言語化できない感情


YouTubeでおすすめに上がってくる動画は
しっかりツボをついてくる

その精密さには感心するが
それと同時に感じる怖さもある

趣味思考を掌握されていること
数珠つなぎに動画を観ることによって
依存させられていること
観ているのではなく観せられている
可能性があること
やろうと思えば思想誘導が簡単にできること

挙げればキリがない

それが分かっていても
YouTubeを卒業する気はないし
できる気もしない

これすなわち依存である

「危険性も把握している」と主張したくなるのは
依存度が重めであることを隠したい気持ちが
あるからだろう

自分を正当化する行動に走るときは
大体やましい気持ちがある

なまけものの私は「便利」に弱い

便利に払ってきた代償は大きい


開き直って私は今日もYouTubeを観ている

突如おすすめに上がってきた一本の動画

そこには農村に住む10代のシングルマザーの
日常が映し出されていた

私は泣いた

なぜ泣いたのかは分からない
うまく言語化できない

一生懸命生きている彼女と
斜に構えて何もしない私との
間には途方もない距離があること

唯一それだけは分かった

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