SHElikes』の受講生(以下、シーメイトと表記)である。その中で7月〜10月の期間、ライターコミュニティをリーダー的に盛り上げる役割を任せてもらっていて、その取り組みの一つ。「noteを書きたいけれど、書くことが見つからない」というシーメイトさんに向けて、『子どものころの夏休み』と『私の 大人の夏休み』の2つのお題を8月のテーマとして提案している。

本題の前に 〜「生きてきて、今が一番楽しい!」はポジティブなのか?〜

私は常々思っている、「戻りたい過去なんてない」と。

それは「生きてきて、今が一番楽しい!」ということではあるが、同時に「もう一回あの辛かった経験を体現するなんて無理なんだけどっ?!次こそメンタル壊れるわ!怒」の意味であり、ベクトルは完全に後ろ向きである。

「昔に比べたら、今の方がマシ」と言えばいいんだろうが、そうもいかない。延々と「今が一番!!」を更新し続けており、細かく言えば、「昨日の自分より今の自分の方ができること増えてるじゃん!!心持ちも自由だ!!!」となっているわけで……。

ポジからのネガ!!だけど、ネガからのポジ!!となっている。


『子どものころの夏休み』から想起されるもの

「子どものころか〜。しかも、夏休みか〜」

夏休みっていうことは、単純に学校に行かずに家にいる期間である。家にいることは嫌いではないインドア派であるから別に構わないのであるが……。

「そういや、小学生までは友達と連絡をとる手段が、家電から家電にかけることしかなかったな」

同世代の人は分かってくれるかもしれない。家にある固定電話から相手の家の固定電話にかけるのだ。友達が出るかどうかはガチャであるし、長話なんてしようものなら、電話代がバカにならないとお互いの家族に叱られてしまうのだ。

夏休みは、みんなと遊んでいた記憶がない。

完全にそうではないのだけど、中学生になって部活動を始めるまでは、夏休みには友達と連絡を取れていた印象がない。

ひたすら、少女漫画や純文学小説を読み漁っていたのかもしれないが、それすらも覚えていない。小学生であれば、TVゲームもしていたかもしれない。ちなみにニンテンドー64の時代である。


訳も分からず、ひたすら孤独だったような……

地域の子ども会のラジオ体操だって、ずっとあるわけでもない。学校は行かなくていい。居間の畳の上で、寝っ転がっている自分を思い出す。

父母は共働きで基本は家にいなかった。祖母が私と3つ下の弟の面倒を見てくれたが、なぜだろう、あまりどんな話をしていたか覚えていない。

弟は弟で、あまり私と遊んではくれなかった。3つも離れているのに、同レベルで喧嘩をする姉が好きではなかったのだろうと察する。

元々、個々に食事をとるような家であった。家族5人が揃って食事をするなんて、年に1回あるかないか、というレベルで。

いや、私が家族団欒を避けていたのかもしれないと思う。

子どもの私にとって、自分以外の人間の心は、読みたくても読めないもの。繋がりの糸は、相手の機嫌を損ねるとプツッと切れてしまうものであると思い込んでいた。特に、家族は。

うらさびしい記憶が蘇ってくるが、部分部分でなんかあるでしょ!?楽しいことくらい!!

頑張って捻り出す。他のシーメイトさんが、書いてくれた記事を読みながら共感する。
「たしかに、私にもこんな夏休みあったわ」

ちなみに、皆さんが書いてくれた記事をマガジン化したものがこちら。
(しっかり、共同運営者になっている)


子どものころの夏休み

前置きが長すぎだろってセルフツッコミをしたいのだが、なんか楽しそうだなと思ったところだけを、良さげにまとめていく(闇深い言い方しないで)。

田んぼにいるちっちゃくてかわいいポケモンみたいなやつ

カブトエビって知っていますか?

カブトガニではないです。カブトエビです。

ネット検索するのは、もしかしたらやめた方がいいかも?
地方出身者は知ってるものだと思って話題にしたら、とんでもなく気まずい雰囲気にしたことがありました。

旅行から帰ってきた友達と連絡が取れて、遊びに行く。
友達の家では、夏の間は稲作をしており、田んぼには水が張られていた。

いまだに詳しくは把握していないのだが、田んぼに雑草が生えると害虫が寄ってきて良くないらしい。
そんな雑草の芽を食べたり、発育を遅らせてくれたりしてくれるのが、くだんのカブトエビ。

友達のおじいちゃんがわざと田んぼに放っていたのだと思う。

ポケモンのカブトみたいで「かわいい」と思っていた。

それこそどうしてか分からないが、基本は仰向けで泳いでいた、あの子たち。初めて出会った時は、卵から孵ったばっかりでとても小さくて、確か若干体が透けていたように思う。

