見出し画像

“思い込み”で脳内麻薬が分泌される:「想いは現象化する」

前々回、前回と脳内麻薬と呼ばれる幸せホルモン“エンドルフィン”について解説してきました(*1, *2)。エンドルフィン(Endorphin) は脳内で産生されるモルヒネ様物質で“脳内麻薬”、“内因性オピオイド”とも呼ばれています。これまでの記事では“感情の安定”や“多幸感”といった精神状態への影響に焦点を当ててきました (*1, *2)。

しかし、“モルヒネ”と聞いて鎮痛剤をイメージした人もいると思います。実際にその通りでエンドルフィンは脳内モルヒネとも呼ばれ強い鎮痛作用を持っていることも知られています(*3)。医療現場ではモルヒネなどのオピオイド性鎮痛剤は最強クラスの鎮痛剤として使用されています。実はモルヒネのような強力な鎮痛物質が私たちの脳からも分泌されています

今回の標題の“思い込み”について、よく知られている現象に“プラセボ/プラシーボ効果 (Placebo effect)”というものがあります(*4)。“何の効果もないはずの薬によって実際に効果を感じてしまう”という有名な現象です。プラシボ効果を痛みに応用すれば「痛くないはず」と思えば本当に「痛くなくなる」という現象がみられるはずです。今回はその現象が「本当にただの気のせい」なのか、それとも「思い込みでも実際の感覚や脳内ホルモンバランスが本当に変化するのか」という点を解説していきます。

今回紹介する研究は“Activation of the Opioidergic Descending Pain Control System Underlies Placebo Analgesia(プラセボ鎮痛の基盤にあるオピオイド性下行性疼痛制御システムの活性化)(*5)”というドイツの研究論文です。


・研究の概要
この研究の内容を端的に説明すると、「実際は鎮痛効果のないクリームを“よく効く鎮痛剤”と被験者に信じ込ませ、一定の痛み刺激を与えたときに本当に痛みの感覚は少なくなるのか?またその時に脳内にはどのような変化が起こっているのか?脳内物質エンドルフィンは関係しているのか?」ということを検証した研究です。


Figure 2に全体の流れを示します。まず研究者から参加者に対して次のように説明があります「よく効く塗り薬と成分のない比較対照塗り薬の研究です(実はどちらも鎮痛効果がない塗り薬)」(Figure 2A)。その日は皮膚への塗り薬を塗って、そこに熱疼痛刺激を与え「偽薬の鎮痛作用を疑似体験してプラセボ効果を持たせる」という処置や検査を行います。

そして次の日に同じように何度か「偽薬の効果を疑似体験」してもらいます。その後参加者は生理食塩水(Salineグループ)とエンドルフィンの効果を打ち消すナロキソンを注射するグループ (Naloxoneグループ)にランダムに振り分けられます(Figure 2B)。

そして注射したナロキソン(エンドルフィン拮抗薬)が効いた頃に再度、塗り薬と熱疼痛刺激を与え、脳機能MRI (functional MRI)や疼痛評価アンケートを行ないます(Figure 2C)。実際はこのFigure 2Cの部分が本番でこのデータが解析に用いられました


・どのように“効果がある”と信じ込ませるか
この研究の肝心な部分は“いかに参加者に偽薬がよく効く鎮痛剤だと思い込ませるか”と言えます。医師の説明で「これはよく効く鎮痛剤なんです」と言われただけで完全に信じられる人はあまりいません。そこでFigure 3のような操作(Manipulation)が行われました。

Figure 3の手の図は塗り薬を塗った場所を示していて、赤い場所が“効果のない塗り薬(Control: コントロール)”、緑の場所が“よく効く鎮痛剤(Placebo: 実はコントロールと同じで成分無し)”が塗られています。塗り薬を塗った部位に熱疼痛刺激(Heat pain stimulation)が与えられます。あらかじめ参加者に検査をして「最大の痛みのX%」という与える疼痛レベルの目安は決められました。

Figure 3左側のManipulationの手順では“偽薬に対して鎮痛効果があると信じさせる”のが目的なので、コントロールを塗った場所に対しては「80%の熱痛刺激」を与えます。そしてプラセボ薬を塗った方に対しては「同じ強さですと言いながら実は40%の熱痛刺激」を与えます。なので、参加者からすると「プラセボ薬を塗った方が実際に痛みが少なく感じる」ということで「プラセボ薬で痛みが減るという思い込み」を持たせることができます。


