見出し画像

一枚の写真から

©Photo: Steve Powell(Getty Images)

ここに一枚の写真がある。

サッカーの試合の一場面を切り取った写真の主役は、サッカーの往年のスーパースター、ディエゴ・マラドーナである。アルゼンチン代表のユニフォームを身につけたマラドーナはボールを利き足の左足でコントロールしながら、この写真を撮ったカメラには背を向けている。写真の奥を向いているマラドーナの向こう側には、対戦相手の屈強なディフェンダーと思しきプレーヤーが6人、マラドーナと対峙している。

 スポーツの写真に魅入られることはままあるのだが、この写真を一瞥したときはいささかショックを覚えたものである。まったくの虚心でこの写真を眺めれば、天才的なドリブラーであるマラドーナを6人で止めようとする、その1対6の構図に普通に驚く。6人がかりでしか止められないのか、というだれもが口をついてでてくるようなコメントが頭をよぎる。もう少し時間がたてば、ボールを左足でタッチしながら、まさに6人の相手プレーヤーになにか仕掛けようとするマラドーナの神業が生まれる、その一瞬前の緊張感にも気づかされる。

 しかし、さらに時間をかけ冷静になって写真をみればより多くのことが見えてくる。なぜ6人の相手プレーヤーがボールホルダーのマラドーナの前にいるのだろうか。サッカーは11人のチーム同士が競うゲームであることを知っているものがみれば、6人ものプレーヤーがこんなに狭いエリアに密集することは考えられない。可能性があるとすれば、ファールによって与えられたアルゼンチンチームのフリーキックに対処するためゴール前に人間の壁をつくったために6人が並んだのだ、と。確かに写真の相手6人のプレーヤーはまさにフリーキックが蹴られた一瞬の後、パスを受けたか、あるいは蹴ったフリーキックが壁にあたり戻ってきたのか、マラドーナの足元にあるボールをめがけ殺到しているようにも見える。次に想起されるのは、相手チーム残りの5人はどこにいるのか、ということである。キーパーは写真に写っていないゴール前に陣取っているにせよ、では残りの4人のプレーヤーはどこにいるのだろうか。それよりもなによりも、マラドーナのチームメートの10人はどこに陣取っているのだろうか。
 
 この一枚の写真は、ファールやボールがラインの外にでるときに限り止まる以外は連続するサッカーの試合の一場面をある特定の角度から切り取った一瞬である。そこから、われわれはその一瞬の場面の状況、その状況を生んだ過程、さらにこの次に何が起きるのか、という展開をさまざまに想起させる力を持つ、スポーツの全てを、あるいはサッカーの全てを表象した魅力的な一枚といえるのではないか。

もう一度この写真を眺めてみよう。
前述の推測をさらに細かく分析、検討してみたい。つまり、
 1)この写真の一瞬はどのような状況か。(現在)
 2)その状況はどのように生まれたのか。(過去)
 3)これからどうなるのか。(未来)

1)この一瞬
まず、「この一瞬」で考えられる限りの可能性を模索してみよう。現実的か否かはここでは問題にしない。1)の仮説は、2)、3)との連携性を考えれば自明のものとなろう。であれば、まずセットプレーか流れの中の連続性のプレーの一瞬か、という2つの可能性にわかれる。
 ・仮説1 セットプレーの切断面
 ・仮説2 連続プレーの切断面

さらに論を進めれば、サッカーにおけるセットプレー、静止したボールをキックすることから始まるプレーは以下に絞られる。
 ・キックオフ
 ・ゴールキック
 ・コーナーキック
 ・ペナルティキック
 ・フリーキック
 ・スローイン

 マラドーナの足元には、センターサークルもなく、開始直後にボールを受けたとしても、相手プレーヤーが、ピッチ全体にワイドに広がっている場合はあっても、密集をつくっている可能性はない。ペナルティキックは足元にペナルティボックスがないのでこのケースも考えられない。ゴールキックの場合、2つのケースが考えられよう。相手側のキックと味方ゴールキーパーのキックである。相手側ゴールキーパーのキックがミスとなりマラドーナに渡った、と考えても、相手プレーヤーはもっとアルゼンチン側に広がっているはずなので、やはり考えにくい。反対に味方のゴールキックがマラドーナに渡ったと考えられなくもない。が、直接渡ったというのは考えづらい。空中高く上がったボールは落下地点で敵味方がヘディングで競り合うことが常態だからで、これも可能性の実現には一定の条件が必要であろう。コーナーキックも味方プレーヤーが写真に写っていないため、考えづらいがこぼれ球がマラドーナに渡った場合は有り得そうである。
 まとめると、いろいろ条件がつくものの以下のように可能性を絞れそうである。