定かではないけれど……。

楽しそうに泳いでいるだけで、田んぼを守ってくれているのだ。
その友達の祖父母は、私のことを『孫とよく遊んでくれる子』として可愛がってくれていた。

懐かしい。

毎年お腹が痛くなるピアノの発表会

はい、田んぼで遊んでいる話から一変して、ピアノ習ってたとか言い出しますよ、ねぇ。

ピアノは、習い事っていうものをしてみたくて、小学1年生のときに、「みんなピアノ教室に行ってるんだって!みんなだよ!みんな!」と母を半ば騙す形で習い始めた。

週1回のレッスンの前に少し練習するくらいの、あまり熱心ではない生徒であった。自分からピアノを弾きたいと言ったくせして。
当然、コンクールのような本格的なものには出たことがない。

そんな私でも、夏には教室が主催する発表会には参加していた。

わりと人数が多くて、30人から40人くらいが3分から5分くらいの曲を弾くのだ。長丁場である。

曲のレベルに応じて、順番が決まっているから、年々と順番が後ろの方になっていった。

ただ、私は緊張しいなのである。

自分の順番が終わるまで、ただひたすらお手洗いに定期的に通うということをする。
不思議と弾き終わってしまえば、お腹が自然と治るのだ。恒例行事になってしまっていて、担当の先生も心配しなくなったくらいに。

今になって自己分析するのだが、ストレングスファインダーでも、『自我』が上位に入っていて、実は発表会に出て、注目されたりだとか、アンケートで「ノンノさんが弾いた曲が一番好きでした」とか書かれてしまうと、舞い上がるように嬉しかったのだ。

数時間に及ぶ腹痛に耐えながらも、毎年毎年参加し続ける。ピアノの練習もそれほど好きではないくせに。

そして、発表会が1週間前に迫ったくらいから、急に猛烈に練習をし始める。ゾーンに入ると1日中弾いていても飽きないこともあった。

その点も長年担当してくれている先生は知っていて、「練習しなさい」とか言わなくなってしまった。

他人にどう評価されるか、もしかしたら称賛されるかもしれないと、想像できる状態だと、より頑張れていたのかもしれない。

お水をあげるだけですくすく育つ植物は夏休みが勝負!!

実家は学校のすぐ傍にあった。それもあるのかもしれないが、水やり当番をサボったことはない。いや、寝坊した私より先に用務員さんが気を利かせて、水やりをしていてくれたこともあった。

植物の水やりは時間帯を気にしなければならない。とくに夏。葉っぱが日差しで暑くなっているときに、水をやってしまうと傷んでしまうと聞いていた。

みんなで育てている朝顔やトマト、季節のお花。夏休みの期間に1回だけ水やり当番が回ってくる。

同級生の大半は、その当番を忘れてしまっていた。家族旅行だったり、親戚の家に遊びにいっていたり、夏休みの宿題に追われてすっかりそれどころではなかったり。

気づいたら、用務員さんと結託して、ほぼ毎日のように水やりをしていたこともあった。
学校のホースは長くて、巻き取って片付けることに苦戦していたが、それでも植物はすくすくと育っていくし、夏の早朝の涼しげな風にあたりながら、水しぶきによって小さな虹がかかって見えるのも素敵だと思っていた。

担任の先生によっては、「自分の鉢植えは自分で責任を持って水やりをして」と教育方針を持っていた。

私のミニトマトだけ、とっても大きくなってしまい、夏休み明けにお化けのような扱いをされて悲しかったこともある。

でも、きちんと水をあげれば、そこまで大きくなるはずだったのだ。

同級生が育てていたミニトマトの萎れた葉っぱが可哀想だった。

ただ、2学期から巻き返すかのように大きくなっていき、実がたくさん採れていた。

私のはというと、夏の間に成長期を過ぎてしまっている。水やりの度にミニトマトを収穫していたような気がする。

知恵がある同級生は、家からハイパーな液体肥料をこっそり持ってきて、私に負けないお化けを秋口に誕生させていた。

それはそれで、おかしかったのを覚えている。


楽しい思い出を列挙すると、まるで全体的に楽しかった感じになった

「なーんだ、今思えば楽しい子ども時代送ってんじゃん」

そう思うが、実際にそれが事実であったかなんて証明ができない。都合のいいように、記憶を改竄しているかもしれない。

いや、強く生きていくためのアップデートだと思うことにする。美しい記憶に更新していくことで、人は大人になっていくのだ。

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