・本番の痛みテストの条件
実際の熱疼痛試験の時はFigure 3右側のように「コントロール薬を塗った場所にも、プラセボ薬を塗った場所にも同じ60%の熱痛刺激」が与えられました。なので、本来なら「どちらの痛みも等しく感じる」はずです。しかし研究参加者においてプラセボ効果が現れた場合は同じ痛みが違うように感じるかもしれません。痛みはこれまで紹介されているようにVAS (visual analogue scale)という、直線の0〜100%の任意の場所に印をつけるという方法で行われました。

熱痛刺激は約20秒間続き、また数十秒の間隔を空けて15回ほど繰り返され、バイアスが出ないように参加者によってコントロールとプラセボの熱痛刺激の順番を変えたり刺激の部位を少し変えるなどの対策がなされました。


・参加者の振り分け(Randomization)
研究参加者はManipulation(刷り込み:Figure 2A)によってプラセボ薬の効果を疑似体験した後、生理食塩水(Saline: 効果無し)グループとナロキソン(Naloxone: エンドルフィンの効果を打ち消す)グループにランダムに振り分けられました。参加者も研究担当者もその人がどちらに振り分けられたかは分からない二重盲検試験で行われました。

生理食塩水のグループは何の影響もないので、純粋にプラセボ効果(思い込みによる鎮痛効果の有無)を調べることができます。ナロキソングループはエンドルフィンなどの脳内オピオイドの効果がこの薬によって打ち消されます。つまり、鎮痛効果にエンドルフィンの影響があればナロキソングループに変化が起こりますし、ナロキソンで影響が全く無ければ鎮痛効果にエンドルフィンは関与していないということが示唆されます。

もちろん、この研究はその性質上、被験者に一部の事実を伏せた状態で行われますが研究倫理審査委員会を経てナロキソンの副作用なども同意を得た上で行われています。そして、以前も説明したように、「無作為割り付け二重盲検試験(Double-blinded Randomized Controlled Study)」というのは非常に客観性が高くエビデンスレベルの高い研究であることが知られています。

・結果:プラセボ効果の有無
最初に48人の男性が参加登録されましたが除外基準によって最終的に40人のデータが解析されました。まず熱痛刺激のプラセボ効果の結果をFigure 4Aのグラフに示します(*5)。Figure 4Aのグラフは縦軸が「痛みのスケール」で、白いバーが「コントロール薬を塗った場所の痛み」、黒いバーが「プラセボ薬(鎮痛剤と説明された偽薬)を塗った場所の痛み」を表しています。

Figure 4Aの左側「Saline group」が生理食塩水を注射されたグループなのでプラセボ効果の影響だけが検証できます。これを見ると、この熱痛テストの時は全く同じ刺激(60%熱痛刺激)であったにも関わらず、コントロール薬(黒いグラフ)よりもプラセボ薬(白いグラフ)の方が明らかに痛みが少ないと感じていることが示されています(23%減少、p<0.001:p値が小さいほど統計学的に有意)。この結果は「被験者らにプラセボ効果が明確に認められた」ということを示しています。

Figure 4Aの右側「ナロキソングループ」を見てみるとこちらもコントロール薬に比べてプラセボ薬で痛みを少なく感じています(10%減少、p<0.001)。ただし生理食塩水グループに比較すると痛みを抑えるプラセボ効果は少なくなっています。この「生理食塩水とナロキソングループの差」も統計学的に有意(p<0.01)でしたので「ナロキソンによって鎮痛効果が減弱した」ことが分かります。この結果は「エンドルフィンがプラセボ鎮痛作用に関与している」ということを強く示唆しています。


・脳の活性部位の変化
次にFigure 4Bのグラフを見てみます。このグラフはBOLD(Blood-Oxygen-Level-Dependent: 血中酸素濃度依存型)反応(*6)と呼ばれるもので、非常に手短に言うと“脳の血流の変化した部分を数値化できる”というものです(詳しく知りたい人は引用文献参照)。これを見るとFigure 4B左側の「生理食塩水グループ」ではプラセボ効果とともに脳の一部に血流変化が起こっていることがグラフに示されています。

対照的にFigure 4B右側の「ナロキソングループ」ではグラフが逆転しています。つまり、「プラセボ効果で活性していた脳の一部がナロキソンの投与によって抑えられた」ということであり、この結果も「プラセボ鎮痛効果においてエンドルフィンが脳内で作用している」ことを裏付ける結果と言えます。