 ・仮説1-1 ファールからの再開 
     1 フリーキックのリフレクションを受けて前を向いた瞬間
     2 フリーキックからのパスを受けた瞬間
             1-2   スローインのボールを受けて前を向いた瞬間
     1-3   コーナーキックのこぼれ球を受けて前を向いた瞬間
     1-4   味方ゴールキックのこぼれ球を受けて前を向いた瞬間

 コーナーキックの場合、相手側プレーヤーがゴール前を固める場合は密集状態ではあるが、味方プレーヤーが写真に一人も写っていないことはありえない。敵味方が競り合ったボールのこぼれ球を拾ったか渡ったかしたマラドーナの一瞬、と言えなくもない。コーナーキックの場合も同様である。
それでは、連続プレーのなかの一瞬の切り取り、のケースはどうであろうか。ケースは、味方からのボールを受けるか、相手のボールを奪ったか、が考える起点となろう。

 相手ボールを奪った場合を想定してみよう。相手プレーヤーはすでに守備のモードに入っている。攻守の切り替えが速い現代サッカーにおいて、中盤でボールを敵側に渡した瞬間、守備モードに入ったと考えられなくもない。とはいえ、相手が自陣よりビルドアップを試みているなら、やはり相手プレーヤーの密集は考えづらい。相手プレーヤーの密集度と守備の準備を考えれば、ここはやはりアルゼンチンチームの味方からパスを受けることを想定したほうが自然である。そうとなれば、次に想定されるケース分けは、どこの場所からということになりそうだ。

 ・仮説2-1 中央突破
 ・仮説2-2 右サイド攻撃 
 ・仮説2-3 左サイド攻撃

 マラドーナーの外見からかなり若い頃の写真であることがわかるし、ユニフォームから代表戦であることもわかる。ワールドカップでのマラドーナの姿を目にしている観戦者ならすぐわかるだろうが、このマラドーナは、1994年のワールドカップ出場時、当時34歳のマラドーナではない。1979年の東京で行われたワールドユース時代の少年時代の姿でもない。おそらく1982年から1986年前後までのマラドーナであろう。当時のマラドーナは、クラシックな10番の典型的な選手で、現在でいう「トップ下」がメインのポジションではあったが、若く走力もあったマラドーナは、前線のどこにでも顔を出す選手であり、試合中は中央でも右サイドでも左サイドでもプレイしていた。つまりマラドーナのポジションからだけでは推測できない、ということになる。

 ここで推測のための情報をサッカーというゲームの流れのなかの現実性ではなく、写真そのものから得られる情報を検討しよう。写真にはゴールが写っていない。カメラの角度もあるが、カメラが設置されている高さも考慮にいれゆ必要がある。いまマラドーナを中心に以下のような位置を考えてみる。相手プレーヤーはマラドーナとゴールを遮蔽する位置にある、あるべき、という条件をつけての話だが。

 ゴールの位置、写真の角度、カメラの位置の3点をこの図式のとおりであると想定するなら、マラドーナはピッチ全体の右サイドに位置していると考えるのが自然だろう。さらに味方プレーヤーの人数と位置を考えてみたい。マラドーナが右にいるということは、マラドーナのさらに右にはスペースがないわけだから右前方に一人がいるかいないか、という状況だろう。片や左は広大なスペースと味方プレーヤーの大半が位置しているはずである。

 ここであらためて、仮説の冒頭、この状態を生んだプレーは、セットプレーか流れのなかの連続プレーか、の検証をしたい。しかし、決定的な証拠はない。状況証拠で詰めるしかないだろう。
ここでさらに、周辺の状況証拠を拾ってみる。

