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幼き日の仮面ライダーの思い出と崇徳上皇

 今回は割とぶっ飛んだタイトルですし、肩ひじ張らずに読めるよう書いてみたいと思います。
 仮面ライダーといえば、今の40代以上くらいの男性は幼き頃、一度は見たことあるのではないでしょうか。悪の組織から派遣される怪獣と足軽兵のようなショッカー。この悪の組織、組織構成員(=ショッカー)を人とも思っていないブラック企業な気もしますが、今回はそういう話ではありません。
 幼き頃みた仮面ライダーのとあるエピソードを思い出しながら、崇徳上皇に思いをはせる、という、ファンタジーを書いてみたいと思います。

仮面ライダー高松ロケを見に行ったおぼろげな記憶

 私の出身地は香川県高松市。幼き頃、仮面ライダーの高松ロケがあるというので、源平合戦で有名な高松市の「屋島」という場所まで見に行きました。「マルナカ」という地元スーパー駐車場で、ライダー役の俳優(名前忘れた)が颯爽とバイクにまたがって走り抜けていくのを、5歳くらいの私が近くのビルから見下ろすような感じで見たことを今でも思い出します。
 怪獣やショッカーについては全く記憶に残っていないので、その場面はバイクで走るだけの撮影だったのかなんなのか。でも、人生の超序盤戦での数少ないうちの記憶の一つが仮面ライダー高松ロケなのです。

四国を独立させ日本を乗っ取る戦略

 その高松ロケのオンエアー。普段、あまりヒーローもののテレビは見ていなかったのですが、自分が見に行ったロケのオンエアーということもあり、見ました。はっきりとストーリーを覚えていないのですが、悪の組織は「四国を1つの島として独立させ、そこに悪の帝国を作り、日本を乗っ取るのだ、ガハハハハ」というようなことを言っていた気がします。
 もちろん、予定調和が大好きな日本のヒーローものにあって、そんな悪の組織はあっさりと四国から駆逐されてしまうのですが、「世界征服を企んで幼稚園バスを乗っ取る」ことも辞さない悪の組織の戦略と戦術の一貫性のなさに比べると、マシになっている気がします。。。

本記事のもう一つの主人公、崇徳上皇

 さて、ここまで崇徳上皇の話をしていませんでした。武士の台頭で日本が激動の時代となった12世紀、若くして天皇に即位したものの、宮中や藤原家との関係における権力闘争・人間関係の中で、退位を迫られ、また、院政が栄えた時代にも実権をもった上皇になれなかったのが崇徳院です。
 後白河天皇(「鎌倉殿の13人」では西田敏行さんが後白河上皇を演じていましたね)。と崇徳上皇側で宮家を二分する形で発生した「保元の乱」で敗れた崇徳上皇は、わが地元、讃岐に配流となり、讃岐では深く仏教に傾倒して、日々写本づくりに勤しんでいたと伝わります。

日本を代表する怨霊としての崇徳上皇

 そんな崇徳上皇、日本史の教科書にももちろん出てきますが、「日本三大怨霊」の一人としても超有名な方です(あとは、菅原道真と平将門)。
 ざっくりいうと、配流後、乱での戦死者の供養や自身の反省のために、「法華経」や「華厳経」などの5つの写本を完成させ、京に送ったところ、後白河上皇が「呪詛が込められているのではないか」と疑い、送り返されてきました。(後白河上皇、偉そうな名前だけど、かなりのトラブルメーカーですよね)。
 これについて、崇徳上皇は烈火のごとく怒り、舌を噛み切り、その後爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿になり、のちに天狗になったと伝わります。棺からも血が溢れてきたというのですから(もちろん、伝説ですが)、その怒りたるや凄まじいものがあったのでしょう。
 また、崇徳上皇の崩御後、京では大火事や有力者の死去など、社会不安を増すような出来事が相次ぎ、崇徳上皇の呪いとされたことで、怨霊としての地位が確立されたようです(←変な言い方ですが笑)

崇徳上皇と仮面ライダーの接点

 さて、前置きが長くなりました。では、崇徳上皇と仮面ライダーのエピソードがどこで接点を持つのか。
 崇徳上皇は、怒りに打ち震えてこのように述べたといいます。

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
「この経を魔道に回向(えこう)す」

(現代語:日本国の大魔縁となって、天皇を民とし、民を天皇とする(天皇と民の地位を逆転させる)。この写本を悪魔のものとする)。

 なんと恐ろしいことでしょう。フランス革命の600年以上前に、日本でこんな発言があったとは!。まだまだ呪詛が大きな影響力を持っていたこの時代、配流されたとはいえ、かつての天皇・上皇にこんなことを言われたら、京の人たちは震え上がりますよね。

 そして、崇徳上皇が日本の「大魔縁」となってみせる、といったこと、これが何百年もの時をへて、高松に悪の組織としてよみがえり、日本の転覆を狙った、と考えたら、今回の仮面ライダーのエピソードにも一層の深みが出てくるといものです。崇徳上皇が悪の組織の影の支配者となっている可能性もゼロではないのではないでしょうか。
 さらに、香川ロケの場所が、源平合戦の一大決戦地、「屋島」であったことも象徴的です。屋島の合戦を含む源平の戦い以降、まだ朝廷に理解のあった平家が没落し(壇ノ浦の戦いでは幼い安徳天皇が没しましたよね)、源氏が武士が政治の実権を握ったこと、その過程で崇徳上皇を辱めた皇族や藤原家の権力が凋落したことについて、やはりロケ場所は屋島一択だったのではないか、とすら思えてきます。

近現代にも意外と出てくる崇徳上皇の怨念話

 ジャストアイデアから初めて、かなり長々とファンタジーを書いてしまいました。一応、私もファンタジーを書いている自覚はあります。
 ただ、意外と崇徳上皇の怨念は近年の天皇家にも影響を与えていて、
・明治天皇は即位にあたり、讃岐より崇徳上皇の御霊を京に帰還させ、白峯神宮を創建した。
・昭和天皇は崇徳天皇八百年祭の1964年に香川・坂出市の崇徳天皇陵に勅使を遣わした。東京五輪の成功を記念する意味もあったらしい。
 などなど、というエピソードもあります。

 崇徳上皇が流された先の坂出では、怨霊・崇徳上皇ミステリーツアーなど企画すれば、一部のマニアに刺さるかも(モデルコースはこちら)。ただ、呪詛される可能性もありますが……(恐)。私が巡るなら、途中にある清水屋のところてんはマストだね。

 


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