引き続き、脳の活性化を示すBOLD反応においてナロキソンで反応が大きく変化した脳の部位をFigure 5に示します(*5)。


Figure 5左の表上段はfunctional MRIにおいてBOLD信号を測定し、「プラセボ鎮痛効果が発現している状態で生理食塩水グループ(Saline group)で変化があった部位」をまとめたものです。右端を見るといずれもp<0.004で有意に変化があったことを示しています。ここに出ている部位は背外側前頭前皮質 (はいがいそくぜんとうぜんひしつ、DLPFC: dorsolateral prefrontal cortex)、吻側前帯状皮質膝下部 (ふんそくぜんたいじょうひしつしつかぶ、subgenual rACC: rostral anterior cingulate cortex)、吻側前帯状皮質膝前部(ふんそくぜんたいじょうひしつしつぜんぶ、pregenual rACC)と呼ばれ、医師もほとんど知らない部位なのでFigure 5右に大体の位置を示しています。

これらの3箇所についてさらに詳しく解析したグラフがFigure 6です。Figure 6A/B/Cの左側が生理食塩水グループ(ナロキソン無し)のグラフです。いずれのグラフを見てもプラセボ部刺激時とコントロール刺激時とで脳の各部位の活性が反転するほど明確な違いが出ていることが分かります。

これに対してナロキソン投与時(各グラフの右側)を見ると、プラセボ部刺激時とコントロール部刺激時でその差がぐっと縮まっていることが分かります。この3箇所の部位はナロキソンの影響が顕著であり、エンドルフィンが強く働いていたことが示唆されます。


・さらに一歩踏み込んだ解析
これまでの研究で脳脊髄神経において下行性疼痛抑制系(Descendant Pain Modulatory System, *7, *8)という機構があることが知られています。この機能は人体が痛みを感じるとその痛み刺激を抑えるように脳から末梢神経に対して信号が出されます。これによって“痛み刺激”などが脳に伝わるのを防ぎ、“ストレスから防護する”機構と言われています。これにはセロトニン、ドーパミンなどといった物質も関与していることが知られています。

図解で見るとFigure 8左図のように大脳皮質(Cortex)−視床下部(Hypothalamus)−脳幹(Brain stem, 中脳: Midbrain 〜延髄: Medulla)−脊髄(Spinal cord)というように上から下向きにホルモン分泌や神経信号が伝わっていきます。今回の研究ではこの下行性疼痛抑制系の中の視床下部(ししょうかぶ:HT, hypothalamus)、水道周囲灰白質(すいどうしゅういかいはくしつ:PAG, periaqueductal gray)、吻側延髄腹内側部(ふんそくえんずいふくないそくぶ:RVM, rostral ventromedial medulla)の3箇所のBOLD信号を解析しました。

解析の結果、視床下部(HT: Figure 7赤)も水道周囲灰白質(PAG: Figure 7青)も吻側延髄腹内側部(RVM: Figure 7緑)もプラセボによる疼痛抑制時に有意に活性化していることが分かりました。そして、ナロキソンが投与された時にこの3箇所はいずれも有意に変化していたことが分かりました(HT: p<0.002, PAG: p<0.002, RVM: p<0.001, Figure 7)

この結果が意味するのは「重要な疼痛制御システムである下行性疼痛抑制系にエンドルフィンが強く関係していた」ということと、「プラセボ効果のような思い込みでも脳内ではさまざまな部位で脳内物質が伝達されていた」ということが証明されたと言うことです。


・今回の研究結果のまとめ
 ・全く同じ痛み刺激に対してプラセボ効果で痛みが減った
 ・プラセボ効果は実際に感覚レベルで痛みを変化させる
 ・プラセボ効果が出ている時は脳も様々な部位が活性化する
 ・プラセボ効果の鎮痛はナロキソンで減弱する
  =プラセボ効果の鎮痛にエンドルフィンが関与している
 ・プラセボ鎮痛作用では下行性疼痛抑制系が活性化していた
 ・下行性疼痛抑制系でもエンドルフィンの関与が示唆された

これらのことが今回の研究結果で高いエビデンスレベルで証明されたということになります。

今回の結果はいかがだったでしょうか。

幸せホルモン”エンドルフィン”は鎮痛効果を持っていることも示されました。脳内麻薬と呼ばれるだけあってその鎮痛効果はモルヒネの20倍以上とも言われています(*9)。苦痛を大きく軽減させることが最新科学でも証明されました。そしてその活性経路は大脳だけではなく、視床下部や中脳、延髄といった領域に広範に関与していることが示されました。非常に複雑で全てが解明されているわけではありませんが、エンドルフィンの性質を知ってうまく分泌を促すことでストレスや苦痛を大きく減らせるかもしれません。