 ポイントはやはり相手プレーヤーの密集度である。ラグビーならいざしらず、サッカーにおいてこのような瞬間はどのような場面が想定されるのか。

 思えばかつて「ACミランのディフェンスラインが縦に一列になった瞬間」 -サッカーマガジン記事ー に関する論考があった。サッキのACミラン全盛時代の記事である。通常のサッカーのゲーム中では考えられないポジションなのだが、なぜそのような異常な事態が生まれたかを分析する論考であった。その論考はすでに手元にはなく、内容も覚えてないのが残念ではあるが、この写真の状況にあてはまるだろうか。
 連続プレーのなかから生まれた状況とするには無理があるようである。結果、この写真の一枚は、フリーキックをトリガーにしたシークエンスであると想定することができそうである。
 
 フリーキックの場合でも、マラドーナがフリーキッカーでないと想定すれば、ボールがマラドーナの足元におさまるまでの過程には2つのケースがある。フリーキックのボールが直接マラどーなにパスで渡るか、相手の選手の壁にあたって跳ね返ってマラドーナに間接的に渡るか、の2つである。
もう一度マラドーナの写真を見てみよう。
選手が壁を作っていたとしたら、その壁はどのような位置や向きであったろうか。

 おそらく①、②の選手とマラドーナを結ぶ線に沿って、壁として相手選手が並んでいたと考えるのが自然に思える。その場合、リフレクションでボールがマラドーナの足元に収まるには、ボールにかなりの回転がかかっているか、その回転を生んだ衝突で相手選手の一人くらいは倒れ込んでいてもよさそうであるが、写真にはその気配は写っていない。となれば、フリーキッカーは直接壁の横にいたマラドーナにボールをパスし、その瞬間、壁になっていた選手がマラドーナを囲むように散らばった、その一瞬をこの写真はとらえたものと考えられる。

 ここではそう仮説をたててみることで、論を進める。
 次の問は、

2)その状況はどのように生まれたのか。(過去)、
3)これからどうなるのか。(未来)

2)の仮説についてはどうであろうか。前述した1)の仮説「アルゼンチンチームの誰かが蹴ったフリーキックのボールがゴール前で壁をつくった相手プレーヤーの横に位置していたマラドーナにパスをし、マラドーナがゴール方向にまさに向かおうとすることで、チーム全体で攻撃のスイッチが入った瞬間」は、自ずと2)の仮説「その状況はどのように生まれたのか」という問いにたいしての答えも含むことになった。
それでは3)これからどうなるのか、という問への回答仮説はどうであろう。

 ボールホルダーのマラドーナの視点で考えてみよう。マラドーナの視線がどこにむいているのかは写真からはわからない。であればここからは完全な机上のシミュレーションである。マラドーナには選択肢が2つある。1つは、自分でドリブルを仕掛ける、2つ目は、パス。正直言って、写真のような状況であればたいていのプレーヤーは、パスを最優先に考えるはずだ。相手プレーヤーをドリブルでかわすには人数が多すぎる。ゴールまでは明らかに遠いのだ。マラドーナであるからこそ、ドリブルというもうひとつの選択肢がでてくる。

 本写真を最初にみたときの期待感はまさにマラドーナがそのドリブルテクニックで彼らを抜き去るファンタジーに対するものだった。マラドーナのスーパースターたる所以である。しかし、ここではもう少し冷静に状況を検討してみよう。6人の相手プレーヤーを目前にした状態で、自分でドリブルを仕掛ける場合、ここではドリブルの方向が3つある。

 一つは相手密集のなかに正面か突っ込んで行く場合。観戦者からすれば期待どおりであり、応え充分であるが、勝負にこだわる見方からすれば、一番成功率が低い。
 2つ目のケースは、右サイドへのドリブルである。前述で想定したとおりピッチの右サイドに位置しているマラドーナには、しかし、あまりドリブルのためのスペースが残されていないことに気づかされる。これもドリブルで進んだ後の選択肢が少ないという理由でマラドーナが選ぶ可能性は低い。
 3つ目は、左へのドリブルである。この場合、マラドーナが自由にドリブルし、その後の選択肢も多い。
 3の選択はきわめて合理性が高い。
 
