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イプシスマスのTODAY'S TALKING SNAP! vol.4 宗教という牢獄

派手な服着て笑わにゃ損々そんそん、笑わせにゃ損々そんそん。現存する魔術師の最高位とされるイプシスマスの称号を持ち、各国で形而上学を教えるビッグセミナーの講師として昼夜 教壇に立つ、MMSジャパン校長・イプシスマス中込英人さん。15歳で渡米し、極真空手、仏教、密教、グローバル経営の道を極めるという徒ならぬキャリアを持ち、20代でダライ=ラマ14世のボディガードを務める(?!)などなど、衝撃エピソードは数知れず。プライベートから表舞台まで常にカラフル&パワフル&ファッショナブルな装いで現れる彼のSNAP! に、お得意のユーモア溢れる “スピリチュアル小咄こばなし” を添えて。さて、本日のコーディネートは?


どうも、こんにちは。いつにも増して煌びやかな中込です。ここ最近、立て続けにパーティーやら祝賀会やらにお呼ばれしたから、今日はその写真と共にお届けするかな。例年この時期は特にこんな感じだけど、ドレスアップとお喋りとギャグがライフワークだから、問題ナッシング。ご時世も緩和されてきて、また対面でのコミュニケーションが盛んになってきたなという印象。

僕も長年、大勢の人の前で講義をさせていただいているわけだけど、とにかく集合意識のエネルギーってのは凄まじいからね。でもさ、それは計り知れない善の可能性を秘めていると共に、"合っていない" 方向に引っ張られてしまう恐ろしい組織にもなり得るっていうことでもある。

2月某日のパーティーにて。オールホワイトルックのイプシスマス
光沢のあるサテン生地であしらった〈EIKO's World〉のオーダーメイドジャケット&パンツ

英語を習ったことがある人ならTheaterという単語は知っているよね。「劇場」とか「演劇」という意味だけど、もともとの語源はTheo(神)から来てる。つまり、Theaterは神の話を伝える場所だったわけ。

人間を進化成長の道に導くためのメタフィジクス(形而上学)は太古の昔、それこそ人類が地球に現れた頃からあったわけだけど、その教えを、まだ文字が読めなかった人々に口頭で伝える場所がTheaterだった。ところがそこにドグマが入り込んできたんだよな。どういうことかと言うと、宗教家の出現だよな。つまり個人による独断や偏見、意見が入ってきた。

宗教の教えそのものが悪いのではなく、それを伝える人間側に問題が生じたってこと。教義(神の教え)に頼ることでしか数われる道はない、というような言い方にすり替わっていったんだ。「神の言葉に従えば一生を守ってもらえる!」なんて人々に信じさせることで、それらを人間を支配するための道具へと変えてしまったんだ。

足元にはあえてのスニーカー×スーツスタイルでセミフォーマルに

一度上に立った人間が他人を支配しようとするのは、政治も宗教も同じだってことだよな。かつて教会には絶対の権威があったから、多くの人が素直に信じた。でもそれは、人々の選択の自由を奪っている時点で "合っていない" 行為。「善」「悪」の選択を神に任せるように約束させて、あらゆる苦しみから自由になるためには神を信じればいいと思わせたんだ。何度も言うけどさ、そんなことをしなくても我々はもともと自由だったわけで、わざわざ籠の鳥になることは無いんだからね。

宗教が巨大な権力を手にしてしまったのはなぜか。それは宗教のドグマによって「善」「悪」が決められるようになったからだ。前述した通り、もともと「善」「悪」は宇宙の原理であって、「AでなければB」と言う陽否陰述でしか証明することができないもの。ところが宗教は、教義があれば何をやってもいいという言い方をする。そして力をつけた宗教は、王家すらも従わせてきた。また極端な例では、教義のためには殺戮やテロも正義だと言い出すことがある。発展途上国など宗教心が強いところほど戦争が起きやすくなってしまうのは、そのせいなんだよ。

ラインがアクセントのセットアップで現れたのは、3月某日のパーティー会場
合わせたジュエリーは〈ブルガリ〉のブレスレットとリング

宇宙の原理では他人に危害を与えることは "合っていない" 。ところが、この "合っていない" "合っている" という判断を宗教家が都合の良いように決めるようになってしまった。それってつまり独裁者とやっていることは同じなんだよな。宗教も同じようなやり方で、強大な権力を持つようになっていったというわけ。

例えばさ、カバラで言うところの右脳、つまり女性性が強い人ほど感情で行動する。右脳が強い人ほど宗教にハマりやすいんだよ。どういうことかというと、「神様の言うことだから正しい」と感情的に思い込んでしまったり、依存性が強くなったりする。辛いことや何か問題が起きると「神様にお願いすればなんとかしてくれる!」なんてね。そんなふうに感情ばかり先走らせて、自分で考えることをやめさせてしまうところが宗教のでもある。

もともと我々は宇宙にいた時、100%完璧な状態だったよな。だから元の自分に戻ればいいだけの話で、他の別の自分になる必要は全く無いわけ。しかし、宗教は自分の外側に答えを求めさせようとする。願えば叶うとか、祈れば助かるとか、他力本願になったって、本当の答えなんか出ないのにさ。

その宗教のドグマ化が人々を悲観させ、厭世観えんせいかんを産み、1960年代頃から広まり始めたニューエイジ思想へと繋がるというわけ。これはとても厄介だから、また次回詳しく話すよ。

とにかく、これだけは繰り返させてな。「答え」は外側には無い。自分の内側にしか無いものなんだよ。


Text: MMSjapan
Edit: saori uemura, mailove


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