そして、「思い込み」というのは侮ってはいけないようです。「思い込む、信じる」というだけで「意識によって脳が変化し、状況に対応して体を変化させる」という現象が起こっているようです。被験者ももしプラセボ薬であることを知ってしまったら「効くわけがない」という思いが効果を打ち消してしまったかもしれません。「一片の疑いもなく信じる」ということは「高度な精神集中」と同等の効果があるのかもしれません。


滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火も自ずから涼し)」という言葉は、あらゆる心を滅することによって燃えさかる火さえも涼しく感じる、というような意味で広く知られています。戦国時代の高僧と言われた快川紹喜(かいせんじょうき)の言葉として知られています(*10)。この言葉を言った時快川国師の目には炎が映っていたかもしれませんが、それよりも強い意志でもって熱さをものともしなかったかもしれません。瞑想を極限まで極めれば同師のようにどんなに過酷な環境であろうと何も変わらず涼しい顔で乗り越えることができるのかもしれませんね。瞑想を鍛錬することで脳を変化させ、肉体を変化させ、現実も変化させていきましょう。

(著者:野宮琢磨)

野宮琢磨 Takuma Nomiya  医師・医学博士
臨床医として20年以上様々な疾患と患者に接し、身体的問題と同時に精神的問題にも取り組む。基礎研究と臨床研究で数々の英文研究論文を執筆。業績は海外でも評価され、自身が学術論文を執筆するだけではなく、海外の医学学術雑誌から研究論文の査読の依頼も引き受けている。エビデンス偏重主義にならないよう、未開拓の研究分野にも注目。医療の未来を探り続けている。

引用:
*1. 「動じない」幸せホルモン:“エンドルフィン” https://note.com/newlifemagazine/n/n4ab203a16960
*2. “ランナーズ・ハイ”と脳内物質エンドルフィン https://note.com/newlifemagazine/n/n64e4510dff97 
*3. エンドルフィン–Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/エンドルフィン 
*4. 偽薬–Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/偽薬 
*5. Eippert F, Bingel U, Schoell ED, et al. (2009). Activation of the opioidergic descending pain control system underlies placebo analgesia. Neuron, 63(4), 533-543.
*6. 機能的磁気共鳴画像法–脳科学辞典. https://bsd.neuroinf.jp/wiki/機能的磁気共鳴画像法 
*7. Zortea M, Ramalho L, Alves RL, et al. (2019). Transcranial direct current stimulation to improve the dysfunction of descending pain modulatory system related to opioids in chronic non-cancer pain: an integrative review of neurobiology and meta-analysis. Frontiers in neuroscience, 13, 1218.
*8. 鎮痛のメカニズム–疼痛ケアネットワーク・ワーキンググループ http://www.totucare.com/senmon_content3-4.html 
*9. Hartwig AC. Peripheral beta-endorphin and pain modulation. Anesthesia progress, 38(3), 75. 1991
*10. 快川国師−恵林寺の歴史. https://erinji.jp/history/快川国師 

画像引用:
*a. Image by freepik. https://www.freepik.com/free-vector/doctor-talking-patient_2126514.htm
*b. Image by macrovector. https://www.freepik.com/free-vector/colored-flat-medical-mri-composition-mri-room-hospital-treatment-vector-illustration_7200882.htm
*c. Image by storyset. https://www.freepik.com/free-vector/hand-holding-pen-concept-illustration_22874413.htm
*d. Image by pch.vector. https://www.freepik.com/free-vector/doctor-measuring-blood-pressure-male-patient-female-physician-sitting-table-clinic-hospital-checking-arterial-pressure-sick-man-flat-vector-illustration-cardiology-health-concept_26921680.htm
*e. Image by freepik. https://www.freepik.com/free-vector/illustration-doctor-injecting-vaccine-patient-clinic_12644017.htm
*f. https://www.pngitem.com/middle/hmJixxb_brain-wire-frame-models-hd-png-download/
*g. 青不動 青蓮院蔵. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Blue_Fudō.jpg
*h. Image by vector_corp. https://www.freepik.com/free-ai-image/tranquil-sunset-meditation-background_90676258.htm

前回までの関連記事はこちらから

※引用文献の内容に関する著作権は該当論文の著者または発行者に帰属します。
※当コンテンツに関する著作権は著者に帰属します。当コンテンツの一部または全部を無断で転載・二次利用することを禁止します。
※著者は執筆内容において利益相反関係にある企業等はありません。

★LINE友達限定情報、毎週金曜に配信中★

  銀河レベルのぶっちぎりに新しい情報で、  

  誰もが本質を生きる時代を目指します。  

 更新情報はライン公式でお知らせしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?