 では、パスを選択する場合はどうであろう。
 これもドリブル同様、1)中央へ、2)右へ、3)左へ、の3ケースが考えられる。バックパスはここでは考えない、というより3)左へ、に含むものと考える。

 1)中央へ、というのは目の前の6人のプレーヤーの後ろにできているであろう(ゴール前の)スペースへのパスを意味する。写真の枠外に位置していると思われるアルゼンチンプレーヤーがそのスペースを狙う動きをしていれば、一番得点に直結しやすい選択肢である。
 2)右へのパスは、まずプレーヤーがいないかもしれず、いたとしてもスペースはマラドーナに与えられたスペース以上の広さではない。が、右前方の狭いスペースにマラドーナがスルーパスを出す可能性はないわけではない。
 3)は、ドリブルのときと同様一番現実的な選択肢である。
攻撃の選択肢を決める合理性はあげられても、プレーヤーの直感が一瞬の判断でどれを選ぶかはもちろん予測できるものではない。がここでは稀代のプレーヤー、マラドーナへの期待値を込めて予測すれば、まず、ドリブルでなくパスを、しかし敢えて難しい右スルーパスにトライする、これが筆者の見立てである。

 1)の仮説は、2)、3)の仮説と連携しなくてはならない。その流れが自然であればあるほど、納得性が高ければ高いほど精度が高いとみなそう。1)の仮説から、2)、3)はどのように連続性を持ちうるだろうか。というわけで、最終的に筆者の仮説は以下となる。

 1)この写真の一瞬はどのような状況か。(現在) フリーキックからのパス
 2)その状況はどのように生まれたのか。(過去) フリーキックからのパス
 3)これからどうなるのか。(未来) 右スルーパスを右FWに出し、ゴール前のスペースにクロスを入れる。

 この仮説は簡単に検証できる。試合のビデオをみればいいのだ。大仰に仮説などと長々と書いたが、仮説の正しさ、もしくは誤りが明快にわかる。
 いまこの文章を書いているわたしには解答はわかっていない。解答は本論考の最後に明らかにしたいと思う。

 ここで読者のみなさんに喚起したいことは、本仮説に設定に必要だった情報の要素の検証である。筆者はここで長々と写真のシーンから推測を繰り返してきたのは、プレーヤーが数ある選択肢のなかからプレーを決定する要素を推測・仮定することである。

 一枚の写真は試合のなかから切り取ったひとつのシークエンスであるが、その静態的な情報から前後のシークエンスを推測することによって、そのシークエンスを決定する要因を探りたい、ひいてはそれがこのサッカーというスポーツを構成する基本的な要素であるかもしれないと考えられるからである。抽出した基本要素をさらに体系化することによってもしかしたら今までと見方とは異なる、新しいサッカーの見方を見出すことができるかもしれない。

解答編

写真の試合は、1982年 スペインW杯のアルゼンチン vs ベルギーの試合であった。
 後半、フリーキックを得たアルゼンチン。アルディレスからのパスを受けたマラドーナ、この一瞬をとらえたのがくだんの写真である。マラドーナの位置取りも右サイドであったし、6人のベルギー選手の集合もまさにベルギーの壁が崩れた瞬間で、いずれも仮説通りではあった。
 であったが、そのあとの展開は筆者の仮説通りとはならなかった。
 パスを受けたマラドーナは、左サイドでフリーとなっていた味方プレーヤーにベルギーの壁の頭上を超える高速クロスを選んだのだ。結果は、マラドーナのクロスはベルギー選手のヘッドでクリアされ、写真の一瞬のシークエンスも一気にゲームの流れのなかに飲まれてしまった。

 YouTubeにもハイライト映像が多数アップされているので物好きな方は一度のぞかれるとよいです。マラドーナのワールド杯デビューのメモリアルゲームでもある。

蛇足。
 前半にもアルゼンチンのフリーキックの場面があって、展開がまるで筆者の仮説と異なっていたので、しばらくは大いに慌てた。
 が、ペナルティエリアのラインがベルギーの壁の真下にあったり、当のマラドーナ自身がフリーキックのボールに一番最初に触れたりで、そもそもの写真の情景と相違があることに気がつき安堵したのはかなり時間がたってからでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?